1次車とは? わかりやすく解説

1次車(0番台)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:18 UTC 版)

JR東日本253系電車」の記事における「1次車(0番台)」の解説

1990年平成2年)にクロ253形(Tsc) - モハ253(M) - クモハ252形(M'c)の3両編成基本とし、クロ253形は0番台組込んだ編成11本(Ne01 - 11編成)、100番台組込んだ編成10本(Ne101 - 110編成)の計2163両が製造され大船電車区(現・鎌倉車両センター)に配置された。 グリーン車クロ253形)は、前部コンパートメント定員4人)と後部開放式グリーン室(定員20人)の2室に区分されている。開放式グリーン室については、クロ151形パーラーカー似た配列1人掛け座席を2列に設置した0番台と、2人掛け座席1人掛け座席千鳥設置した100番台2種用意された。0番台座席外側30向けて固定することができ、座席間隔は1,090mm(100番台は1,340mm)である。 普通車座席については、フランス製の片持ち式の2人掛けの非リクライニング座席向かい合わせ固定したボックス式クロスシート座席間隔2,040mm)とされた。これは、携行荷物の多い空港利用客配慮して座席の下や背の間の部分荷物置け空間確保するためである。客席内の荷物棚旅客機同様にふたを設けた形態ハットラック式)になっているまた、スーツケースなど大型荷物を置くことが可能な荷物置き場が各車の車端部設置されている。モハ253形の成田空港デッキにはJRインフォライン(JR東日本の英語〈後に韓国語中国語追加〉による電話案内専用電話がある。 開放客室は全席禁煙したためデッキ灰皿設けて喫煙コーナーとした。その後デッキ個室禁煙とされた。 窓ガラスについてはサンゴバン社の製品使用している。

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1次車(1984年度 - 1987年度製)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 17:14 UTC 版)

営団01系電車」の記事における「1次車(1984年度 - 1987年度製)」の解説

02編成 - 第23編成該当する車体メーカー東急車輛製造川崎重工業ほか。 試作車での実績にさらに改良加えた量産車として1984年昭和59年11月30日より順次営業運転就役した。 外観では屋根天井曲線大きくし、車両の高さを20 mm低くした。 車外スピーカー外板取付けから通風口と同じ位置変更尾灯、戸閉車側灯白熱球からLED変更。なお、車側灯尾灯試作車も後にLED式改造されている。 ファンデリアカバーの形状丸型角型変更した座席モケット茶色系でエコーライン区分柄に、シルバーシート当時)は青系でシルバーライン入りそれぞれ変更された。 床敷物は中央部汚れが目立つことから、数色の砂目模様追加することで汚れ目立ちづらくした。また、車内案内表示器大型化され、同時に次駅開扉予告灯も設置された。 1986年度投入の第13編成から消火器従来の車端部天井付近から車端部下のケース格納された。 チョッパ制御装置試作車採用した3社の装置編成ごとに分けている。なお、車両重量試作車より1 tほど軽くなった。試作車登場時(非冷房):編成重量:164.7 t・車両重量:22.0 - 29.5 t 量産1次車登場時(非冷房):編成重量:158.6 t・車両重量:21.1 - 28.5 t 将来CS-ATC化に備えて誘導障害防止のためチョッパ装置周波数変更高周波化)を実施した車両使用される電線従来から難燃性電線使用してきたが、万が一火災発生時に有毒ガス発生しないノンハロゲン電線難燃性低煙電線)の使用変更した。 このグループまでは非冷房落成したが、1990年 - 1995年冷房装置搭載改造施工した。非冷房時代車内天井ファンデリア設置されていたが、冷房化の際にラインデリアに変更されたほか車体全長冷風ダクト新設が行われた。 暖房装置冷房搭載後も設置されていない試作車も同様)

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1次車(0・100番台)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:54 UTC 版)

