日立製作所笠戸事業所
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日立製作所 笠戸事業所(ひたちせいさくしょ かさどじぎょうしょ)は、山口県下松市東豊井に所在する日立製作所の製造拠点の一つ。鉄道ビジネスユニット(社内カンパニー)の主たる事業拠点である。
注釈
- ^ 特殊車両通行許可が必要になり、通行許可条件が厳しく、一般車両の多い日中に通行できないため。
- ^ なお、当社でも製造される700系以降に登場した新幹線の車両はA-trainと同じアルミダブルスキン構造であるが、A-trainではない(モジュール化されていないため)。
- ^ その後、名古屋市交通局からはN3000形の第1編成を受注したが、このときには既にアルミ合金製車両の生産に特化した体制だったため、アルミ合金製となった(第2編成以降は日本車輌製造が受注したため、ステンレス製となった)。
- ^ 九州旅客鉄道(JR九州)の新製液体式気動車はほぼ日本車輌製造、新潟トランシスで製造している。
- ^ 両社が在来線車両においてステンレス製を中心としているため、製造ラインをアルミ製に特化した現状では受注できないという事情もある。なお、JR西日本では最後の日立製在来線車両となる683系はアルミ製で、JR東海では最後の日立製在来線車両となる383系はステンレス製である。
- ^ 日立造船の日立グループ入りは1934年(終戦後の財閥解体により離脱)。
備考
- ^ 1500番台のみを製造。
- ^ 400系は量産先行車の一部と増結用の429形のみを製造。また、さいたま市の鉄道博物館で展示するE5系の先頭車両のモックアップ(E514-9001)も製造した。
- ^ 旧9・10・13 - 16号車のみを製造。旧1~6号車は川崎重工業、旧7・8号車は近畿車輛、旧11・12号車は日本車輌製造にて製造された。
- ^ ただし台車は川崎重工業車両カンパニー(現・川崎車両)にて製造(在来線電車の305系も同様)。
- ^ 4 - 8号車を製造(1 - 3号車は川崎車両で製造)
- ^ 6両編成のうち特別車両E655-1を含む3両。残る3両は東急車輛製造にて製造された。
- ^ 2000番台を除く。
- ^ 1000番台W3編成のみを製造。
- ^ 4000番台を除く。
- ^ 50番台のみを製造。
- ^ ただし9300系の9308F、9000系の9003F・9006F・9008Fは構体のみ製造で、艤装以降はアルナ車両が担当。
- ^ N3101編成のみを製造。N3102編成以降は日本車輌製造が担当。
- ^ 最初の12編成のみ。残りの110編成はニュートン・エイクリフ工場で製造。
出典
- ^ a b c 高橋豪 (2021年4月30日). “鉄道車両つくり100年、先駆けた技術 日立製作所笠戸事業所”. 朝日新聞 2021年5月30日閲覧。
- ^ (日本語) 電車のつくりかた 前編 - 日立 2019年11月7日閲覧。
- ^ 道路を走る高速鉄道車両見学プロジェクト (PDF) - 下松市産業観光課2017年3月2日
- ^ “鉄道車両 真昼の陸上輸送 3万人が見学 山口・下松”. 毎日新聞. (2017年3月6日)
- ^ “昼間に高速鉄道車両を陸送、沿道に3万5千人”. 読売新聞. (2019年7月15日) 2019年7月15日閲覧。
- ^ “超電導リニア改良型試験車の製作について” (PDF). 東海旅客鉄道株式会社 (2018年12月20日). 2019年1月28日閲覧。
- ^ 日立が相模鉄道株式会社から新型車両を受注(日立製作所ニュースリリース)2017年6月6日閲覧。
- ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 5 南海電気鉄道 上巻』関西鉄道研究会、1996年12月、166頁。
- ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 5 南海電気鉄道 上巻』関西鉄道研究会、1996年12月、168頁。
- ^ 藤井信夫『車両発達史シリーズ 6 南海電気鉄道 下巻』関西鉄道研究会、1998年12月、41頁。
- ^ TX-3000系~製作編~ ロングVer
- ^ “日立製の台鉄新特急、第1陣12両が台湾に到着 花蓮港で陸揚げ”. 中央社フォーカス台湾. (2021年7月30日). オリジナルの2021年7月30日時点におけるアーカイブ。
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