試作車とは? わかりやすく解説

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試作車

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プロトタイプ

(試作車 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/18 08:12 UTC 版)

プロトタイプ: prototype)は、原型[1]。最初の、形にしたもの。それを土台にしてさまざまなパターンを生み出してゆくための、最初のもの[2]。試作品[1]


  1. ^ しに」という意味になるように造語された用語である。ただしこの言葉を使う人が皆、これを言う前に毎回それをはっきり意識しているかどうかは定かではない。
  2. ^ 野球で打席に立ってバットを振っても、出塁できるのは通常は2〜3割程度にすぎず、残りの7〜8割は結果が出ずベンチに戻る、というのと同じことが、開発の世界でも通常は起きている。消費者の側は、製品化されて自分が眼にすることになったものばかりに気を奪われ、そういったもののプロトタイプの情報ばかりを見ているので、プロトタイプはきっと量産化すると勘違いしているきらいがあるが、そうではなく、たいていのプロトタイプは、何度か作っても期待ほど使い勝手が良くなかったり、期待の性能値が出せなかったり、仕様を詰めて生産コストなどを計算してみたら採算が採れないと判明するなどして、製品化されずに終わる。形にしたことでそのようなことが分かり、無謀な大量生産をせずに済み、破綻を免れることができるということも、プロトタイプを作る目的のひとつである。
  3. ^ いきなりの大量生産したとして、生産ラインの端から次々と出てきたものを見て、その段階で、ほぼ間違いなく品質が不完全な品(不良品)だと気づくことになる。(「かも知れない」ではない、ほぼ間違いなく、である)、大量の不良品を作る結果を生み、不良品は販売することもできず、うっかり販売すれば自社製品の信用はガタ落ちとなりその後は自社製品の売上は低迷する。またうっかり販売してしまった不良品は自社負担で(送料なども負担するなどして)回収しなければならなくなり大赤字であるし、また不良在庫の山を作り出し結局廃棄物として処分するのに莫大な費用がかかる。小規模な会社やスタートアップ企業なら不良品の大量生産を1〜2回するだけで倒産する。大企業も数回やらかすと信用がガタ落ちとなり、販売が低迷し、没落してゆく。もちろん、滅びたければ、どんなガラクタでも大量生産はできる。
  4. ^ 日本においては、プロトタイプの段階から次の段階へ進み、人々に見せてもよい段階に入ったものは「デモ版」「デモ・プログラム」「ベータ版」、まれに「アルファ版」(ベータ版の更に手前)などと呼ばれる。
  5. ^ 他社との競争に勝つために開発段階の技術は、基本的に、他社に漏れないようにする。 秘匿のしかたについて言うと、 サスペンションエンジントランスミッションなどの見えづらい部分について新しい技術を導入する場合、現行型を改造してプロトタイプとする場合もある(その場合、外観ではプロトタイプとは知られない)。フレームや雨避けに関するプロトタイプだと、見る人が見れば現行車種と異なることが分かり、プロトタイプとバレてしまう。秘匿するために、スタイリング決定後に公道で試験を行うプロトタイプは、人々に知られないように、覆面偽装を施すこともある。
  6. ^ 例外はある。人間は他人(他社)の秘密を知りたがるという心理的性質を利用して、まるで釣りの疑似餌のように、人々の関心を釣るために使うのである。マーケティングブランディング手法のひとつである。プリンス・R380トヨタ・2000GT速度記録試験車、果てはソニーが次世代のカーエレクトロニクス・カーデバイスの検証用として試作されたセダン型電気自動車・VISION-Sなどは、宣伝目的で、意図的にメディアに露出された。
  1. ^ a b 精選版 日本国語大辞典「プロトタイプ」
  2. ^ Merriam Webster, prototype.
  3. ^ McDermott, Kara (2018年7月17日). “Eat your heart out, Elon Musk: Behold these ugly electric cars from Seattle's past” (英語). KUOW. http://archive.kuow.org/post/eat-your-heart-out-elon-musk-behold-these-ugly-electric-cars-seattles-past 2021年6月11日閲覧。 
  4. ^ 試作していても《試作止まり》になってしまうことはあるのだが、"試作車は量産に至るのが当たり前だ" と思っている人は、(事後的に)「量産先行車」「先行量産車」などと呼ぶこともある。
  5. ^ JR北海道の相次ぐ事故、不祥事及び、北海道新幹線の開業準備の計画、安全性に伴い開発が中止されたため。



試作車(901系)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:14 UTC 版)

