新製車
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「西武モハ101形電車」の記事における「新製車」の解説
クハ1111形1114・1115 1953年(昭和28年)11月と1956年(昭和31年)12月の二度にわたって新製された。本グループは2両とも種車を持たず、新製名義で竣功しているが、台車については流用品が用いられ、クハ1114が雑型釣り合い梁式台車を、クハ1115がブリル76E-1をそれぞれ装着した。車体の仕様ならびに外観はモハ104 - 107とほぼ同一であるが、当初より片運転台車として落成したことから窓配置が一部異なる。なお、集電方式がトロリーポール仕様であった当時に新製されたクハ1114は屋根上にトロリーポールを搭載して落成したが、集電方式がパンタグラフに切り替えられた後に新製されたクハ1115については当初より集電装置を搭載せず落成した。
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新製車
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「京浜電気鉄道の4輪電車」の記事における「新製車」の解説
大森延伸対応として、1900年(明治33年)電動車1 - 6・11・12号(1 ‐ 4号は2代目)が製造された。1 - 6号はブリル21E台車、ウエスチングハウス製30馬力電動機を採用した。11・12号は1899年に導入された3・4号と同じく芝浦製のペックハム7Bコピー台車、および芝浦製の25馬力電動機を採用した。芝浦製作所65年史に引用された1901年2月13日付国民新聞に国産台車を採用した京浜電鉄の車両が同年2月10日に試運転をした旨の記載がある。このほか、1900年(明治33年)10月に付随車5号(2代目)が、翌年に付随車9号が導入された。 電動車は当初上等並等合造だったが、1905年(明治38年)上等廃止により並等に格下げされた。3号が1905年に事故廃車となったが、明治末期の車両台帳には3号が記載されており、3代目3号が存在した可能性が指摘されている。
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新製車
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「国鉄トラ20000形貨車」の記事における「新製車」の解説
1943年(昭和18年)に300両(トラ20000 - トラ20299)が、日本車輌製造本店および汽車製造支店で新製されたものである。製造はこの1回のみで終了し、以後は戦時設計車であるトキ900形の量産に移行した。 本形式は、戦時の輸送力増強と資材節約に資するため、長さを15トン積のトムと同じ長さとし、最小限の資材で妻板とあおり戸を上方に延長して17トン積みとする構想で設計された。あおり戸は、トム50000形のあおり戸高さ850mmを15分の17倍した965mmとされた。あおり戸高さを増した関係で、蝶番の位置は、地面との接触を避けるためトムより56mm高くされており、本形式の基本構造は、戦後量産されたトラ35000形を嚆矢とする「コトラ」グループに引き継がれている。 荷台の内法は、長さ7,200mm、幅2,500mm、あおり戸高さ965mm、妻板高さ1,757mm、床面積18.0m2、容積41.4m3で、車体は木製である。あおり戸は片側2枚で、中央部の側柱は取り外し式となっている。その他の主要諸元は、全長8,100mm、全幅2,738mm、軸距4,100mmである。 走り装置は一段リンク式で、最高運転速度は65km/hである。
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新製車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 07:47 UTC 版)
新製車(新規に製造された車輌)と改造車(新製車の改造で発生した車輌)に分け、登場時期の古いものから順に記述する。なお、新製形式であるサハ204形も本節内に記述する。
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