運転開始
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会社が成立したものの、翌1907年(明治40年)に日露戦争後の反動不況が発生してしまい、1908年(明治41年)まで約1年の事業中断を余儀なくされた。1908年1月7日に起工式を挙行するも、着工後も難工事が続き、ことに水路隧道工事が困難を極め発電所の完成をさらに遅らせる結果となった。開業の遅れや工事費の肥大化に名古屋電力が苦悩するのを見て、名古屋における既存電気事業者である名古屋電灯は名古屋電力の合併に動き出し、1910年(明治43年)10月に名古屋電力を吸収した。合併の結果、八百津発電所の建設は名古屋電灯に引き継がれた。 翌1911年(明治44年)6月、発電所の水路工事が竣工した。これを受けて仮通水を始めるが、水路の一部が崩落する事故が発生する。水路の修理は同年10月に完了し、通水を再開すると今度は無事に通水できた。次いで電気工事も竣工したため、11月5日から逓信省による検査が始まった。ところが14日、検査中の2号水車のケーシングが破裂する事故が発生し、検査にあたっていた逓信省技師と発電所作業員の2名が即死するという事故が発生した。事故の調査報告によると、ケーシング破裂は水撃作用(ウォーターハンマー)が直接の原因で、ケーシングの強度に欠陥があったことが由来とみられるという。 排水後、水車・発電機2台分について検査を続行、11月30日に逓信省の仮使用認可を得た。そして名古屋市内配電用変電所の完成を待って翌12月10日送電開始に漕ぎつけた。その後事故水車の修理と未完成の水車・発電機1台も完成し、1912年(明治45年)7月までに全設備の使用が開始されている。なお発電所の名称は当初「木曽川発電所」であったが、1917年(大正6年)6月1日より「八百津発電所」となった。 完成した八百津発電所の出力は7,500キロワットで、その発生電力は66キロボルト送電線にて名古屋市郊外萩野村(現・名古屋市北区)の萩野変電所へと送電された。この八百津変電所は、長良川発電所(出力4,200キロワット)とともに名古屋電灯時代は主力発電所として重きをなした。
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運転開始
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「福島第一原子力発電所1号機の建設」の記事における「運転開始」の解説
1971年3月26日、GEから東電に正式にキーが渡され(イミテーション的な意味を込めて、実際に鍵が製作され引渡し式にて納入された)、1号機は公式にも運開を迎えた。電力系統全体へのインパクトとしては、1970年夏季ピーク終了以降、本機の竣工の他君津火力発電所3号機(35万kW)、勿来火力発電所7号機(25万kW)、鹿島火力発電所1号機(60万kW)などが加わったため、供給力は売電を含め1805万kWとなり、1971年夏季の供給予備率は5.8%と予想され「ほぼ適正に近い」とされた。46万kWでの運転開始は8ヵ月後の1971年11月30日の午後からである。 1971年5月10日の慰霊祭では本機建設による殉職者は4名とされている。
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運転開始
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神戸-京都間の直通特急の運転構想は、京阪との分離交渉と並行して進められていた。直接の経緯は1948年末に神戸港に入港した外国人観光客が阪急に対して神戸-京都間の直通列車の運転を要望したことに始まる。 しかし、新京阪線が1928年に1500Vに昇圧されていたのに対して、神宝線は未だ600Vのままであり、なおかつ京都線所属の100形では車体寸法が大きすぎて神戸線への入線が不可能だった。そこで、当時神戸線最新鋭の700系のうち、702-752と703-753の2編成を複電圧車両に改造して直通運用に充当することとなった。改造工事は1949年11月中に完了し、11月29日から12月1日の3日間にわたって神戸-京都、十三-梅田、西宮北口-宝塚の各区間において試運転が実施された。なお、753のみ試運転期間中はサロンルーム的な車内に改造し、リクライニングシートなどを配置していたが、営業開始前に元のロングシートに戻されている。試運転中に大きな問題が発生しなかったことから、京阪分離直後の1949年12月3日から、中央貫通扉に翼をモチーフとした「特急」、左右に「神戸」「京都」と書かれた円形の運行標識板を掲げて、平日3往復、日曜祝日3.5往復で西宮北口・十三・高槻市・西院の各駅に停車して神戸-京都間を所要時間70分で走る直通特急の運転を開始した。神戸線では同年4月に特急運転が復活していたが、京都線ではこの列車が戦後初の特急運転となった。乗務員は神戸線所属の乗務員が京都まで担当し、十三駅で電圧転換を行った。表定速度そのものは高くなかったが、比較的軽量な車体に170kW/hのSE-151モーターを700形、750形に各2基搭載していたことから、1500Vの京都線に入ると、瞬間的ながら高いスピードが出たという。
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「運転開始」の例文・使い方・用例・文例
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