用途(余剰)廃車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 01:34 UTC 版)
運用体系の変化や輸送力増強などに伴う編成の組み換えに伴う余剰車両の廃車が挙げられる。本項では標準的な寿命(新幹線車両は15年、一般車両は30年程度)と比べて相当短い期間で廃車された事例を挙げる。 国鉄50系客車登場した時点で客車列車そのものが時代にそぐわなくなったことに加えて、国鉄末期から動力分散方式、短編成化を推進したことにより、車齢が若いながらも気動車や電車に置き換えられる形で廃車となった。 京成AE形電車 (初代)6両編成7本を8両編成5本に組み替えた際に余剰となった先頭車2両が廃車となった。残る車両もAE100形への置き換えにより編成組み換え後、わずか2 - 3年程度で運用を離脱し、経年15 - 20年余りで全車廃車されている。なお、AE形の主要機器は3400形へ流用されている。 名鉄1000系・1600系電車(ク1600)「パノラマSuper」名鉄特急の運営方針の変更(ミュースカイ以外のすべての特急・快速特急を一部特別車もしくは全車一般車にすること)によって運用が減少し、1000系の一部と1600系のク1600の全車が廃車となった。一部機器が1000系から新5000系に、1600系から2300系に流用された。1600系はその後、残存した2両が1700系に改造された。 東日本旅客鉄道(JR東日本)211系電車高崎線・東北本線普通列車でのグリーン車の営業運転に先立ち、編成の組み換えによって転籍してきたグリーン車を組み込むことになり、これによって編成から捻出された付随車(サハ211形)に34両の余剰が発生し廃車となった。 2009年からは千葉支社の113系・211系の置換え用として209系2000・2100番台が投入され、これにより幕張車両センターに配置されている211系が3両編成に短縮した上で長野総合車両センターに転出し、余剰となった付随車が廃車となった。 その後は上野東京ライン開業を目前にE231系・E233系に車種を統一するため、余剰となった1000・3000番台は3両編成に短縮、東海道本線用の基本編成は6両編成に短縮した上で長野総合車両センターに転出したが、その際に余剰となった付随車とグリーン車が廃車となった。また、東海道本線用の2000番台付属編成は他線区に転用されることなく、廃車となった。 JR東日本E231系電車(サハE230形500番台6ドア車・サハE231形4600番台)山手線の可動式ホーム柵導入に際し、編成中に2両連結されている6扉車を4扉車に差し替えることにより104両が経年わずか5年程度で廃車となった。4扉車への置換えは検査周期の関係から最終編成である552編成から順に実施した。 2016年からE235系の投入により、E231系は10号車以外は三鷹車両センターに転出し、10号車はサハE235形4600番台に改造されたが、その際に4600番台4両が余剰となり、車両中1箇所のドアの位置が異なることから転用が困難と判断されたため、経年9年で廃車となった。 営団1500形電車(1500NN形)1981年に丸ノ内線分岐線(方南町支線)の3両編成化に際し、銀座線で運用されていた2000形を転用するため、その補充として8両が製造された。その後銀座線の運用車両は01系に統一されることになり、1993年までに全車が廃車された。 営団7000系・01系・02系・03系・05系・06系電車アルミ車両は経年20年程度経過した段階で更新工事の施工により、40年 - 50年程度使用することを前提としていたが、副都心線開業や東西線でのラッシュ時対策により、7000系および05系の一部車両が経年20年前後で廃車されている。 また、01系は経年が30年程度であるが、車体が小形なため改修工事を実施しても新型の機器を搭載することが難しいことから、1000系に置き替えられる形で2013年から廃車が開始されており、2017年までに全車廃車された。01系は1997年度製の最終製造車も経年16年で廃車となった。 06系は前述の理由により、2015年に廃車となった。 03系も経年が20年前後であるが、日比谷線でのホームドア設置に伴い、同線の運用車両を現行の車体長18m級3扉車および5扉車の8両編成から20m級4扉車の7両編成に統一するため、2016年度から2019年度にかけて13000系に置き換えられ、廃車されている。 02系においても経年が25 - 30年弱であるが、他路線の車両と比べ見劣りしていたことと丸ノ内線に導入予定のCBTC(無線式列車制御システム)に対応できないため、2000系の導入が2018年から2023年に行われ、6両編成の本線用の車両が廃車となる。 伊豆急行2100系電車「リゾート21」サロ2180形(ロイヤルボックス)一部の100系編成に連結していた特別車「ロイヤルボックス」の利用が好調なことと、臨時特急「リゾート踊り子」の運用ではグリーン車に相当する車両も必要とされることから、2100系でも1990年に落成した第4編成で「ロイヤルボックス」を連結した。