1次車(0番台)
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「JR東日本253系電車」の記事における「1次車(0番台)」の解説
1990年(平成2年)にクロ253形(Tsc) - モハ253形(M) - クモハ252形(M'c)の3両編成を基本とし、クロ253形は0番台を組込んだ編成が11本(Ne01 - 11編成)、100番台を組込んだ編成が10本(Ne101 - 110編成)の計21本63両が製造され、大船電車区(現・鎌倉車両センター)に配置された。 グリーン車(クロ253形)は、前部のコンパートメント(定員4人)と後部に開放式グリーン室(定員20人)の2室に区分されている。開放式グリーン室については、クロ151形パーラーカーに似た配列の1人掛け座席を2列に設置した0番台と、2人掛け座席と1人掛け座席を千鳥に設置した100番台の2種が用意された。0番台の座席は外側に30度向けて固定することができ、座席間隔は1,090mm(100番台は1,340mm)である。 普通車の座席については、フランス製の片持ち式の2人掛けの非リクライニング座席を向かい合わせに固定したボックス式クロスシート(座席間隔2,040mm)とされた。これは、携行荷物の多い空港利用客に配慮して座席の下や背の間の部分に荷物が置ける空間を確保するためである。客席内の荷物棚は旅客機と同様にふたを設けた形態(ハットラック式)になっている。 また、スーツケースなど大型荷物を置くことが可能な荷物置き場が各車の車端部に設置されている。モハ253形の成田空港方デッキにはJRインフォライン(JR東日本の英語〈後に韓国語・中国語も追加〉による電話案内)専用電話がある。 開放客室は全席禁煙としたため、デッキに灰皿を設けて喫煙コーナーとした。その後、デッキ・個室も禁煙とされた。 窓ガラスについてはサンゴバン社の製品を使用している。
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1次車(1984年度 - 1987年度製)
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「営団01系電車」の記事における「1次車(1984年度 - 1987年度製)」の解説
第02編成 - 第23編成が該当する。車体メーカーは東急車輛製造・川崎重工業ほか。 試作車での実績にさらに改良を加えた量産車として1984年(昭和59年)11月30日より順次営業運転に就役した。 外観では屋根天井の曲線を大きくし、車両の高さを20 mm低くした。 車外スピーカーを外板取付けから通風口と同じ位置に変更。尾灯、戸閉車側灯を白熱球からLEDに変更。なお、車側灯・尾灯は試作車も後にLED式に改造されている。 ファンデリアカバーの形状を丸型→角型に変更した。 座席モケットは茶色系でエコーラインの区分柄に、シルバーシート(当時)は青系でシルバーライン入りにそれぞれ変更された。 床敷物は中央部の汚れが目立つことから、数色の砂目模様を追加することで汚れを目立ちづらくした。また、車内案内表示器は大型化され、同時に次駅開扉予告灯も設置された。 1986年度投入の第13編成から消火器が従来の車端部天井付近から車端部下のケースに格納された。 チョッパ制御装置は試作車で採用した3社の装置を編成ごとに分けている。なお、車両重量も試作車より1 tほど軽くなった。試作車登場時(非冷房):編成重量:164.7 t・車両重量:22.0 - 29.5 t 量産1次車登場時(非冷房):編成重量:158.6 t・車両重量:21.1 - 28.5 t 将来のCS-ATC化に備えて誘導障害防止のためチョッパ装置の周波数変更(高周波化)を実施した。 車両に使用される電線は従来から難燃性電線を使用してきたが、万が一の火災発生時に有毒ガスの発生しないノンハロゲン電線(難燃性低煙電線)の使用に変更した。 このグループまでは非冷房で落成したが、1990年 - 1995年に冷房装置搭載改造を施工した。非冷房時代は車内天井にファンデリアが設置されていたが、冷房化の際にラインデリアに変更されたほか車体全長に冷風ダクトの新設が行われた。 暖房装置は冷房搭載後も設置されていない(試作車も同様)。
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1次車(0・100番台)
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「JR東海キハ25形気動車」の記事における「1次車(0・100番台)」の解説
1次車(0・100番台)は、2010年11月10日に最初の2編成が出場、続いて2011年2月23日に3編成が出場し、2両編成5本の合計10両が導入された。2020年4月1日現在、1+101 - 5+105の5編成全車が美濃太田車両区に配置されている。落成時の配置基地は名古屋車両区で、2015年3月10日付けで美濃太田車両区に変更されている。編成表は以下の通り。 キハ25形 1次車編成表編成番号キハ25-0 キハ25-100 P11 101 :: : P55 105 キハ25-3 キハ25-102 キハ25-4(ステップ取り付け改造後) キハ25-104(ステップ取り付け改造後)
