2次車(1963年製造)
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「西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の記事における「2次車(1963年製造)」の解説
605-655 - 607-657の2両編成3本が製造された。
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2次車(1500・1600番台)
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「JR東海キハ25形気動車」の記事における「2次車(1500・1600番台)」の解説
1000・1100番台を暖地仕様に変更した番台であり、紀勢本線などの暖地路線で使用されている。基本構造は1000・1100番台と同様で、スノープラウが省略されているなど、細かな変更点がある。2015年6月から2016年1月にかけて14編成 (1501+1601 - 1514+1614) が落成した。2020年4月現在の配置は名古屋車両区。 キハ25形 2次車暖地仕様編成表編成番号キハ25-1500 キハ25-1600 M1011501 1601 :: : M1141514 1614 キハ25-1507 キハ25-1607
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2次車(3000N形)
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「横浜市交通局3000形電車」の記事における「2次車(3000N形)」の解説
戸塚 - 湘南台間開通に伴う運用増加分として1999年(平成11年)に登場した。東急車輛製造製で、6両編成6本(第32 - 37編成・36両)が在籍する。 「「New」(ニュー:英語で「新しい」という意味)の略称で、「3000N形」と呼称される。 帯の配色は上部は青、下部は太い青に細い水色が重なる。先頭車前頭部は3000A形とは異なり、FRP成形品を廃してステンレス構造とした。また、先頭車の非常用貫通扉下部には横浜市交通局のマスコットキャラクター「はまりん」の銀色のプレートが装着された。 座席は先頭車のボックス式クロスシートを廃止、蛍光灯カバーを省略し、客用ドアの室内側はステンレス無塗装とされた。客用ドアの窓ガラスはボンディング式(接着式)となった。これは3次車以降も同様である。座席のクッションは1次車と同じく柔らかめに設計しているが、着座区分入りのものに変更されていた(現在はバケットシートに変更され、シートカバーの柄は3000R、3000S形よりも明るい色のものになっている)。座席端の袖仕切り板は、大型の成形品にした。側窓ガラスは有色のUVカットガラスを採用し、カーテンの設置を省略した。 客用ドアの上部にある車内旅客案内表示器は、次駅をランプで表示するマップ式のものを廃し、次駅名・乗り換え案内を表示するものと、もう一つは神奈川新聞が配信する文字ニュースや交通局など横浜市政全般に関するお知らせなどを表示するものの2種類になった。それぞれ地色を灰色と茶色で千鳥配置しているほか、「このドアが開きます」と表示するドア開閉予告ランプが新設された。戸閉装置(ドアエンジン)は、閉扉後一定時間戸閉力を弱める「戸閉力弱め機構」を搭載した。車椅子利用者が移動しやすいよう、連結面貫通路幅は800 mmから900 mmに拡大した。 VVVFインバータ制御装置の使用素子はIPM(保護機能付IGBT)に変更され、後に純電気ブレーキの機能が追加された。補助電源装置はIGBT素子を使用した静止形インバータ(SIV・定格容量135kVA)となり、直流600Vを三相交流に変換するものである。 車両価格は1編成あたり7億6千万円であり、1次車と比較してコストダウンが図られている。 第32編成 (3321F) は1999年6月3日から2016年11月7日までインフォメーション電車「はまりん号」として運用され、車体に「はまりん」のイラストステッカーが貼り付けされ、車内旅客案内表示器で横浜市の施設やイベントの案内を表示するほか、車内では小・中学生による絵画ポスターを掲出した(2011年は国際森林年にあたり、同年11月1日から12月27日まで三井物産フォレストと提携し森と木のラッピングを施した「しんりん号」として運行)。 第33編成 (3331F) は2005年12月16日から2015年7月7日まで、横浜港開港150周年記念のラッピング車両として運用されていた。 導入後、1次車と同じくワンマン運転開始に備えて全編成に対応改造が施され、また2014年には車内灯に使用されている安定器の絶縁劣化対策として、車内照明を従来の直管蛍光灯からLED照明に交換する工事が全編成を対象に施工された。 直管LEDの仕様は下記のとおりである。 型番・EFL-040G/A2WWUE(飛散防止膜搭載モデル) メーカー・川崎重工業株式会社(製造元・株式会社エクセル) 電源・AC200-254V 50/60Hz 消費電力・22W 発光色・白色(4200K)
