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食堂車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/07 19:39 UTC 版)
食堂車(しょくどうしゃ)とは、鉄道の客車(鉄道車両)の一種で、広義には車内に調理を含む供食設備を設けているものをいう。本項では、日本国内の食堂車と日本国外の食堂車についてわけて解説する。
- ^ a b c d e f g 国内食堂車誕生111周年 - トレたび 2010年5月21日
- ^ 長船友則『山陽鉄道物語―先駆的な営業施策を数多く導入した輝しい足跡』、JTBパブリッシング、2008年、P.144。なお同所載の図によれば当初は長手方向に置かれた大テーブルの両側の席に旅客が着席する形だったようである。
- ^ 長船、P.146。
- ^ 急勾配区間である国府津駅 - 沼津駅間と馬場駅(現・膳所駅) - 京都駅間は非連結。
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』No.761 P.9。
- ^ この他国有化された鉄道では関西鉄道・讃岐鉄道・成田鉄道の例がある。
- ^ 長船、P.143。
- ^ 『大正8年度鉄道院年報』1921(大正10)年、P.33。
- ^ 1935年からは呉線経由。
- ^ いわゆる「名士列車」
- ^ 洋食堂車は、完全予約制であくまでも洋食専門としており、和食堂車は、和食のほかに比較的安価でかつ一般にも馴染み深い洋食となりつつあったライスカレーやコロッケなどの揚げ物は勿論、ビーフステーキなど洋食堂車でも扱う料理は取り扱っていた。戦後以後の食堂車は、この「和食堂車」から継承されていく。なお、戦前の「洋食堂車」のメニュー・営業形態は、現在のトワイライトエクスプレスの食堂車がそれに近い。
- ^ ウェイトレス導入に対しては利用者からは食堂車内の雰囲気がソフトになった事から利用者しやすくなったと歓迎された反面、チップ収入減少も絡んで列車ボーイからの反発もあったという。
- ^ 普通列車では長距離・観光用のものに限られた。直行列車も参照のこと。
- ^ 食堂車廃止と引き換えの形で同日付から車内販売が開始されている。国鉄線内では1934年に試行された事はあったが、本格的な営業はこの時から。
- ^ 配給された小麦に乾燥野菜・みかんの皮・魚粉などを混ぜ、糖蜜を加えて製造した「鉄道パン」などを販売したとされる。
- ^ 翌1950年「つばめ」に改称
- ^ 戦前の「櫻」→急行7・8列車、のちの「霧島」
- ^ 新幹線開業後の山陽線転出後に職人の確保が困難となり、次第に営業休止となり1972年3月すべての寿司営業が中止されるとともにサハシ153形の営業列車はなくなった。
- ^ これらはあくまで各列車におけるメニューの中核をなすものであり、列車・運転時期によって多少異なるがそれ以外にカレーライスやスパゲティなども提供されていた。
- ^ 営業開始を前に、乗務員をホテル内から募集したところ、30名程度の募集に対して、300名以上の応募者があったという。
- ^ 中華料理や新潟の郷土料理もあるユニークなメニュー提供が特徴であった。
- ^ 1999年に日本食堂と共同出資で設立。
- ^ のちの検証で出火原因は電気暖房関連の電気配線からの漏電によるものと判明した。なお、石炭コンロが原因の食堂車炎上事故としては急行「安芸」での事故(1967年11月15日)がある。
- ^ このことは衰退理由として指摘されることは少ないが、宮脇俊三の「時刻表2万キロ」や植田まさしの漫画でこうした客の描写が登場する
- ^ 「白山」は長野新幹線開業の1997年10月に廃止され、その後はラウンジカーを組み込んだ編成が昼行特急に運用される場合は、旧コンビニエンスコーナー部は車販基地として使用された。
- ^ 1984年から「みずほ」については「簡易営業」としたため、時刻表上の表記も「ビュフェ」とした。
- ^ 日本レストランエンタプライズ(旧日本食堂)による売店営業終了後は浜坂 - 鳥取間で地元業者が弁当の車内販売を行っていた。
- ^ その後は東京 - 名古屋間でJRCPが、徳山 - 博多間で地元の業者が弁当やサンドイッチなどの車内販売を列車の廃止まで実施していた。
- ^ 36形食堂車が連結される以前は、ビュフェ車においてもセルフサービスではなく、ウェイトレスによる接客サービスを行っていた。
- ^ 輸送力増強以外にもこだまのビュフェの利用率が低く2両運営では採算性などで問題が多かったこと原因の一つだった。また「こだま」全編成の組み換えまでには至らず、1973年8月から1980年9月までのこだま用K編成47本中17本がビュフェ2両組み込みのまま1両は営業休止で売店扱いのままとされた。
- ^ 戦後、食堂車が新規かつ大量に製造されたのはこのときのみである。
- ^ 当初は通り抜ける客に食事を見られないように、食堂と通路を隔てる壁に窓を設けていなかったが、利用客から「食事しながら富士山を見られない」というクレームが多かったことを受け、1979年以降に通路側壁面に窓(通称:マウント富士)を設置する改造を施工。
- ^ 36形の登場後は、食事メニューの提供は食堂車で行いビュフェ車は売店・車内販売の基地としての機能をメインに飲物中心の簡易なメニューの提供もセルフサービスで行うと位置付けられたため。
