くうき‐ばね【空気発=条】
読み方:くうきばね
空気ばね
エネルギーを蓄えた空気を供給・排出して、ばね特性を制御する可変ばね。補助タンクの併用で低いばね定数と減衰力を得ることができ、レベリングバルブを併用すれば車高制御が可能で、耐荷重力も増すエとができる。トラック、バス用ばねの形には、ベローズ型とスリーフ事型(ダイヤフラム型の一種)がある。いずれもピストンを空気室内に侵入させて空気圧を高める。ゴム膜は、内部にタイヤ用の合成繊維コードと、端部にビードワイヤをもつ。乗用車用のサスペンションストラット頂部に配置するスリーブ型ハイトコントロールシリンダーは、メイン室とサブ室をダイヤフラムで区切り、車高制御バルブでコンプレッサーからサブ室への空気流路を制御している。
参照 エアサスペンション空気ばね
空気ばね
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/27 16:36 UTC 版)
詳細は「空気ばね」を参照 空気の圧縮性を利用したばね機構で、容積を大きくすることでコイルばねを上回る柔らかい特性のばね設計が容易に行える。また、自動高さ調整弁(レベリングバルブ)を使用することで空積にかかわらず床面高さを一定に保て、容積拡大のための補助空気室(通常、台車枠を流用する)とばね本体の間に絞り弁を挿入することで粘性減衰特性を得ることが可能であり、オイルダンパを必要としない。その反面、編成中に元空気溜管を引き通して大容量空気圧縮機を搭載するなどの処置が必要となる。 ベローズ形 - 縦に蛇腹形になったもので、垂直荷重は受けるが、横変形には弱い。 ダイアフラム形 - おわんを伏せたような形で、垂直荷重の他、横変形にも復元力が働くが、用途によってその特性は異なる。 低横剛性空気ばね - 緩衝ゴムを重ねた円筒の上に下面が窪んだ円盤状の空気ばねを組み合わせたもの。主にボルスタレス台車に使用され、その名の通り横剛性を引き下げつつ上下方向のばね作用を確保する。
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空気ばね
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 17:09 UTC 版)
サスペンションのばねとして空気圧を利用する空気ばねは、第二次世界大戦前の黎明期の事例では、金属製の二重円筒などが使用されたことが確認されている。もっとも、これらは着目点は優れていたものの、構造・工作面での不備や金属疲労や摩耗に起因する耐久性の欠如などによって充分な成功が得られず、広く普及するには至らなかった。 この空気ばねが実用的な形で広範に利用可能となり、また実際に利用されるようになったのは、第二次世界大戦後のことである。自動車用タイヤからの技術的な援用によるゴム製ベローズを使用するものが、アメリカでグレイハウンド社などの長距離都市間バスを中心に遅くとも1940年代には一般化していた。これはベローズ形の空気ばねで車体を支持し、高さをレベリングバルブと呼ばれる圧力調整弁で一定に保持するという、以後の空気ばねの基本となるシステムを既に備えていた。車載圧縮ポンプで圧縮空気を確保するセルフレベリング機能付の自動車用空気ばねの着想は早い時期から存在し、確認可能な範囲でも1921年の米国特許1371648号("Pneumatic spring-support for motor-vehicles" Frank, Schmidt 1919年出願)等の古い例があるが、初期にはやはり金属シリンダーを用いるものが多く、実用域に達したのは耐久性に優れるゴムベローズを利用できるようになった1940年代以降である。 鉄道車両への応用も行われ、1953年、アメリカでは、ジェネラルタイヤ社とティムケン社の共同研究により貨車用台車への空気ばね適用が試験され、プルマン社によるトレインX、バッド社によるパイオニアIIIなどの軽量化を狙った客車で空気ばねが採用された。一方で、当時既に斜陽化が指摘されていたアメリカの鉄道界では、低湿度で路盤が強固であるという事情も手伝って、これを鉄道車両に積極的に応用しようという動きは鈍かった。また、当時鉄道先進国と目されていたドイツやフランスなどのヨーロッパ各国でも事情は同様で、枕ばねとしてはコイルばねに防振ゴムを巻いたエリゴばねで満足できる乗り心地が得られていたこともあって、空気ばねの採用に対する関心は薄かった。 日本での空気ばねの鉄道車両への応用としては、1948年頃から日立製作所笠戸工場で空気ばねの研究が進められ、1950年には横浜市電の台車用として試作され実車試験まで行われた。しかし、この研究は金属ベローズの疲労強度上の問題により成功には至らなかった。