JR東海キハ25形気動車」の記事における「1次車(0・100番台)」の解説

1次車(0・100番台)は、2010年11月10日最初の2編成出場続いて2011年2月23日に3編成出場し2両編成5本の合計10両が導入された。2020年4月1日現在、1+101 - 5+105の5編成全車美濃太田車両区配置されている。落成時の配置基地名古屋車両区で、2015年3月10日付け美濃太田車両区変更されている。編成表以下の通りキハ25形 1次車編成表編成番号キハ25-0 キハ25-100 P11 101 :: : P55 105 キハ25-3 キハ25-102 キハ25-4ステップ取り付け改造後キハ25-104(ステップ取り付け改造後

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1次車(3000A形)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:00 UTC 版)

横浜市交通局3000形電車」の記事における「1次車(3000A形)」の解説

新横浜 - あざみ野開通に伴う運用増加分として1992年平成4年)に落成した東急車輛製造製で、6両編成8本(第24 - 31編成48両)が在籍する。 無塗装軽量ステンレス車体に水色と青の帯を配する先頭車前頭部はステンレス構体に、FRP成形品を取り付けたもので、丸み帯びている。先頭車の非常扉には、後から横浜市交通局マスコットキャラクターはまりん」のステッカー貼り付けされたが、2008年頃から彩色されステッカー交換された。 座席先頭車運転室後部ボックス式クロスシートで、その他はロングシートである。クロスシート向かい車椅子スペース設置するまた、車内照明(蛍光灯)にはカバー装着されているが、関東鉄道事業者通勤形車両では採用例が非常に少なく過去存在した車両含めて京急2000形程度である。側窓ガラス透明ガラスで、地上区間増えたことからカーテン設置する客用ドア室内側は化粧板仕上げで、幅は1000形2000形比べて300 mm広い1,500 mmとなった。これは後述する2 - 5次車も同様である。2 - 5次車に比べるドアガラスの幅が広く位置が低い。客用ドア上部にはLED2段式の車内旅客案内表示器と路線図式の次駅案内装置一体化した装置札幌市営地下鉄5000形類似のもの)が設置されている。 2号車4号車のあざみ野寄りに設置されている貫通扉機構圧力によるドアクローザ式である。 制御装置三菱電機製GTOサイリスタ素子(2,500V - 3,100A)によるVVVFインバータ制御採用したかご形三相誘導電動機採用保守軽減図られたことから電動車主電動機点検(トラップドア)は省略された。ただし、各車両貫通路前の床面点検設置されている。補助電源装置DC-DCコンバータ方式定格容量120 kW)で、直流750Vを直流600Vに降圧するものである運転台従来車同様に横軸式のマスコン・ブレーキ操作器(前後操作するツーハンドルマスコン)を採用していた。 車両価格は1編成あたり8億8千万円である。 2007年平成19年12月から開始したワンマン運転前に自動列車運転装置 (ATO) 対応改造施され、「3000A形」と呼称されるようになった。これに併せて車内旅客案内表示器の表示内容2次車以降同一になったほか、次駅案内装置には駅名の下に駅番号追加された。 デビューから20年以上が経過し屋根部のスポット溶接亀裂車内床面内部素材経年劣化見られるようになり、当初大規模な改修検討していたが、予想上の費用計上されることとなったため、後述する3000V形・4000形導入により2022年10月から順次廃車される事が決まった。 1次車(3000A形)(2019年5月 上永谷駅車内 1次車の先頭車運転席後部客室設置されボックスシート

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1次車 (7011F - 7131F)

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東京臨海新交通7000系電車」の記事における「1次車 (7011F - 7131F)」の解説

新橋駅 - 有明駅間の開業合わせて1995年平成7年)に導入された。製造数13編成78両)。主回路制御サイリスタ位相制御採用した前面は、虹をブロック状に並べたイメージである。編成内の定員352人で座席定員170人。

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1次車(21101F - 21103F)

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近鉄21000系電車」の記事における「1次車(21101F - 21103F)」の解説