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2次車 (7141F・7151F)
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「東京臨海新交通7000系電車」の記事における「2次車 (7141F・7151F)」の解説
1997年(平成9年)に導入された。製造数は2編成(12両)で、構造は1次車とほぼ同一。
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2次車 (6151 - 6231, 6015 - 6145, 6016 - 6146)
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「東京都交通局6000形電車 (鉄道)」の記事における「2次車 (6151 - 6231, 6015 - 6145, 6016 - 6146)」の解説
1972年に巣鴨 - 日比谷間の延伸開業用として6両9編成(54両)と1次車編成の6両化用に28両の計82両が新製されている。この編成から将来の冷房改造が当初から可能な設計に変わり、1次車と比較すると屋根上のモニターが高くなると共に、M'車及びMc'車の床下に冷房装置用の電動発電機の搭載スペースが確保されている。これら1次車から3次車にかけては実際に冷改後でも分散式コンバータ型が搭載されたため冷房用電源式電動発電機の搭載は不要と判断し見送られた。既存SIVの活用と小型の冷房電源の設置にとどまっている。なお、製造メーカーはアルナ工機、日立製作所、日本車輌製造である。このロットより行先方向幕は当初から三田線内のみの収録となった。運用終了後は6191Fのみ秩父鉄道、その他は熊本電気鉄道とインドネシアへ譲渡された。
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2次車(鋼製車)
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「山陽電気鉄道3000系電車」の記事における「2次車(鋼製車)」の解説
3000系2次車 3602号車(1987年 須磨浦公園駅) 1968年の神戸高速鉄道東西線乗り入れに備え、1967年から1968年にかけて、3両編成9本と付随車4両の計31両が量産された。 3004-3005-3602 (1967年4月7日竣工) 3006-3007-3603 (1967年4月7日竣工) 3008-3009-3604 (1967年4月7日竣工) 3010-3011-3605 (1967年9月20日竣工) 3012-3013-3606 (1967年10月12日竣工) 3014-3015-3607 (1967年10月12日竣工) 3016-3017-3608 (1968年1月8日竣工) 3018-3019-3609 (1968年1月18日竣工) 3020-3021-3610 (1968年3月7日竣工) 3502・3503・3504・3505 (1968年3月7日竣工) 神戸高速鉄道開業までの短期間の大量増備のため、車体はコストダウンのため普通鋼製となっている。外観は側窓は扉間3連・車端部2連のユニット連窓構造となっており、窓幅は800mmである。車内は先頭車の運転台直後の2人掛け座席を廃止し立席スペースに変更、室内灯のグローブも省略された。このほか側出入口と座席間の立席スペースの拡張、出入口部への吊り革の設置も行われており、混雑緩和とメンテナンスフリーに努めた設計とされている。 台車はウィングばね式金属ばね台車の川崎車輛KW-1 (M・M'c車) ・KW-2 (Tc・T車) となったが、その他の機器類等はアルミ車からの変更はない。 鋼製車のため塗装が施され、当時の標準色であったネイビーブルーとクリームイエローの2色塗り分けとされた。
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2次車(1966年製)
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「営団5000系電車」の記事における「2次車(1966年製)」の解説