その後、空気ばねの研究は一時途絶えていたが、1950年代当時新型台車の開発に精力的であった高田隆雄 (1909 - 1989) を中心とする汽車製造の設計チームと同社製台車の主要な顧客であった京阪電気鉄道の二人三脚によって再び実用研究が推進されることとなった。。 1955年に京阪電気鉄道に最初に納入され、1956年8月より同社の1750型1759で試用が開始されたKS-50では、ゴム製空気ばねの寸法的制約から、設計陣の希望する大径のベローズ式空気ばねが採用できず、枕ばねの空気ばね化が叶わなかった。このため、やむを得ず円筒案内式(シンドラー式)軸箱支持機構を備える台車の軸ばね計8本を空気ばね化するという複雑な構造が選択され、枕ばねはコイルばね+オイルダンパーのままとされている。 この試作台車は試験開始後、曲線が多く過酷な軌道条件の京阪線において大成功を収めた。ここでは振動の減衰特性に優れ、しかもレベリングバルブによる空車時と満車時との積空差の自動吸収で床面高さを一定に保てるといった空気ばねの優れた性質が明らかとなった。しかも、一種の妥協策として軸ばねを空気ばねとしていたことがきっかけとなり、1つの興味深い技術成果が得られることともなった。空気ばねによる軸ばねの優れた減衰特性を期待して枕ばねをロックし試験走行を実施してみたところ、走行特性はそれほど低下しなかったものの、乗り心地の著しい低下が発生することが確認されたのである。これにより、走行特性を支配する軸ばね(1次ばね)と、乗り心地を支配する枕ばね(2次ばね)の分担関係が明らかとなり、従来経験則で決定されていた台車のばね定数決定についてのモデル化が可能となって以後の台車設計に大きな影響を残している。 この後も汽車・京阪のコンビは、当初の希望通り大径のベローズ式空気ばねを枕ばねに用いる、日本初の量産実用空気ばね台車であるKS-51を筆頭にKS-57に始まる1自由度系軸箱梁式空気ばね台車(エコノミカルトラック)、KS-68独立回転車輪式台車、KS-75全アルミ製台車など次々に新しい構造の空気ばね台車を開発し、競合他社においてもこれに刺激されて様々な空気ばね台車の開発が行われるようになっていった。 これらと、続いて1958年9月に第一陣が竣工した国鉄20系特急電車およびそれらに装着されていたDT23系空気ばね台車の成功は、空気ばねの乗り心地の優秀性を未採用の私鉄各社にまざまざと見せつける結果となり、以後の日本においては優等車では空気ばね台車の使用が当然、という風潮が醸成された。そればかりか、通勤車であっても空積差を自動調整可能な空気ばねを採用することの有利さが徐々に認識されるようになり、DT21系のコイルばね台車を1980年代半ばになるまで普通車向け標準台車として墨守した国鉄を除くと、1970年代中盤までには日本では通勤車でも空気ばね台車を装着するのが当然、という状況になってゆく。 汽車製造以外の各社による空気ばね台車の研究開発は1957年以降本格化し、国鉄でのDT21Yの試作や東急車輛製造と日立製作所を皮切りに、日本の台車メーカー各社およびそれらと取引のある各鉄道で、試作台車の研究開発が進められた。この中で、汽車・京阪コンビ以外でもっとも積極的にその開発を進めたのは、汽車がKS-51に採用したシンドラー式円筒案内台車と同様の機構を備えるシュリーレン式円筒案内台車の開発を進めていた近畿車輛と、その親会社であり同社製台車の大口顧客でもある近畿日本鉄道(近鉄)である。 1955年当時、近鉄は競合路線である国鉄東海道本線及び関西本線との対抗の必要性から、特急列車の高速化と併せて冷房化や乗り心地の改善などのサービス改善施策を積極的に推進しており、1957年頃には画期的な高性能車であり、かつ以後の日本の有料特急電車の基本形を確立することにもなる、新型特急車(大阪線用10000系ビスタカー)の設計を進めていた。 近隣の汽車・京阪による空気ばね台車の成功を目の当たりにした同社は、1958年に高性能車の試作車である近鉄モ1450形電車の装着していたKD-6の枕ばね周辺を改造して短腕リンク式揺れ枕に空気ばね装備としたKD-25で運用データを採取後、KD-26・KD-27・KD-27A(10000系用)・KD-28・KD-28A(6431系用)として同年6月に製造した特急電車全てに一気に空気ばね台車を装着するという積極性を示した。
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「空気ばね」の例文・使い方・用例・文例
- 空気ばねによる緩衝装置
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