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1次車(3000A形)
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「横浜市交通局3000形電車」の記事における「1次車(3000A形)」の解説
新横浜 - あざみ野間開通に伴う運用増加分として1992年(平成4年)に落成した。東急車輛製造製で、6両編成8本(第24 - 31編成・48両)が在籍する。 無塗装軽量ステンレス車体に水色と青の帯を配する。先頭車前頭部はステンレス構体に、FRP成形品を取り付けたもので、丸みを帯びている。先頭車の非常扉には、後から横浜市交通局のマスコットキャラクター「はまりん」のステッカーが貼り付けされたが、2008年頃から彩色されたステッカーに交換された。 座席は先頭車の運転室後部がボックス式クロスシートで、その他はロングシートである。クロスシートの向かいは車椅子スペースを設置する。また、車内照明(蛍光灯)にはカバーが装着されているが、関東の鉄道事業者の通勤形車両では採用例が非常に少なく、過去に存在した車両を含めても京急2000形程度である。側窓ガラスは透明ガラスで、地上区間が増えたことからカーテンを設置する。 客用ドアの室内側は化粧板仕上げで、幅は1000形や2000形に比べて300 mm広い1,500 mmとなった。これは後述する2 - 5次車も同様である。2 - 5次車に比べるとドアのガラスの幅が広く、位置が低い。客用ドア上部にはLED・2段式の車内旅客案内表示器と路線図式の次駅案内装置を一体化した装置(札幌市営地下鉄5000形と類似のもの)が設置されている。 2号車・4号車のあざみ野寄りに設置されている貫通扉の機構は圧力によるドアクローザ式である。 制御装置は三菱電機製GTOサイリスタ素子(2,500V - 3,100A)によるVVVFインバータ制御を採用した。かご形三相誘導電動機の採用で保守軽減が図られたことから電動車の主電動機点検蓋(トラップドア)は省略された。ただし、各車両の貫通路前の床面に点検蓋が設置されている。補助電源装置はDC-DCコンバータ方式(定格容量120 kW)で、直流750Vを直流600Vに降圧するものである。運転台は従来車両同様に、横軸式のマスコン・ブレーキ操作器(前後に操作するツーハンドルマスコン)を採用していた。 車両価格は1編成あたり8億8千万円である。 2007年(平成19年)12月から開始したワンマン運転を前に自動列車運転装置 (ATO) 対応改造が施され、「3000A形」と呼称されるようになった。これに併せて車内旅客案内表示器の表示内容が2次車以降と同一になったほか、次駅案内装置には駅名の下に駅番号が追加された。 デビューから20年以上が経過し、屋根部のスポット溶接の亀裂や車内床面の内部素材の経年劣化が見られるようになり、当初は大規模な改修を検討していたが、予想以上の費用が計上されることとなったため、後述する3000V形・4000形の導入により2022年10月から順次廃車される事が決まった。 1次車(3000A形)(2019年5月 上永谷駅) 車内 1次車の先頭車の運転席後部の客室に設置されたボックスシート
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1次車 (7011F - 7131F)
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「東京臨海新交通7000系電車」の記事における「1次車 (7011F - 7131F)」の解説
新橋駅 - 有明駅間の開業に合わせて、1995年(平成7年)に導入された。製造数は13編成(78両)。主回路制御はサイリスタ位相制御を採用した。前面は、虹をブロック状に並べたイメージである。編成内の定員は352人で座席定員は170人。
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1次車(21101F - 21103F)
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「近鉄21000系電車」の記事における「1次車(21101F - 21103F)」の解説