ステンレス車5007 - 5018号・5207 - 5254号・5601 - 5636号・5807 - 5818号 アルミ車5150号・5450 - 5452号・5750・5751号・5950号 中野 - 高田馬場間および九段下 - 竹橋間開業用として1966年(昭和41年)1月から3月にかけて1次車の7両編成化用中間車6本分(中間車4両を6本分)と7両編成8本が製造された。さらに同年7月から8月には、約半年後に開業する竹橋 - 大手町開業分として7両編成5本が製造された。2次車の合計数は115両で、東西線全体では7両編成19本の陣容となった。 車体識別帯を1次車の80 mm幅から115 mm幅のアルミニウム形材帯に変更したが、前述した通り、後に全車両の前面識別帯を530 mm幅に拡大した。この2次車から国鉄線への乗り入れを行うことからATS-B形と信号炎管を搭載した。また、以降の先頭車には前面密着連結器の下に電気連結器を設置した。 前面方向幕位置を1次車よりも若干低い位置に変更したほか、前面運行番号表示器の横幅を拡大した。さらに先頭車運転席窓上部に営団団章Sマークを設置した。1次車では3000系同様に主制御器を車体中央に配置し、それを挟んだ左右に主抵抗器を配置していた。しかし、奥まった主制御器の保守に苦労を要するため、以降は片側に主抵抗器をまとめて配置し、反対側に主制御器を配置する方式に変更した。 このうち5016号車は試験車としてS形ミンデン式台車FS364形を使用し、補助電源装置には電動発電機に代わって静止形インバータを採用したが、前者は後年の台車枠更新時にFS502形台車に交換、後者は標準の12 kVA電動発電機に交換されている。
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2次車(第2-4編成)
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「京阪5000系電車」の記事における「2次車(第2-4編成)」の解説
尾灯と標識灯を3000系と同じデザインに変更、台車は1次車と同じである。高速性能を向上するために主電動機の歯数比が変更された (5.60→5.25)。編成は第2編成のみ第1編成と同じく分割可能な3両編成+4両編成とされ、以降は7両固定編成に変更された。このため、第3編成以降は深草車庫への入・出庫が不可能となり、同車庫の淀車庫への移転までは守口・寝屋川両車庫入・出庫の列車に限定運用された。また、地上駅時代の三条駅においては2番線ホーム停車時に構内踏切と一部の客用扉が干渉したことから停車位置を他と変えることが求められるなど、特殊な扉配置故に特別な取り扱いを要した。なお、7両固定編成については前面の貫通幌が当初より省略されている。
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2次車 (6 - 15)
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「国鉄キハ55系気動車」の記事における「2次車 (6 - 15)」の解説
1957年に製造されたバス窓車。蛍光灯照明となり、DMH17Bは小改良が実施され出力が170PSに向上のDMH17Cとした。後部デッキ水タンク横に簡易洗面所を設置したことから、この部分の補助イスは廃止された。ロングシートは運転席側戸袋窓部のみ。前面運転席窓の大型化と雨樋縦管が車体に埋め込まれ,タイフォンは前灯の両脇に2つ埋め込みで取り付けたことで、1 - 5と判別が可能である。後端部に曲線通過時の接触障害除去目的のRが付けられているのは共通であった。
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2次車 (101 - 272)
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「国鉄キハ55系気動車」の記事における「2次車 (101 - 272)」の解説
1959年から製造の改良型。キハ55 101 - 270に準じ、一段上昇窓となった。本グループから2両が事故廃車されている。
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2次車 (6 - 15)
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「国鉄キハ55系気動車」の記事における「2次車 (6 - 15)」の解説
1960年製造。キハ55 101 - に準じた後期形。エンジンはDMH17Cに変更。台車はDT22A・TR51A。
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2次車(3738・3748編成)