1991年に当時在籍していた第1 - 第3編成、1993年に落成した第5編成「アルファ・リゾート21」にもそれぞれ「ロイヤルボックス」が連結されたが、2003年3月31日をもって普通列車運用時の「ロイヤルボックス」連結は廃止され、3両が廃車になった。 西日本旅客鉄道(JR西日本)新幹線500系電車700系などとの車内設備の違い・運用上の制約などの使いにくさの問題で「のぞみ」の運用はN700系に順次置き換えられ、山陽新幹線内の「こだま」用に16両編成から8両編成への編成短縮改造が施工された。その際、編成から外れた中間車は廃車となった。また、唯一16両編成で残されたW1編成は、運用から外れた後、2012年1月31日に中間車6両が廃車され、残りの10両も2014年3月28日に廃車となった。 廃車後はほとんどが解体されたが、521-1は京都鉄道博物館で、522-1は日立製作所笠戸事業所で保存されている。 JR西日本キハ37形気動車山陰本線の高速化で2003年から休車となっていたが、車齢が若いながらも他線に転用されずに2009年に廃車となった(JR西日本には2両だけの在籍であり、同社では採用例が皆無に近いDMF13S型エンジンが搭載されていたため、保守上の問題があった)。 大阪市交通局6100形電車1964年の弁天町 - 本町間開業に伴いナニワ工機で11両が製造された。その後900形に改番されたが、4両化に伴い余剰となった911号(旧6111号)が1972年3月に廃車された。 大阪市交通局10系電車大阪市営地下鉄御堂筋線の車両を10両編成化した際、新20系(21系)が増備途上であったため、車齢が古い01 - 03編成を分割・改造および電装解除の上、他編成に組み込んだ。その際残った先頭車4両は廃車となった。 大阪市交通局30系電車(最終増備車)御堂筋線への10系増備に際し、8両編成だった30系を6両に短縮して中央線に転用したが、その過程で余剰となった中間車も中央線の編成として活用する目的で、1984年に先頭車のみ4両が落成した。その後、24系投入により1両が中間車化改造・冷房装置搭載の上谷町線に転用されたほかは1993年に廃車された。 北大阪急行電鉄2000形電車30系と同期登場でありながら、30系のように冷房化改造するよりも新車に置き換えた方がコストが安いと判断され、1986年から2代目8000形に置き換えられることとなり、製造後22 - 24年程度で全車廃車となった。 新幹線E3系電車(R23 - R26編成)秋田新幹線へのE6系投入に伴い、6両編成4本を7両編成2本に組み替えて山形新幹線へ転用することとなり、余剰車10両が廃車となった。2005年製の車両は製造後8年で廃車となっている。 西鉄1300形電車先頭車は600形(初代)からの流用であるが、中間車は1000形より車齢が若いながらも先頭車の車齢の高さから3扉化も冷房化もされず、大牟田線の全面冷房化に際して1985年に廃車された。 近鉄10000系電車(ビスタI世) ・10100系電車(ビスタII世)1970年に特急券のオンライン化が行われたが、1編成しかない10000系は特急券のオンライン化が困難であるため、製造から12年で廃車となった。また10000系の量産型に当たる10100系も、のちに登場した汎用型特急車と比べて車内設備の陳腐化が著しく、30000系に置き換えられることとなり、製造後15 - 20年程度で全車廃車となった。なお、10100系の機器類は通勤車の2000系および30000系の増備車に流用されている。 京阪3000系電車 (初代)当初は8000系投入後も一貫して継続使用する予定であったが、8000系に比べて見劣りしていたことから8000系への全面置き換えへの方針変更により、1編成7両と予備車2両を残して廃車となった。なお、主要機器類は8000系に流用され、車体は富山地方鉄道と大井川鉄道(現・大井川鐵道)に譲渡された。 東京都交通局10-300R形電車先頭車は車齢が若いが、中間車が10-000形からの転用であり、かつ老朽化が進んでいたため、10-300形の増備に伴い、先頭車は中間車と同時に廃車となり、2017年までに全車が廃車された。 名古屋市交通局3050形電車(3159編成)鶴舞線で運用中の3000形の老朽取り替えとしてN3000形の投入を進めており、中間に3000形2両を組み込む3159編成も置き換えの対象となり、2019年に編成ごと廃車となった。 東急5000系電車6扉車(サハ5400・サハ5500・サハ5800形)田園都市線でのホームドア導入に際し、4ドアの5101F - 5103Fや他の形式、東京メトロ・東武鉄道から乗り入れる車両にドア数を合わせるため、10両編成の編成中に2 - 3両連結されている6扉車は新造した4扉車に置き換えられる形で製造から10年程度で廃車となった。6扉車の一部機器は新造した4扉車などに流用されている。 