製造当初は近鉄難波(現・大阪難波)側からモ21100形 (Mc) - モ21200形 (M) - モ21300形 (Mc) - モ21400形 (Mc) - モ21500形 (M) - モ21600形 (Mc) の6両編成とした。モ21300形 - モ21400形は切妻形状の正規運転台装備車で、編成から切り離して2両単独で本線上を走行できるようになっており、需要の少ない場合には、その2両を抜いた4両編成として運行することも可能である。このため、モ21200およびモ21500形には入換用運転台を装備している。 また、編成のうち、モ21500形 - モ21600形は特別車「デラックスカー」、他は普通車「レギュラーカー」である(当初は「デラックスシート車」「レギュラーシート車」と称した)。 21000系1次車 編成表項目\運転区間 ← 近鉄難波 近鉄名古屋 → 号車6 (1) 5 (2) 4 (3) 3 (4) 2 (5) 1 (6) 形式モ21100形 (Mc) モ21200形 (M) モ21300形 (Mc) モ21400形 (Mc) モ21500形 (M) モ21600形 (Mc) 搭載機器◇,CON,◇ DC-DC,CP,BT ◇,CON,◇ DC-DC,CP,BT ◇,CON,◇ DC-DC,CP,BT 自重44.0 t 44.0 t 44.0 t 45.0 t 43.0 t 45.0 t 運転設備運転台 入換用運転台 中間運転台 中間運転台 入換用運転台 運転台 座席種別レギュラー レギュラー レギュラー レギュラー デラックス デラックス 定員56 56 56 56 42 42 車内設備 洗面室・トイレ車内販売準備室 洗面室・トイレ 車内販売準備室 洗面室・トイレマガジンラック 公衆電話 登場時は近鉄難波ゆきが先頭車を6号車、近鉄名古屋ゆきも先頭車を6号車と表示した。( )が近鉄名古屋ゆき。 搭載機器欄のCONは制御装置、DC-DCは補助電源装置、CPは電動空気圧縮機、BTは蓄電池、◇はパンタグラフ搭載位置。 形式欄のMはMotorの略でモーター搭載車(電動車)、Mcのcはcontrollerの略で正規運転台装備車(制御車。入換用運転台装備車には冠されない)。 編成定員は308名(レギュラーシート車 224名・デラックスシート車 84名)。
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1次車 (6011 - 6141)
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「東京都交通局6000形電車 (鉄道)」の記事における「1次車 (6011 - 6141)」の解説
志村駅 - 巣鴨駅間の開業用として4両14編成(56両)を投入した。日立製作所と当時の川崎車輛(現・川崎車両)で製造された。運用終了後、日立製の一部車両は熊本電気鉄道へ。また唯一冷房改造された6121編成のみがインドネシアへ譲渡されている。製造当時、行先方向幕には当初乗り入れ予定だった東武東上線の行先(「大和町(当時:現・和光市)」「志木」「上福岡」「坂戸町(当時:現・坂戸)」「東松山」「森林公園」など)も収録されていたが、後述する車体修繕工事の際に交換されている。冷房化改造は考慮されていなかったが、6121編成のみ冷房装置が取り付けられた。
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1次車 (0801AB・0802AB)
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「熊本市交通局0800形電車」の記事における「1次車 (0801AB・0802AB)」の解説
以下、2009年に導入された1次車の2編成 (0801AB・0802AB) について記述する。
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1次車(1962年製造)
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「西鉄600形電車 (鉄道・2代)」の記事における「1次車(1962年製造)」の解説
601-651 - 603-653の2両編成3本と、増結用の604が製造されている。このうち653は新製車ではなく、100形の制御車ク156を600形に改造編入して改番したもので、車体は従来の15m2扉のままであり異彩を放った。
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1次車(アルミ車)
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「山陽電気鉄道3000系電車」の記事における「1次車(アルミ車)」の解説
