8両編成
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「韓国鉄道公社331000系電車」の記事における「8両編成」の解説
← 砥平 汶山 → 号車12345678製造年車両形態形式331000形331100形331200形331300形331400形331500形331600形331900形区分Tc M M' T T M M' Tc 搭載機器SIV,CP,BT CI CI,Mtr CI CI,Mtr SIV,CP,BT 車両番号331001:331013 331101:331113 331201:331213 331301:331313 331401:331413 331501:331513 331601:331613 331901:331913 2009年 1次車 331023:331026 331123:331126 331223:331226 331323:331326 331423:331426 331523:331526 331623:331626 331923:331926 2012年 2次車 331027 331127 331227 331327 331427 331527 331627 331927 凡例 CI (Converter・Inverter) -主変換装置(コンバータ装置 + VVVFインバータ装置) SIV -静止形インバータ CP -空気圧縮機 BT -蓄電池 Mtr -主変圧器 備考 青緑色背景(■)の車両は2014年製 パンタグラフは、M'(331200形、331600形)に下枠交差形を2基ずつ搭載する。
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8両編成
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最初に製造されたグループである。2001年1月24日に営業運転を開始した。6000系の代替として新宿線乗り入れも考慮した設計が採用されている。2000年に2編成、2001年に3編成、2002年から2004年にかけて毎年各1編成の合計8編成64両が製造され、番号末尾奇数が日車製、偶数が東急製である。9707編成と9708編成では冷房出力が48.84 kWから58.14 kWに増強され、SIVの容量が170 kVAから210 kVAに変更されている。 ← 新宿 京王八王子・橋本・高尾山口 → 形式クハ9700 デハ9000 デハ9050 サハ9500 サハ9550 デハ9000 デハ9050 クハ9750 区分Tc1 M1 M2 T1 T2 M1 M2 Tc2 車両番号97019702970397049705970697079708 90019002900390049005900690079008 90519052905390549055905690579058 95019502950395049505950695079508 95519552955395549555955695579558 91019102910391049105910691079108 91519152915391549155915691579158 97519752975397549755975697579758 2000年12月2000年12月2001年11月2001年11月2001年12月2002年10月2003年10月2004年6月 搭載機器 CON・PT SIV・CP・PT CON・PT SIV・CP 自重25.0 t 34.0 t 33.0 t 25.0 t 25.0 t 34.0 t 33.0 t 25.0 t 定員141 153 152 152 152 152 153 141 凡例 Tc …制御車、M …中間電動車、T…付随車、CON…制御装置、SIV…補助電源装置(静止形インバータ)、CP…電動空気圧縮機、PT…集電装置(京王八王子寄り)以下同じ。
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8両編成
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1995年(平成7年)以降は8両編成での製造に移行した。8両編成では番号が番号下2桁を21 (71) から附番し、分割併合が考慮されなかったことから新形式サハ8500形・サハ8550形を含む8両貫通編成となった。自動連解結装置が装備されなかったため、先頭車スカートに同装置用の切欠がない。1999年にかけて13編成が製造され、6編成が日車製、7編成が東急製である。8725編成以前の編成は正面行先・種別表示装置が幕式、側面がLED式で製造されたが、8724編成と8725編成は営業入り前に、その他の編成は営業入り後に正面もLED式に交換された。8726編成以降は製造時から正側面ともLED式である。8726編成以降は車両間に転落防止外幌が設置され、2001年までに既存車にも追加された。8723編成以降は貫通仕切戸のガラスが従来の薄ブラウンから無色に変更されている。最終製造の8732編成と8733編成は台車が軸梁式ボルスタレス台車TS-1017、TS-1018に変更された。 ← 新宿 京王八王子 → 製造者 竣工時期 形式クハ8700 デハ8000 デハ8050 サハ8500 サハ8550 デハ8000 デハ8050 クハ8750 区分Tc1 M1 M2 T1 T2 M1 M2 Tc2 車両番号8721872287238724872587268727872887298730873187328733 8021802280238024802580268027802880298030803180328033 8071807280738074807580768077807880798080808180828083 8521852285238524852585268527852885298530853185328533 8571857285738574857585768577857885798580858185828583 8121812281238124812581268127812881298130813181328133 8171817281738174817581768177817881798180818181828183 8771877287738774877587768777877887798780878187828783 東急東急日車日車日車日車東急東急東急東急日車東急日車 1995年1月1995年2月1995年2月1995年3月1995年3月1995年10月1995年11月1996年12月1998年2月1998年3月1998年3月1999年1月1999年1月 搭載機器 CON・PT SIV・CP・PT CP CON・PT SIV・CP 自重28 t 37.5 t 36.5 t 27 t 28 t 37.5 t 36.5 t 28 t 定員143 155 154 154 154 154 154 143
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8両編成
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基本的な編成例。 ← 豊橋 岐阜 → 形式モ7500 モ7650 モ7650 モ7550 モ7550 モ7570 モ7570 モ7500 区分Mc1 M2 M1 M2 M1 M2 M1 Mc2 搭載機器MG,CP CON,PT MG,CP CON,PT MG,CP CON,PT MG,CP CON,PT 定員100 100 100 100 100 100 100 100
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8両編成
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「京急1000形電車 (初代)」の記事における「8両編成」の解説
8両編成は登場以降1978年(昭和53年)まで都営浅草線への乗り入れが最大6両編成に制限されていたことから朝ラッシュ時の12両編成非乗り入れ特急の基本編成、快速特急として運用され、2000形登場まで夏季定員制列車「ミュージックトレイン号」にも使用された。1978年に8両編成の地下鉄乗り入れが開始されたが、1987年(昭和62年)までは朝夕各6往復に限定されており、朝ラッシュ時の通勤快特、日中から夕方の快速特急を中心に運用された。1987年から朝夕ラッシュ時の乗り入れ特急が8両編成化され、2000形の増備も進行したため8両編成は都心乗り入れ運用を中心に運用された。この時点で全編成を固定編成とすると日中運用する6両編成が不足するため、2+6編成を貫通幌でつなぎ、「8両固定編成」として都営地下鉄乗り入れに充当、日中は2両編成を切り離した6両で運用する編成が組成された。2+6編成には編成表上にも2+6の8両編成として記載され、8両編成と同様に運用されたものとそれぞれ別の編成として記載され、組み合わせが毎日変更されるものの2種が存在した。同時に4+4編成を貫通幌でつなぐ編成も出現したが、こちらは全編成4+4の8両編成として編成表に記載されていた。その後1988年(昭和63年)秋に都心乗り入れ特急が終日8連化され、翌1989年(平成元年)から1500形の都心乗り入れ運用への充当が始まったため2+6編成は消滅、4+4編成は廃車の進行に伴って一旦消滅した。2001年(平成13年)9月15日のダイヤ改正から日中の都営浅草線直通快特の最高速度が120 km/hに引き上げられたが、本形式は120 km/h対応の増圧ブレーキ装備工事対象とはならなかったため、これ以降ダイヤ乱れや、2007年の一時期を除いて日中の快特には運用されなくなった。8両編成は2008年8月に1351編成の中間車を1329編成と1381編成に移動させたことで中間に先頭車を含まない貫通編成が消滅、その後同年11月まで1351編成と1381編成が4+4編成を組み、8両編成として運用されていたが、新1000形1097編成の導入に伴って分割され、8両編成が消滅した。 1975年(昭和50年)9月から1979年(昭和54年)6月にかけてサハ770形を5・6号車に含む8両編成が存在し、ラッシュ時を中心に運用された。
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