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「京成3700形電車」の記事における「2次車(3738・3748編成)」の解説
1992年(平成4年)度と1993年(平成5年)度はAE100形の増備や3400形を新たに製造するため、本形式の製造はなかったが、1994年(平成6年)度に増備が再開され、同年12月に2次車の3738編成が、続いて1995年2月に3748編成が落成した。 1次車との相違点は下記の通りである。 正面への排障器(スカート)の装着 先頭車への車椅子スペースの設置 室内の冷房装置フィルターの小型化 前面の種別表示窓の周りの出っ張りがなくなり、平面化 行先・種別表示器の書体に小文字併用の英字併記細ゴシック体(ナール)を採用 発車予告の車外放送に音量調整機能(大・中・小)を追加(検査時に音量調整なしの出力増幅器になる場合あり)。同時に乗降促進チャイム音を3400形と同様のものに変更。 車掌台側設定器上へのカバン置き台の新設 前面窓ガラスと計器盤の隙間に物を落とさないようにゴムを取り付け 乗務員室仕切扉下部へのルーバー取り付けとそれに伴う仕切り扉の遮光板の遮光幕への変更 車掌台と運転台の各足元への暖房器の増設 京急空港線京急蒲田駅付近の急曲線に対応させるため妻面の雨樋を内側に取り付け 1次車においても、7.と8.については改造で施工、5.の種別・行先表示器については1998年(平成10年)11月18日の「エアポート特急」運転開始時のダイヤ改正までに交換(種別表示器は2002年10月ダイヤ改正による新種別登場により再度交換)された。1.のスカートに関しては両編成とも六角形のタイプを搭載していたが(写真参照)、1995年4月に3748編成が、同年5月に3738編成がそれぞれ現行の逆台形タイプに変更され、1次車も後に設置し、以後の新車はすべて同タイプを採用した。 3748編成は2015年(平成27年)3月に帯色と側面プレートを変更し北総鉄道にリース、7818編成となったが、2020年6月12日に青砥駅構内で脱線事故を起こした。2021年6月30日付けで北総鉄道から除籍、元7812、7814号車(リース前は初代3742、3744号車)を抜いた6両編成で京成電鉄へ返却され元の3748編成に戻った。なお6両化の際、元7815号車は上野方パンタグラフを増設のうえ5号車から2号車へ移動(編成組み換え)、2代目3742号車となっている。 3738編成も千葉ニュータウン鉄道9808編成として2017年にリースされた。 種別表示窓の周辺が平面化された2次車(3738編成)(2009年1月3日) 六角形タイプのスカートを装着していた頃の2次車(3738編成)(1995年5月14日 八広駅 - 四ツ木駅間) 北総7300形7818編成としてリースされていた頃の3748編成(2016年8月5日)東松戸駅 千葉ニュータウン鉄道9800形9808編成としてリースされている3738編成(2020年9月6日 京成高砂駅) 7818編成として運用後、北総鉄道からリースバックされ、6両編成になった3748編成(2021年1月13日 京成八幡 - 菅野駅間)
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2次車(1000・1100番台)
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「JR東海キハ25形気動車」の記事における「2次車(1000・1100番台)」の解説
2014年9月に最初の3編成 (1001+1101 - 1003+1103) が日本車輌製造より出場した。後に同年11月から翌2015年2月にかけて5編成 (1004+1104 - 1008+1108) が、2015年5月から同年6月にかけて4編成 (1009+1109 - 1012+1112) がそれぞれ日本車輌製造を出場した。 2020年4月1日現在は1001+1101 - 1008+1108の8編成が美濃太田車両区に、1009+1109 - 1012+1112の4編成が名古屋車両区に配置されている。高山本線・太多線用はP編成、紀勢本線・参宮線用はM編成と称する。このうちM4編成(1012+1112)は新製当初名古屋車両区所属だったが、2017年3月4日付で美濃太田車両区に転属した。その後、2019年3月5日付で名古屋車両区に再転属している。 編成表は以下の通り。 キハ25形 2次車寒地仕様編成表編成番号キハ25-1000 キハ25-1100 P1011001 1101 :: : P1081008 1108 M11009 1109 :: : M41012 1112 キハ25-1003 キハ25-1103
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