JR東日本209系電車」の記事における「試作車(901系)」の解説

1992年平成4年3月登場し浦和電車区(現・さいたま車両センター)に10両編成3本30両)が配置された。当初901系と称したが、1994年平成6年1月から3月にかけて量産化改造行った上で本系列の900910920番台とされた。901としての落成当初上部側面帯の色が■黒色であったが、量産化に伴い下部側面帯と同様のスカイブルー変更された。 0番台仕様極力合わせる量産化改造実施されたが、主要機器そのままであった。この特殊仕様保守上の弱点となったことや、車体老朽化0番台比べる顕著となったことから、500番台転入させることによってE233系導入待たず早期運用離脱した

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試作車(1983年度製)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 17:14 UTC 版)

営団01系電車」の記事における「試作車(1983年度製)」の解説

1983年昭和58年5月中旬川崎重工業落成し搬入された第01編成該当する入籍9月営業運転1983年昭和58年12月31日終夜運転からである。正確には、1984年昭和59年1月1日0時15発車の上野駅発浅草駅行きより営業運転開始した営業運転当初の予定量産車登場する1984年秋頃であった本編成は新し方式制御装置採用したため、制御回路から発生するノイズによる軌道回路誘導障害などの確認対策が必要とされ、1983年昭和58年6月より12月まで各種性能試験実施していたが、日中銀座線試運転実施した際に、これを見た乗客から「いつから乗れるのか」といった問い合わせ営団多く寄せられたため、時期大幅に早めることとなった銀座線車両小形であるため、制御方式には機器小形化の見込めるリニアモーター駆動VVVFインバータ制御、分巻チョッパ制御3つ検討した前者2つコスト面などから断念し従来チョッパ制御改良型である高周波分巻チョッパ制御4象限チョッパ制御。1C4M制御方式)を日本の鉄道車両として初め採用した。このチョッパ装置は、従来営団設計製作していたチョッパ装置20 m車用であり、小形銀座線車両には筐体大き過ぎて実装が困難であったことから、同線用として極限まで小型化された。スイッチング素子には設計当時量産段階到達したばかりの大容量GTOサイリスタ採用、これによって主回路構成簡素化が可能となり、従来チョッパ制御装置比べて重量スペースなど約20 %小形軽量化実現している。 この試作車では1両ごとに三菱電機日立製作所東芝製の制御装置搭載している。なお、制御装置は主チョッパ装置電機子チョッパ装置)界磁チョッパ装置2種類チョッパ装置搭載する台車京阪電気鉄道1960年代中盤以降大量採用され曲線通過性能良好評価されていた、軸箱支持装置側梁緩衝ゴム式住友金属工業FS-520(動力台車)・FS-020(付随台車空気ばね台車新規設計された。従来車両と比べ軸距は2,200 mmから2,000 mm短縮、さらに4象限チョッパ制御による回生ブレーキ常用前提にして基礎ブレーキを両抱き踏面式から片押し踏面式に変更し曲線通過時の転向性能の向上と軽量化、それに床下艤装スペース拡大図った主電動機前述通り高周波分巻チョッパ制御であることから、直流分巻他励式整流子電動機分巻電動機)が採用された。営団社内形式はMM-3Aであり、定格値は端子電圧300 V、電流440 A、出力120 kW回転数1,600 rpmである。 銀座線ではその開業以来丸ノ内線車両向け機器試験車であった1400形一時SMEE電磁直通ブレーキ採用した以外は、在来各形式との混用・混結の必要性などから、丸ノ内線向けと同様にWNドライブ採用した車両含めブレーキシステムとしてウェスティングハウス・エア・ブレーキ社 (WABCO) 開発M三動弁によるAMM自動空気ブレーキ、あるいはこれに電磁給排弁を付加して6両編成化を可能としたAMME電磁自動空気ブレーキ長らく使用されてきた。本系列では将来的在来全数置き換えによるATSなどの保安システム含めた銀座線システム全体刷新念頭に置いて在来車との混結を想定しない計画となったことから、応答性優れシステム簡素化が可能、しかもチョッパ制御器による回生ブレーキとの同期連係動作有利な電気指令式ブレーキ採用され前述したように運転台ブレーキ操作制御器と一体化した2軸横軸マスコン統合され操作容易化実現した走行機器類 FS520形動台車 FS020形付随台車 高周波分巻チョッパ装置の主チョッパ装置モーター電機子制御する高周波分巻チョッパ装置界磁チョッパ装置モーター界磁制御する前述のように、車内化粧板つや消し仕上げ座席モケット8000系落成時と同様のワインレッド区分入りのものを、シルバーシート当時)はグレー単色それぞれ採用した。側窓枠についてはアルミ製である。 この編成車内案内表示器デザインの違い3種類あり、次駅開扉予告灯は設置されなかった。前記通り溜池山王駅開業時量産タイプ交換されている。また、そのためドアチャイムも第02編成以降とは異な音色であった