JR東日本E751系電車つがるの運行系統変更に際して編成を6両から4両に短縮し、編成から外された中間車は増結用としたが、実際は使われることなく、廃車となった。 JR東日本E257系電車(0番台付属編成)中央本線特急のE353系投入によって置き換えられたE257系松本車の9両基本編成は波動用もしくは踊り子用に転用されたが、2両付属編成は波動用編成と組もうとすると7両・11両となり、半端になってしまうことから転用されずに廃車された。 東武10030系電車・東武250系電車10030系はチョッパ制御の部品確保と運用減少による余剰のため、東武8000系、東武9000系、部品がさらに古い東武200系、東武350系より早く廃車となった。一部の10030系がリニューアルの際にVVVFインバータ制御に更新したのも部品確保が理由である。 250系は特急の運用数減少による余剰と、東武30000系と部品を共有している関係上部品の確保が必要であることから、東武100系より早く廃車となった。 また、新型車両を投入した後にそれまでの車両を廃車にせず、他の線区へ転出し、その線区の旧形式車を淘汰させることがある。この時に編成は適宜組み替えられるが、組み替えた結果として余った車両が廃車となることがある。例:209系、E231系 編成組み換えによって余剰となるのは多くが付随車で、転用する場合は電装(モーターなどを取り付けて動力車に改造すること)などが必要となり、莫大なコストが掛かる。ただし、転属や増発による短編成化で制御車(先頭車)が不足する場合には、改造されて制御車になる場合もある。457系電車におけるグリーン車や165系電車などからの改造車、80系電車・205系電車・485系電車などの例がある。逆に伊豆急行では東急8000系電車の制御車を電動車に改造した事例がある。 また、東京メトロ東西線乗入れ専用車であった国鉄301系電車の場合、営団(当時)との協定でJR側の乗り入れ数が減少したために余剰となった1編成が廃車となった。 他にも廃線や列車廃止の影響による廃車もある。 国鉄EF63形電気機関車信越本線の横川 - 軽井沢間における碓氷峠の急勾配区間専用補助機関車として使用された同機は、1997年の北陸新幹線(高崎 - 長野間)先行開業と引き換えの碓氷峠区間の在来線廃止に伴い、本務機EF62形ともども全車が車籍抹消(除籍)となり、形式消滅した。なお、碓氷峠では先代の国鉄ED42形電気機関車も粘着運転への切り換えに伴うアプト式運転廃止で全車廃車となっており、この区間では路線切り換えによる車両の用途廃止による廃車が2代続いたことになる。 廃車後は主に碓氷峠鉄道文化むらや軽井沢駅に静態保存(一部は動態保存)されている。 国鉄EF71形電気機関車主に末期は奥羽本線福島 - 山形間の客車普通列車の牽引に使用されていたが1992年に山形新幹線開業のためこの区間が標準軌化されたことで同区間での用途を失った。 一部は東北本線で臨時の運用に使用されたこともあったが、もともと平坦線区間での粘着係数を重視せず、増加分のモーターは長時間抑速回生ブレーキ運転における主電動機熱容量に余裕を持たせるためであり、弱め界磁を装備せず高速運転を考慮しない、となどという板谷峠での運用のみに割り切った特殊設計であるがゆえに他線区への転用・活用ができず1993年までに全車が除籍され形式消滅した。 廃車後はほとんどが解体され、1号機のみが新幹線総合車両センターに静態保存されている。 長野電鉄10系電車木島線廃止の影響で余剰となり、普通列車の運用が3500系に車種統一できることから廃車となった。車齢は3500系や、その後東急電鉄より譲渡された8500系より若い(1編成2両だけの在籍だったため運用上や整備上の問題もあった)。 JRED79形電気機関車青函トンネルの専用機関車として用意されたが、架線電圧の昇圧(20kV→25kV)に対応できないため、北海道新幹線開業時に運用離脱し全廃となった。ただし、JR化後の完全新製車である50番台を除けば、前身のED75形700番台としての製造から35年以上経過して老朽化も進行していた。 郵便車・荷物車鉄道による郵便・荷物輸送の廃止により、廃車となった。荷物車の中には旅客車や事業用車に転用された車両もあるが、気動車については他用途に転用されることなく、国鉄末期に廃車となった。 後者の外部的な変化としては、他事業者他路線もしくは他車両・新しい規制や法令の影響などで廃車された例がある。 東京都電6000形6152号車都電全盛時代を伝える唯一の車両として、またライトの形状から「一球さん」という愛称で保存車として親しまれていたが、京福電気鉄道越前本線列車衝突事故の事故車のブレーキ機構が1系統しかなく、このブレーキ故障によって停止不能となったことが原因として明らかとなり、同様のブレーキシステムであった6152号も休車となり、その後廃車された。 廃車後、保存を求める声が多数寄せられたため、解体は免れた。その後、譲渡先の候補からあらかわ遊園が選ばれ静態保存された。 