製造当初近鉄難波(現・大阪難波側からモ21100形 (Mc) - モ21200形 (M) - モ21300形 (Mc) - モ21400形 (Mc) - モ21500形 (M) - モ21600形 (Mc) の6両編成とした。モ21300形 - モ21400形は切妻形状の正規運転台装備車で編成から切り離して2両単独本線上を走行できるようになっており、需要少な場合には、その2両を抜いた4両編成として運行することも可能である。このため、モ21200およびモ21500形には入換用運転台装備している。 また、編成のうち、モ21500形 - モ21600形特別車デラックスカー」、他は普通車レギュラーカー」である(当初は「デラックスシート車」「レギュラーシート車」と称した)。 21000系1次車 編成表項目\運転区間近鉄難波 近鉄名古屋号車6 (1) 5 (2) 4 (3) 3 (4) 2 (5) 1 (6) 形式モ21100形 (Mc) モ21200形 (M) モ21300形 (Mc) モ21400形 (Mc) モ21500形 (M) モ21600形 (Mc) 搭載機器◇,CON,◇ DC-DC,CP,BT ◇,CON,◇ DC-DC,CP,BT ◇,CON,◇ DC-DC,CP,BT 自重44.0 t 44.0 t 44.0 t 45.0 t 43.0 t 45.0 t 運転設備運転台 入換用運転台 中間運転台 中間運転台 入換用運転台 運転台 座席種別レギュラー レギュラー レギュラー レギュラー デラックス デラックス 定員56 56 56 56 42 42 車内設備 洗面室トイレ車内販売準備室 洗面室トイレ 車内販売準備室 洗面室・トイレマガジンラック 公衆電話 登場時は近鉄難波ゆきが先頭車6号車近鉄名古屋ゆきも先頭車6号車表示した( )近鉄名古屋ゆき。 搭載機器CON制御装置DC-DC補助電源装置CP電動空気圧縮機BT蓄電池、◇はパンタグラフ搭載位置形式欄のMはMotorの略でモーター搭載車電動車)、Mcのcはcontrollerの略で正規運転台装備車(制御車入換用運転台装備車には冠されない)。 編成定員308名(レギュラーシート224名・デラックスシート84名)。

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1次車 (6011 - 6141)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 10:03 UTC 版)

東京都交通局6000形電車 (鉄道)」の記事における「1次車 (6011 - 6141)」の解説

志村駅 - 巣鴨駅間の開業用として4両14編成56両)を投入した日立製作所当時川崎車輛現・川車両)で製造された。運用終了後日立製の一部車両熊本電気鉄道へ。また唯一冷房改造された6121編成のみがインドネシアへ譲渡されている。製造当時行先方向幕には当初乗り入れ予定だった東武東上線行先(「大和町当時現・和光市)」「志木」「上福岡」「坂戸町当時:現・坂戸)」「東松山」「森林公園」など)も収録されていたが、後述する車体修繕工事の際に交換されている。冷房化改造考慮されていなかったが、6121編成のみ冷房装置取り付けられた。

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1次車 (0801AB・0802AB)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 07:13 UTC 版)

熊本市交通局0800形電車」の記事における「1次車 (0801AB・0802AB)」の解説

以下、2009年導入された1次車の2編成 (0801AB・0802AB) について記述する

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1次車(1962年製造)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 06:42 UTC 版)

西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の記事における「1次車(1962年製造)」の解説

601-651 - 603-653の2両編成3本と、増結用の604製造されている。このうち653新製車ではなく100形制御車156600形改造編入し改番したもので、車体従来の15m2扉のままであり異彩を放った

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1次車(アルミ車)

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山陽電気鉄道3000系電車」の記事における「1次車(アルミ車)」の解説