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試作車(X0 → X1編成)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 16:48 UTC 版)

新幹線100系電車」の記事における「試作車(X0 → X1編成)」の解説

試作車である9000番台X0編成1985年3月27日落成1986年8月から10月にかけて量産化改造実施し、X1に改番)は、量産車とは以下にあげる違い見られた。 前照灯角度大きめであり、16号車(124-9001)の窓下V字となっている。 食堂車である8号車168形除いて小窓である。 9号車の東京方に出入り口はなく、10号車の博多方に出入り口があった。量産化改造経て9号車の荷物室の位置出入り口新たに設置され10号車のそれは撤去され新たに荷物となった9号1階部分グリーン個室仕様決定していなかったことから何も設置されず、平屋構造10号車(116-9001)博多方に個室1人用2室・2人用1室)が設置されていた。後に9号車の1階部分にも個室1人用4室・3人用6室)が設置された。量産車との設備統一目的として1986年に、10号車の個室撤去され9号車の個室配置量産車あわせた貫通路の高さが0系と同じ1,800 mm量産車は1,900 mm)である。 特高圧引き通し準備工事実施(X2編成以降コスト削減のために未実施)。 1985年3月27日に公式試運転東京駅 - 三島駅間で行ったその後直ち営業運転使用せず4月には東京駅 - 博多駅間で営業速度での試験実施した。さらに、9月まで速度向上試験実施し米原駅 - 京都駅間230 km/hを、小郡駅(現・新山口駅) - 新下関駅間で260 km/h記録した1985年10月1日から「ひかり3号」(東京8:00博多行き)と折り返し「ひかり28号」(博多15:45東京行き)の1往復いずれもWひかり。ただし後者基本停車駅小郡駅追加)で営業運転開始した食堂車担当日本食堂当日は、営業運転開始当たって東京駅出発式が行われた。ただし、1編成し在籍していなかったため、検査日は0系代走した。 なお、当編成0系3738次車よりも先に落成している。反対に100系最終増備編成であるG46編成300系量産車第1号であるJ2編成より後に落成したが、G46編成の方が先に廃車になった

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試作車(コキ5000,コキ5001)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 08:22 UTC 版)

国鉄コキ5500形貨車」の記事における「試作車(コキ5000,コキ5001)」の解説

1959年昭和34年3月汽車製造チキ5000形として落成した一般長物車同様の全面板張り床板や、下側台形状に狭まった台枠側面補強材形状など特有の形態有するブレーキ装置AD 方式(積空手切替自動空気ブレーキ)と UC 型積空ブレーキ併用する。車端部には留置専用の手ブレーキ設置されるが、デッキ手すりはない。台車85 km/h 走行用に開発された TR91 形である。コンテナ緊締装置チキ5000東急式、チキ5001富士重式を搭載また、5001当初塗色が黒とされていた。 同時に試作された5tコンテナ5000形と共に同年6月から試験運用供され同年11月5日からコンテナ専用列車たから号」に量産車と共に充当された。 1965年昭和40年)にコキ5000形(コキ5000, コキ5001)に改称され1967年昭和42年)のデッキ取付改造によりコキ5500形(コキ6714, コキ6715)に編入された。

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試作車 (BR103.0)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 09:44 UTC 版)

西ドイツ国鉄103型電気機関車」の記事における「試作車 (BR103.0)」の解説

西ドイツ国鉄では1960年代入り特急列車 (TEE, F-Zug) の最高速度200 km/h 運転計画し、そのための線路改良新型機関車製造などの準備行った航空網への対抗、あるいは、日本新幹線刺激されたとも言われている)。その際200 km/h 運転対応の電気機関車として製造されたのが本機である。 それまで特急旅客用電気機関車としては、最高速度160 km/h転に対応したE10.12型(後の112型→113型)が運用されていたが、103型はこれの後継機となるものである1965年にまずE03型 (E03 001 - E03 004) として、試作車4両が製造された。 車体全体的に丸味を帯びた流線型車体で、高速性が強調されるデザインとなったまた、塗色基本的にTEE客車同じくえんじ色クリーム色通称TEE色 (rot-beige)」であり、TEE始めとした特急牽引機であることを強く印象付けるものとなった登場して間もなく当時ミュンヘン開催されていた交通博覧会デモンストレーション的な位置付けで、ヨーロッパで最初となる最高速度200 km/h営業運転ミュンヘン - アウクスブルク間で行う。本格的な200 km/h 営業運転としては、1968年からTEEブラウエル・エンツィアン」号で行われた。 なお、1968年より、「コンピューターナンバー」と呼ばれる新しい車両番体系制定されたことに伴い、E03型は103型 (103 001 - 103 004) と改称されている。量産車後述)の登場後は103.0型と呼ばれるようになった