- ^ 1978年11月よりおもに東京 - 博多間「ひかり」9本のグリーン車で試行。1979年5月より20本に拡大。料理長がメニューを持参して注文を受け付け、希望時間に座席まで届けるという形であったが、メニューは1000円以上の3 - 4品に限定されていた。
- ^ 当初は3月のダイヤ改正で終了予定であったが、1月17日早朝に阪神・淡路大震災が発生し新大阪 - 姫路間が不通になったのを受け営業停止。そのままダイヤ改正まで復旧しなかったため1月16日の「ひかり」45号が最終営業列車となった。
- ^ 「ウエストひかり」用R62編成に組み込まれていた37-7302は、その後も営業運転に用いられ、2008年3月14日に運用を離脱したが新幹線最後のビュフェ車でもあった。
- ^ 248形のカフェテリアにはイートインスペースも設けて、簡易ビュフェ的な機能も持たせていた。
- ^ 各社ともにメニューが異なっており(時刻表に各社の特徴的なメニューが記載されていた)、乗客の中にはわざわざ好みの会社が営業している列車に乗るというケースや、車内販売を兼ねていることから販売態度のよろしくない従業員が多いとされる会社を避けるといったことも見られた。
- ^ 2000年代においては在来線でも環境面の問題から循環式の汚水処理装置などを利用している例がほとんどである。
- ^ 新幹線のビュフェ車でも開業当初は汚水を走行中に外へ垂れ流していたが、沿線住民から苦情が多かったため、のちに床下のタンクに溜めて駅で排出する方式に改善された。
- ^ 国鉄・JR各社の用語では「ビュフェ」と表記されるが、車内の案内放送では車掌や食堂会社従業員が「ビュッフェ」と発音することもある。
- ^ その後サシ481形・サシ489形がスシ24形に改造された時にベネシャンブラインドは取り外され、代わりに横引きカーテンが取り付けられた。ただ、基本的な窓構造については電車時代のままである。
- ^ 現在のロビーカーに相当する扱い(当時は「サロンカー」と称した)ともされ、夜間提供メニューは現在の北斗星等の「パブタイム」のメニューに近いものであった。
- ^ ビュッフェ車 - トレたび 2010年9月1日
- ^ 松本運転所(現・松本車両センター)のサハシ165形は、電源供給の問題から1976年の営業休止後も1982年に新前橋電車区(現・高崎車両センター)からクハ165形余剰車が転入するまで編成から外されなかった例がある。また583系電車では編成全体の圧縮空気容量の関係からサシ581形の空気圧縮機 (CP) も必要であった事情から、編成から外せない理由もあった。
- ^ 「平屋」とは2階建車両の構造上、台車を乗せる部分をさす。通常の車両と同じ車両高さ・幅となる部分。
- ^ JR西日本所属のスシ24 1・2はAU12形。
- ^ スシ24形の中で特筆すべき車両として改番を4回行ったスシ24 506があげられる。同車は1974年にサシ489-12として落成、1978年にサシ481-83へ改造、さらに1982年にサシ489に再改造されるも番号はそのまま83を継承、「北斗星」増発時には客車に改造されスシ24 506となった。詳細はこちらを参照。
- ^ 現在では食堂車はJR東日本所属車のみが編成に組み込まれるために現存しない。
- ^ かつては洋定食・和定食の2種類が存在し、特に和定食は積込食数が少なく早めに売り切れることも多発した。
- ^ 日本交通公社の時刻表1967年10月号の伊豆急行のページに「スコールカー連結」の表示あり。
- ^ 6号車の個室からインターホンで注文できるシステムも備えていた。
- ^ 小田急3000形「SSE」が「あさぎり」として国鉄御殿場線に乗り入れていた際には、御殿場線の時刻表にはビュフェのマークが配されていた。
- ^ 食器の質としても高く、鉄道会社独自のデザインが反映されたものであったために、これらを「レイルウェイ・チャイナ」と総称し、コレクションする趣味がアメリカでは盛んである。
- ^ ソウルプラザホテルは食堂車営業を行うにあたって、当時の日本の食堂車事業者(日本食堂および帝国ホテル)で研修を受けてノウハウを習得したため、韓国の食堂車は盛り付けや配膳において、日本の食堂車との類似点が多かった。
「食堂車」の用例一覧
旅行の今昔 (青空文庫)
の上り下りには赤帽が世話をする、車中では給仕が世話をする、食堂車がある、寝台車がある、宿屋の手代は停車場に出迎えて居る、と言ったような時世になったのですから、今の中等人士は昔時(むかし)の御大名同様に人の手から手へ渡って行って、ひど...
www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/1444.html
葉山嘉樹 乳色の靄 (青空文庫)
かり見てやがらあ。足や手を忘れちゃ駄目だよ。手にはバスケット、足には下駄とな。チャンと此通り前のと同じなんだよ。いや、御無礼」 列車は、食堂車を中に挟んで、二等と三等とに振り分けられていた。 彼は食堂車...
www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/2845_38057.html
梶井基次郎 過古 (青空文庫)
って彼の足もとまで押し寄せた。 汽鑵車の 烟 ( けむり ) は火になっていた。反射をうけた火夫が赤く動いていた。 客車。食堂車。寝台車。光と熱と歓語で充たされた列車。 激し...
www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/421_19698.html