増備
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まず量産先行車として0番台10両編成1本(1982年8月27日に川崎重工業兵庫工場で落成・出場したクハ203-1以下10両編成、マト51)が製造され、営団・国鉄双方の乗務員などによる各種訓練を実施したのち、11月14日の我孫子 - 取手間複々線完成記念の出発式に記念列車として使用され、複々線化完成日の翌11月15日から一般営業運転を開始した。なお、この増備は先述の区間が開業したことに伴って国鉄車の運用が増加したことによるものであり、在来車の置き換えを目的としたものではなかった。 続いて、103系1000番台を置き換えるため、1984年(昭和59年)2月から3月にかけて0番台量産車7本が製造され、翌1985年(昭和60年)3月製造分からは台車を同年1月末に落成した205系と同一のボルスタレス台車に改めて建造費縮減および軽量化を図った100番台が9本投入された。これにより従来の103系1000番台は56両が1984年に105系500番台に改造されて転配されたほか、104両が1986年(昭和61年)までに常磐快速線・成田線(我孫子 - 成田間)へ転用された。これら一連の増備によって、1986年には常磐緩行線の国鉄車は冷房化率100 %を達成した。
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増備
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「埼玉新都市交通1000系電車」の記事における「増備」の解説
1986年(昭和61年)から1992年(平成4年)にかけて、中間車ユニットを組み込み、順次6両編成に増強されたが、1992年に7 - 9編成に組み込まれた3・4号車は、1990年(平成2年)より導入された1050系と同型として新製されたため、当該車両の形式はM1350 - M'1450となっている。1050系の規格に合わせたため、車両の内装や貫通路の幅が異なっていることが車内から確認できた。なお、6編成分の12両は、自治体とJR東日本による経営支援により増備された。
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増備
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「東京都交通局330形電車」の記事における「増備」の解説
2019年12月13日から14日にかけて32編成5両、2020年2月20日から21日にかけて33編成5両が舎人車両基地に運び込まれた。本編成はさらなる混雑緩和に向けて追加増備されたもので、すべての車両にフリースペースが設けられているのが特徴である。
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増備
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「東京都交通局8500形電車」の記事における「増備」の解説
1992年(平成4年)に8502・8503、1993年(平成5年)に8504・8505のそれぞれ2両ずつが増備された。この増備車4両は停止ランプの位置変更など前面の一部設計を変更し、新たに東京都のシンボルマークであるステンレス製の「いちょう」マークを装着した。(8502・8503落成時に8501にも装着)車内は全席ロングシートだった8501から配置が変更され、8502では車椅子スペースの補助席をクロスシートに、8503 - 8505では補助席のみロング―シートとし、それ以外はクロスシートとした。車内中央部には折りたたみ式の補助椅子が設けられていたが、後年撤去された。8501で採用された降車口監視用のITVカメラは廃止された。 8501で採用された1軸2ハンドルマスコンは、加減速を頻繁に行う荒川線では運転操作しにくいなどといった理由から、8502以降の増備車に関しては縦軸2ハンドル式が採用され、8501も1992年初頭に2ハンドル式に改造されている。
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増備
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「名古屋市交通局800形電車 (軌道)」の記事における「増備」の解説
800形は同年中にもう1両が投入されたほか、1957年・1958年にも各5両ずつ製造投入され、総数12両となった。 年度ごとに、台車が異なっている。また802については、1957年11月に台車へ空気ばねを試験的に取り付けたが、構造に問題があったため翌年には取り外された。さらに808以降の車両には、放送装置や運転士腰掛、速度計も装備された。 登場から間もない1958年5月に大井工場で開催されたECAFE鉄道展では、本形式はモハ90系や後に当時の狭軌鉄道の世界最高速度記録を達成したモヤ4700、日本初の交流電気機関車として登場したED441、初代東急5000系といった国私鉄の新型車両とともに展示され、日本の鉄道車両の製造技術をアピールした。
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増備
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「京阪600形電車 (3代)」の記事における「増備」の解説
1984年4月に営業運転を開始し、登場時には大津線初の冷房車であることをアピールするため装飾付きの大型ヘッドマークが付けられた。以降も好評を受けて同年夏までに2両編成3本が導入され、10月22日に製造された607 + 608をもって1次車(601 - 608)の製造が完了した。これにより、車体流用元となった300形は形式消滅し、それまで京津線の準急に使用されていた260型や500形は石山坂本線での運用が増加した。 その後、更なる冷房化促進のため、多数が残存していた非冷房車である260型の車体を用い600形を増備することが決定し、前面窓の曲線ガラス(パノラミックウィンドウ)への変更が施された2次車(609 - 612)が1986年に完成した。続いて翌1987年には側面窓の下段固定化を実施した3次車(613 - 616)が導入され、1988年には最終増備車となる4次車(617 - 620)が製造された。この3次車・4次車における側面窓の形状変更は、冷房化により窓を全開にする必要性が薄れたことが要因であり、1992年から1993年にかけて1・2次車も同様の形状に改造されている。 京津線準急時代の600形 地上時代の蹴上駅を通過する600形 地上時代の御陵駅に停車する600形(1997年撮影) 京津三条駅 - 蹴上駅(1997年撮影) 日ノ岡駅 - 御陵駅間(1997年撮影)
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