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試作車(900番台)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:55 UTC 版)

国鉄201系電車」の記事における「試作車(900番台)」の解説

国鉄初の電機子チョッパ制御採用した系列車両先行試作車として、昭和52年第2次債務1979年に5両編成2本の10両が製造された。車両番号900番台区分されクハ201-901ほか5両編成東急車輛製造製、クハ201-902ほか5両編成日本車輌製造となっている。当初配置三鷹電車区(現・三鷹車両センターであった1979年より試運転開始されるとともに同年5月13日には原宿駅宮廷ホーム展示会が行われた。1979年8月20日中央快速線営業運転開始され正面には「省エネ201」のヘッドマーク掲出された。編成中央快速線での営業運転開始前に当時101系103系と同じ3両+7編成組成変更され、1983年量産化改造当時201系量産車と同じ6両+4両編成組成変更された。 車体外板材質熱間圧延軟鋼SPHC引き続き採用し塩化ビニール絶縁屋根布を張り付けている。客用窓は下段上昇上段下降式の外はめ式ユニット窓採用され上段窓にバランサー取付られた。客用扉窓、戸袋窓など固定窓のガラス支持は、Hゴム廃して押え金方式を採用している。車両番号標記は特急形車両同様のステンレス製切り抜き文字採用された。 車内冷房装置搭載前提として構成見直しが行われ、天井構造は平天井となった外部屋根カーブ形状見直され103系比較して緩いものとされた。 冷房装置集中式のAU75系が採用され当時落成していた103系用と同型のAU75B形を1基搭載する冷気平屋根構造車内風洞を介して車内送り込み三菱電機製「ラインデリア」(横流補助送風機)によって扇風機なしでもまんべんなく車内行き渡る構造とした。換気用通風器グローブ形代わりFRP製の角形押し込み式採用されている。 台車はダイレクトマウント(車体直結)式の空気バネ台車で、東急製の901編成にDT46X・TR231Xが、日車製の902編成にDT46Y・TR231Yが採用された。 回生ブレーキ時の離線対策考慮して、試作車ではPS21形パンタグラフが各電動車1ユニット(2両)につき2基ずつ搭載された。 1983年量産化改造が行われ、組成変更電装解除などが行われた。国鉄末期には中央快速線から中央・総武緩行線転用された。 1990年より首都圏線区でATS-Pが本格導入され、201系にも関連機器設置改造が行われたが、試作車はクモハ200形床下空きスペース小さくクハ含めてATS-Pの搭載見送られた。試作車は量産車編成中間組み込まれ営業線では先頭に立たなくなった中央・総武緩行線からの撤退後京葉線転用されたが、老朽化のため2005年11月廃車となった。 試作車落成時の編成表東京 青梅高尾大月号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 形クハ201-901(Tc) ◇モハ201-901(M) モハ200-901(M') ◇モハ201-902(M) クモハ200-901(Mc') クハ201-902(Tc) ◇モハ201-903(M) モハ200-902(M') ◇モハ201-904(M) クモハ200-902(Mc')

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試作車(7501→7500)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 09:28 UTC 版)

ブリュッセル首都圏交通T7700形電車」の記事における「試作車(7501→7500)」の解説

第二次世界大戦以前から、ブリュッセル路面電車では輸送力確保するため電動車付随車牽引する連結運転が実施されていた。だがこれらの車両老朽化進んだ事に加え双方車両間の往来不可能なため両車に車掌配置する必要があり、人件費課題となっていた。そこでブリュッセル首都圏交通は、1951年からアメリカ高性能路面電車であるPCCカー技術用いT7000形の製造実施していたBN英語版)(La Brugeoise et Nivelles)やACEC(Ateliers de Constructions Electriques de Charleroi)と共同で、2両編成旧型電車同等輸送力有する連接車開発取り掛かり1962年に試作車となる7501が製造された。 編成片運転台式の2車体連接車で、3台のボギー台車のうち連接部分設置された1台は主電動機搭載されていない付随台車で、残りの2台の主電動機はT7000形と同じ性能有していた。だが車両が重かった事、ブリュッセル路面電車勾配が急であった事から加速度に難があった。 1970年7500改番された後、1974年付随台車動力台車への交換電気機器強化などの改造実施され走行性能向上した車体についても後方乗降扉が追加された。それ以降後述する量産車と共に使用されたが、1979年以降片運転台車両両運転台改造される中で7500だけは原型片運転台式のまま残り2010年まで営業運転使用された。以降ブリュッセル路面電車博物館英語版)で保存されている。 75001980年撮影

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