前面細帯復刻後の3000編成2015年12月 山陽垂水駅1968年増備アルミ付随車3501号車2018年2000系アルミ2012編成ステンレス車2014編成運用実績比較検討した結果軽量かつ保守有利なアルミ車体採用する方針となり、1964年12月3000編成1965年1月3002編成アルミ車体製造された。当初西代駅 - 兵庫駅間に併用軌道存在したため、3両編成運用されていた。 3000-3001-3600 (1964年12月24日竣工) 3002-3003-3601 (1965年1月23日竣工) 神戸高速鉄道開業直前1968年3月には、鋼製2次車同時に3500と3501がアルミ車体製造され4両編成化されている。 3500・3501 (1968年3月7日竣工) 2000系では各部アルミ合金採用したが、貫通路板などアルミ合金製は不向き判断され部品元に戻されるなど、2000系での実用経験3000系反映されている。 側窓の見付2000系アルミ車に準じており、独立した2段窓が扉間に3個、車端部に2個配置されている。2段窓は上段下降下段上昇で、上段の上寸法大きく保護棒が設置された。前照灯ケース形状2012編成踏襲している。 運転台妻面を含む腰板の上下に細い赤帯配するが、前面窓下の帯は1986年着色フィルムによる太い色帯変更された。2015年3000編成1986年以前前面スタイル復元されている。 当初2000系アルミ車と同様、車体クリアラッカー塗装行っていた。パンタグラフ摺板やブレーキシューからの異種金属粉付着による腐食沿岸部重工業地帯からの大気による化学的腐食懸念があったためである。しかし、クリア塗装年数経過による褪色発生したことや、車体腐食洗浄により問題にならない確認されたこともあり、1972年塗装剥離された。以後アルミ車も一部除き塗装である。車体側面には窓下ウロコ模様があったが、後年になり廃止された。 台車2000系設計踏襲し、軸金属ばね台車のOK-25B(電動車)・OK-21D(制御車)を採用した付随車ではウィングばね式金属ばね台車のKW-2Aを採用し後年電動車新調したKW-1Aに、制御車付随車との振替でKW-2Aに換装されている。この振替捻出されたOK台車は3619 - 3622に流用された。 1965年1月26日メーカー川崎車輛によるアルミ車両宣伝映画撮影のため、新造間もない3000系アルミ車の3両編成2本を併結した6両編成(3000-3001-3600+3002-3003-3601)が組成され西代から飾磨まで片道のみ運転された。 アルミ車の冷房化改造1989年3500・3501の2両で最初に実施され、3076・3078編成組み込み編成4両編成化された。続いて3両編成戻った30003002の両編成も翌1990年冷房化実施されている。冷房装置集中式のCU-71Sで、補助電源装置Tcに120kVAの静止形インバータSIV)を搭載しMc車には6kVAのMG予備として1台存置された。 後年3500・3501の2両は塗装されて3060・3062編成一時組み込まれた後、塗装剥離し再度30003002編成戻ったその後再び3076・3078編成組み込まれている。 2017年11月3000編成運用終了後は、中間車3500・3501の2両のみが残っている。

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1次車(1964年製)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:09 UTC 版)

営団5000系電車」の記事における「1次車(1964年製)」の解説

5001 - 5006号・5201 - 5206号・5801 - 5806号 東西線最初開業区間である高田馬場 - 九段下開業用として3両編成6本が製造された。 車内には外気導入押し込み)形の軸流送風機ファンデリア)が設置され車外屋根上の通風器ベンチレーター)は八角形状のものが搭載されていた。主制御器重量配線バランス考慮して車体中央配置していた(2次車の項を参照。)が、後年B修工事時に2次車以降同一形態改造された。 車体識別帯は80 mm幅のステンレス鋼板にアクリル焼付け塗装した帯を配置していたが、1967年昭和42年4月より2次車同様の115 mm幅のアルミ形材帯に交換した。これは次に述べ竹ノ塚検車区当時・現在は千住検車区竹ノ塚分室)における2回目定期検査時(全般検査)に施工をした。当初国鉄乗り入れ機器搭載していなかったが、1966年昭和41年1月から、飯田橋検車区内でATS-B信号炎管取り付け改造施工し同時に先頭車運転席上部営団団章Sマーク貼り付けた

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1次車(第1編成)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 15:10 UTC 版)