前面細帯復刻後の3000編成(2015年12月 山陽垂水駅) 1968年増備のアルミ付随車3501号車(2018年) 2000系のアルミ車2012編成とステンレス車2014編成の運用実績を比較検討した結果、軽量かつ保守に有利なアルミ車体を採用する方針となり、1964年12月に3000編成、1965年1月に3002編成がアルミ車体で製造された。当初は西代駅 - 兵庫駅間に併用軌道が存在したため、3両編成で運用されていた。 3000-3001-3600 (1964年12月24日竣工) 3002-3003-3601 (1965年1月23日竣工) 神戸高速鉄道開業直前の1968年3月には、鋼製2次車と同時に3500と3501がアルミ車体で製造され、4両編成化されている。 3500・3501 (1968年3月7日竣工) 2000系では各部にアルミ合金を採用したが、貫通路の桟板などアルミ合金製は不向きと判断された部品は元に戻されるなど、2000系での実用の経験が3000系で反映されている。 側窓の見付も2000系アルミ車に準じており、独立した2段窓が扉間に3個、車端部に2個配置されている。2段窓は上段下降・下段上昇で、上段の上下寸法が大きく、保護棒が設置された。前照灯ケースの形状も2012編成を踏襲している。 運転台妻面を含む腰板の上下に細い赤帯を配するが、前面窓下の帯は1986年に着色フィルムによる太い色帯に変更された。2015年に3000編成は1986年以前の前面スタイルに復元されている。 当初は2000系アルミ車と同様、車体にクリアラッカー塗装を行っていた。パンタグラフ摺板やブレーキシューからの異種金属粉付着による腐食、沿岸部の重工業地帯からの大気による化学的腐食の懸念があったためである。しかし、クリア塗装は年数の経過による褪色が発生したことや、車体の腐食も洗浄により問題にならないと確認されたこともあり、1972年に塗装は剥離された。以後のアルミ車も一部を除き無塗装である。車体側面には窓下にウロコ模様があったが、後年になり廃止された。 台車は2000系の設計を踏襲し、軸梁式金属ばね台車のOK-25B(電動車)・OK-21D(制御車)を採用した。付随車ではウィングばね式金属ばね台車のKW-2Aを採用し、後年に電動車は新調したKW-1Aに、制御車は付随車との振替でKW-2Aに換装されている。この振替で捻出されたOK台車は3619 - 3622に流用された。 1965年1月26日、メーカーの川崎車輛によるアルミ製車両宣伝映画撮影のため、新造間もない3000系アルミ車の3両編成2本を併結した6両編成(3000-3001-3600+3002-3003-3601)が組成され、西代から飾磨まで片道のみ運転された。 アルミ車の冷房化改造は1989年に3500・3501の2両で最初に実施され、3076・3078編成へ組み込み両編成が4両編成化された。続いて、3両編成に戻った3000・3002の両編成も翌1990年に冷房化が実施されている。冷房装置は集中式のCU-71Sで、補助電源装置はTcに120kVAの静止形インバータ(SIV)を搭載し、Mc車には6kVAのMGが予備として1台存置された。 後年、3500・3501の2両は塗装されて3060・3062編成へ一時組み込まれた後、塗装を剥離して再度3000・3002編成へ戻った。その後再び3076・3078編成に組み込まれている。 2017年11月の3000編成の運用終了後は、中間車3500・3501の2両のみが残っている。
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1次車(1964年製)
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「営団5000系電車」の記事における「1次車(1964年製)」の解説
5001 - 5006号・5201 - 5206号・5801 - 5806号 東西線最初の開業区間である高田馬場 - 九段下間開業用として3両編成6本が製造された。 車内には外気導入(押し込み)形の軸流送風機(ファンデリア)が設置され、車外屋根上の通風器(ベンチレーター)は八角形状のものが搭載されていた。主制御器は重量や配線バランスを考慮して車体中央に配置していた(2次車の項を参照。)が、後年のB修工事時に2次車以降と同一形態に改造された。 車体識別帯は80 mm幅のステンレス鋼板にアクリル焼付け塗装した帯を配置していたが、1967年(昭和42年)4月より2次車と同様の115 mm幅のアルミ形材帯に交換した。これは次に述べる竹ノ塚検車区(当時・現在は千住検車区竹ノ塚分室)における2回目の定期検査時(全般検査)に施工をした。当初は国鉄線乗り入れ機器は搭載していなかったが、1966年(昭和41年)1月から、飯田橋検車区内でATS-Bと信号炎管の取り付け改造を施工し、同時に先頭車運転席窓上部に営団団章Sマークを貼り付けた。
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1次車(第1編成)
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「京阪5000系電車」の記事における「1次車(第1編成)」の解説
3両編成と4両編成に分割して運転可能な構成となっている。上述のようにラッシュ時対策として設計されたにもかかわらず、客室面積が減少する運転台をあえて編成中間に設置し編成分割可能とされた背景には、全電気指令式電磁直通ブレーキ (HRD-1) を京阪の車両で初めて採用するにあたって、編成中間の運転台を故障時の予備として確保する意味合いがあったとされる。当時車両部長だった宮下稔は鉄道雑誌に寄稿した文章で「運用率を高めるため」に2ユニットに分割可能な編成としたと記している。 このため、編成連結順序が入れ替わる可能性もあったことから各運転台付き車両の前面には、成田式リコ型貫通幌が装着されている。同年に製造された2400系第2次車と同じシールドビーム形前照灯・尾灯・標識灯、集電装置・台車を採用している。 2次車以降とは前面のひさしの形状及び後述の尾灯、標識灯が異なっている。
