付随車
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鉄道車両における付随車(ふずいしゃ)とは、電車・気動車など複数車両に動力を分散配置する方式である動力分散方式において、動力をもたない車両のことである。したがって、同じように無動力であっても、機関車などに牽引される客車や貨車は含まれない。英語のTrailerの頭文字をとって、Tと略記される。
- ^ 名古屋鉄道・近畿日本鉄道・西日本鉄道では、等級を表す「ロ」や「ハ」などの文字と組み合わせず、付随車はすべて「サ」1文字としている。
- ^ 尚、「付随車」の「フ」では既存の緩急車の記号と重複することになる。
- ^ 私鉄では、付随車で運転台があっても「サ」を付けていた1940年(昭和15年)以前の武蔵野鉄道(西武鉄道の前身)の事例(この時点の同社には本項で述べている運転台のない付随車は存在していない。)や、付随車にもかかわらず、会社として「サ」の設定がないため制御車の「ク」を付けていた京成電鉄の事例がある。
- ^ 藤井信夫「南海電気鉄道 南紀直通夜行列車の変遷」『鉄道ピクトリアル』No. 985私鉄の夜行列車、電気車研究会、2021年5月、pp. 66 - 77、ISBN 978-4-89980-168-9。
- ^ 車載に適した、小型軽量かつ高出力を発揮するエンジンがなかったため。
付随車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/05 15:25 UTC 版)
「京浜電気鉄道の4輪電車」の記事における「付随車」の解説
付随車は廃車される車両が出る都度番号を詰める様改番が行われていたようだが、記録が見つかっていない。明治末期の車両台帳には付随車は1 - 10の10両と記載されており、下表で1926年廃車となっている車両のうち3両が明治時代に廃車されていた可能性がある。 1899年1900年1901年1902年1904年廃車備考5 1 1 1 1 1926年? 6 2 2 2 2 1926年? 5 5 5 5 1926年? 3 3 3 3 1926年? 電動車3の車体流用 4 4 4 4 1926年? 電動車4の車体流用 6 6 6 1907年? 電動車1の車体流用? 7 7 7 1926年? 電動車2の車体流用 8 6 8 8 - 1904年? スプレーグ式電車 9 9 1926年? 10 10 1926年? 11 11 1926年? 12 12 1926年? 13 13 1926年? 14 14 1907年? 15 15 1926年?
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付随車
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「ダルムシュタット市電」の記事における「付随車」の解説
SB1 - 1913年に10両(107 - 116)が製造された、ST2と同型の付随車。1965年まで使用された。 SB2 - 1920年に15両(117 - 131)が製造された車両。本来はトルコ向けとして作られた経緯を持つ。1962年まで使用された。 SB3 - 1926年製の付随車。10両(132 - 143)が製造され、子供向け車両として残存した1両(132)を除き1970年までに廃車された。 SB4 - 1897年の電化路線開通時に導入された2軸車を改造した形式。1927年から1932年までに13両(144 - 156)が導入され、1958年まで使用された。 SB5 - ST5と同型の付随車。1947年に9両(171 - 179)が導入され、2021年現在は1両(171)が現存する。 SB6 - ST6と同型の付随車。1951年から1954年にかけて18両(181 - 198)が製造された。1987年まで使用され、2021年現在は182が動態保存されているほか、一部は団体用車両「Datterich-Express」用に改造され残存する。 SB6' - レーゲンスブルク市電からの譲渡車。4両(199 - 202)が導入され、廃車後は1両がレーゲンスブルクへ返還された一方、ダルムシュタットには1両が静態保存されている他、1両分の車体が現存する。 SB7 - ST7およびST8との連結運転を前提に設計されたボギー車。1965年に12両(151 - 162)が製造され、SB09に置き換えられる1994年まで使用された。2021年現在は1両(154)が保存されている他、地元の消防団の訓練用として1両が残存する SB8 - ビーレフェルト市電から譲渡された付随車。1988年から営業運転に投入されたが、1994年に引退し、短期間の使用期間に終わった。
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付随車
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付随車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 14:03 UTC 版)
動力車不足を補うため、1965年から1968年にかけて韓国鉄道庁が所有していた仁川工作廠で33両の付随車が日本製動車への増結用車両として製造された。車体はピドゥルギ号向け客車と同じ構造で座席配置はオールロングシートであった。1965年に製造された4両は両開きの乗降扉が両端に2箇所設置された一方、1966年・1968年製の29両は中央部に乗降扉が増設された。主要諸元は以下の通りである。 車両番号(製造時)製造年全長全幅全高自重着席定員軌間備考19401-19404 1965年 21,100mm ? ? 31t 69人 1,435mm 19411-19439 1966年 - 1968年 21,100mm ? ? 35t 70人 1,435mm
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