京阪5000系電車」の記事における「1次車(第1編成)」の解説

3両編成4両編成分割して運転可能な構成となっている。上述のようにラッシュ時対策として設計されたにもかかわらず客室面積減少する運転台をあえて編成中間設置し編成分割可能とされた背景には、全電気指令式電磁直通ブレーキ (HRD-1) を京阪車両初め採用するにあたって編成中間の運転台故障時の予備として確保する意味合いがあったとされる当時車両部長だった宮下稔鉄道雑誌寄稿した文章で運用率を高めるため」に2ユニット分割可能な編成としたと記している。 このため編成連結順序入れ替わる可能性もあったことから各運転台付き車両前面には、成田リコ貫通幌装着されている。同年製造され2400系第2次車と同じシールドビーム前照灯・尾灯標識灯集電装置台車採用している。 2次車以降とは前面のひさしの形状及び後述尾灯標識灯異なっている。

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1次車 (1 - 5)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:27 UTC 版)

国鉄キハ55系気動車」の記事における「1次車 (1 - 5)」の解説

1956年製。当初キハ44800 - 44804の車両番号付与されたが、1957年4月気動車称号改正改番した。キハ44700(キハ51)形を一回り大きくたような外見で、雨樋縦管は丸管の側面外付けで、タイフォン屋根上に剥き出し設置されている。側面10系気動車同様の立席窓(所謂バス窓)が継続採用された。正面窓キハ10系と同じ小窓であるが、車体構造改善窓下ウインドシル補強帯)が廃された。車内灯はグローブ付き白熱灯。前位戸袋部は2人掛けロングシートであり、前後デッキ部には折りたたみ式補助イスが各2人分設置された。曲線通過時の接触障害除去目的で後位側車端部隅にもRが付いている。

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1次車 (1 - 22)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:27 UTC 版)

国鉄キハ55系気動車」の記事における「1次車 (1 - 22)」の解説

1958年製造初期形キハ55 16 - 46準じ、側窓はバス窓台車はDT22形動台車・TR51形付随台車装着する

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1次車 (1 - 5)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 02:27 UTC 版)

国鉄キハ55系気動車」の記事における「1次車 (1 - 5)」の解説

1958年製造キハ55 16 - 46グループ対応するエンジンはDMH17Bを搭載して製造された。DT22形・TR51形台車装着する

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1次車(3708 - 3728編成)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:39 UTC 版)

京成3700形電車」の記事における「1次車(3708 - 3728編成)」の解説

1次車の3708 - 3728編成1991年3月 - 4月8両編成3本落成し最後まで非冷房残存していた通称赤電」の3000形全車と3050形3076-3075、さらに京急からのリース車両である1000形1037 - 1040を置き換えた落成当初前面スカート存在していなかったが、1995年6月 - 8月にかけて設置されている。 1次車と北総7300形7308・7318編成車外スピーカー乗降促進チャイム音が2次車以降および3400形3500形更新車とは異なる。 1991年3月19日成田空港ターミナル直下乗り入れ時に伴うダイヤ改正当日3200形充当されたが、本形式は翌20日から1995年平成7年4月1日千葉急行大森台 - ちはら台開通に伴うダイヤ改正までは平日夜間に定期運用京成車8両が京急久里浜線三崎口京急線内特急)まで乗り入れていた(三崎口からは折り返し京成成田行として運転。京急線内特急都営浅草線京成線内通勤特急)。同運用当初赤電」と呼ばれる先頭車前位台車モーター装着する車両3100形・3050形など)が使用されることが多かったが、性能違いダイヤに遅れが多発していたことから、本形式3400形増えるとそれらがよく使用された。なお、後述する2次車落成後営業運転開始日から1995年3月30日までの間にこの運用使用され実績もあったが、最終日同月31日3150形充当された。この運用同年4月1日から都営5300形変更された(ただし、三崎口からの折り返し泉岳寺止まり)。以後長らく三崎口への乗り入れ復活していなかったが、2019年8月6日8:30頃に発生した停電によりダイヤ乱れたため同日に1往復限り三崎口入線した。1998年12月以降2012年まで行われた1月3日箱根駅伝対策臨時ダイヤ以外は、羽田空港への乗り入れのみである。 1次車(3728編成)(2021年3月23日 宗吾参道駅 - 京成酒々井駅間) 排障器設置前の北総7300形(7308編成)(2010年6月15日 東松戸駅

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