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1次車 (1 - 5)
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「国鉄キハ55系気動車」の記事における「1次車 (1 - 5)」の解説
1956年製。当初はキハ44800 - 44804の車両番号が付与されたが、1957年4月の気動車称号改正で改番した。キハ44700(キハ51)形を一回り大きくしたような外見で、雨樋縦管は丸管の側面外付けで、タイフォンも屋根上に剥き出しで設置されている。側面は10系気動車の同様の立席窓(所謂バス窓)が継続採用された。正面窓はキハ10系と同じ小窓であるが、車体構造の改善で窓下のウインドシル(補強帯)が廃された。車内灯はグローブ付き白熱灯。前位戸袋部は2人掛けのロングシートであり、前後デッキ部には折りたたみ式の補助イスが各2人分設置された。曲線通過時の接触障害除去目的で後位側車端部隅にもRが付いている。
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1次車 (1 - 22)
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「国鉄キハ55系気動車」の記事における「1次車 (1 - 22)」の解説
1958年製造の初期形。キハ55 16 - 46に準じ、側窓はバス窓で台車はDT22形動力台車・TR51形付随台車を装着する。
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1次車 (1 - 5)
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「国鉄キハ55系気動車」の記事における「1次車 (1 - 5)」の解説
1958年製造。キハ55 16 - 46グループに対応する。エンジンはDMH17Bを搭載して製造された。DT22形・TR51形台車を装着する。
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1次車(3708 - 3728編成)
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「京成3700形電車」の記事における「1次車(3708 - 3728編成)」の解説
1次車の3708 - 3728編成は1991年3月 - 4月に8両編成3本が落成し、最後まで非冷房で残存していた通称「赤電」の3000形全車と3050形3076-3075、さらに京急からのリース車両である1000形1037 - 1040を置き換えた。落成当初は前面スカートが存在していなかったが、1995年6月 - 8月にかけて設置されている。 1次車と北総7300形7308・7318編成は車外スピーカーの乗降促進チャイム音が2次車以降および3400形・3500形更新車とは異なる。 1991年3月19日の成田空港ターミナル直下乗り入れ時に伴うダイヤ改正当日は3200形が充当されたが、本形式は翌20日から1995年(平成7年)4月1日の千葉急行線大森台 - ちはら台間開通に伴うダイヤ改正までは平日夜間に定期運用で京成車8両が京急久里浜線三崎口(京急線内特急)まで乗り入れていた(三崎口からは折り返し京成成田行として運転。京急線内特急、都営浅草線・京成線内通勤特急)。同運用は当初「赤電」と呼ばれる先頭車前位台車にモーターを装着する車両(3100形・3050形など)が使用されることが多かったが、性能の違いでダイヤに遅れが多発していたことから、本形式と3400形が増えるとそれらがよく使用された。なお、後述する2次車も落成後の営業運転開始日から1995年3月30日までの間にこの運用に使用された実績もあったが、最終日の同月31日は3150形が充当された。この運用は同年4月1日から都営5300形に変更された(ただし、三崎口からの折り返しは泉岳寺止まり)。以後長らく三崎口への乗り入れは復活していなかったが、2019年8月6日8:30頃に発生した停電によりダイヤが乱れたため同日に1往復に限り三崎口へ入線した。1998年12月以降は2012年まで行われた1月3日の箱根駅伝対策臨時ダイヤ以外は、羽田空港への乗り入れのみである。 1次車(3728編成)(2021年3月23日 宗吾参道駅 - 京成酒々井駅間) 排障器設置前の北総7300形(7308編成)(2010年6月15日 東松戸駅)
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