小田急10000形電車「HiSE」交通バリアフリー法が施行され、鉄道車両にもバリアフリー対策が求められる中で、ハイデッカー構造のために対応工事が困難であることが理由の一つとなり、より古い7000形電車「LSE」よりも早く廃車となった。そのうち2編成(10021Fと10061F)が4両に短縮の上、長野電鉄へ譲渡された。 小田急20000形電車「RSE」小田急10000形電車「HiSE」と同様、交通バリアフリー法が施行され、鉄道車両にもバリアフリー対策が求められる中で、ハイデッカー構造のために対応工事が困難であることが理由の一つとなり、JR東海371系電車ともども60000形電車「MSE」に置き換えられ、より古い7000形電車よりも早く廃車となった。1編成 (20002F) が3両に短縮の上、富士急行線へ譲渡されフジサン特急して活躍している。 小田急50000形電車「VSE」連接構造であることから整備が煩わしく、主要機器の更新が困難と判断され、より古い30000形電車「EXE」「EXE α」より早く廃車となることが決定した。 横浜市交通局2000形電車2006年まで1号線・3号線で運用された同車は3000A・N・R形とドア幅が異なり、翌年に開始されたホームドアによるワンマン運転に対応できないため、同年までの間にすべて廃車になった。なお、第16編成以外の台車や空気圧縮機・ブレーキ装置等の一部機器は3000S形へ流用された。 京阪5000系電車京阪では2021年度に京橋駅へのホームドアを整備することになり、5000系は他の車両と扉の位置が異なるため、ホームドア整備前に全廃となった。同系列より古い2600系など他の車両は置き換えの計画はなく、引き続き運用される予定である。 神戸市交通局3000形電車神戸市交通局西神・山手線では全駅にホームドアを設置する予定であり、ホームドアと車両扉の開閉連動およびワンマン運転に対応した6000形の投入により優先して廃車され、2021年に神戸市営地下鉄の車両で初めて全廃された。なお、本系列は全車がGTO-VVVFで、1000形のGTO-VVVF搭載車についても同年時点ですでに全廃されている。ちなみに、車齢は1000形や2000形、および北神急行電鉄より移籍した7000系より若い。 東京都交通局10-300形 8両編成新宿線の全編成10両化に伴い、8両編成は、車庫が地下にある関係で自前で更新工事を行える敷地がなく、車両を組み替えるより10両編成を新造したほうがコスト的に合うと判断したため、経年17年で廃車になることになった。 東海旅客鉄道(JR東海)新幹線100系電車1985年に登場した100系は0系と基本性能は変わらず、300系や700系の270km/h超の車両の投入によるスピードアップに対応できないため、山陽新幹線こだま用として短編成化されたK・P編成を除き、通常の寿命よりも3 - 4年早く淘汰された。100系の設計最高速度は275km/hだが、騒音基準を満たせなかったことにより220km/hでの運転にとどまったことも要因の一つである。 また、食堂車はその外部的要因と内部的要因による影響を複合的に受けた例の一つである。 まず、1972年の北陸トンネル火災事故によって国鉄10系客車の食堂車火災に対する安全性が問われ(外部的要因)、早期に全廃された。また、国鉄末期になると、新幹線網の発達や自動車の普及、航空機利用の大衆化による特急電車の短距離化・短編成化の傾向の影響を受けたり(内部的要因)、さらに海外旅行の大衆化をはじめ、近年の旅行形態の多様化の影響を受けるなどして(外部的要因)、昼行特急列車の食堂車の多くが廃止され、余剰であるとして廃車となった。 なお廃止となった昼行特急列車の食堂車のうち、廃車を免れた少数の例として国鉄485系電車において雷鳥の食堂車を廃止する代わりに和風電車「だんらん」に改造した例がある。この車両はのちの「スーパー雷鳥」新設時に、ラウンジ付グリーン車へ再改造されている。JRに継承した一部は国鉄24系客車(「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」)の食堂車に改造された。 上記のとおり、1970年代は多数の食堂車が余剰になったが、車齢が10年前後と若いものが多く、そのまま廃車手続きを取ると会計検査の関係上問題があったため、車籍を有したまま各地で長期留置された。例えば1970年まで製造された国鉄20系客車のナシ20形については1978年に運用停止になった後も品川客車区などで留置され、国鉄分割民営化直前に廃車された。 珍しい例としては、新幹線1000形電車の「解体設備の運転試験のために廃車」といったものや、国鉄DD54形ディーゼル機関車や阪神3801形第1編成のように「故障や事故が多発し過ぎて廃車」(いずれも車齢12年程度で全廃)、JR貨物EF200形電気機関車のように「メーカーが機関車製造から撤退して部品調達が困難となり廃車」といったものなどがある。
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