動力車
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動力車(どうりょくしゃ)とは、動力を有する車両のことである。
- ^ かつての『国鉄動力車労働組合』は機関士・運転士の組合であり、「動力車」は機関車、および動力車を含む電車列車・気動車列車そのものを意味していた。
- ^ これは各時代ごとに比較した場合、鉄道車両においては動力車単体での性能差がそれほど顕著ではなく(同一時期に設計された車両、それも同様の目的に供されるものを比較する場合、相互間の性能、例えば主電動機やエンジンの出力に極端な性能差が生じることは少ない)、列車の性能が編成中に含まれる動力車と付随車(制御車を含む)の比率(MT比)で決定される事例が過半を占めることに由来する。換言すれば、列車性能を議論する場で「動力車」が意識されるのは、一般にMT比との関連においてのみである。
- ^ JR西日本の125系などに採用されている。
- ^ なお、営団地下鉄・東京メトロでは「Mc」は簡易運転台付きの電動車を指す。
- ^ ただし山陽の場合、竣工図や許認可申請書類で用いる形式称号においては「クモハ」などの称号を冠しているが、実車では数字による車番だけで、車内等にも一切称号の表記がない。
- ^ 関東では旧『大東急』への統合を経験した各社など。関西では叡山電鉄が現在も用いているほか、かつて大阪電気軌道・神戸電鉄などで用いられた実績がある。
- ^ 「デ」は国鉄でも昭和初期まで用いられていた。
- ^ 内燃化まで使用。
- ^ 市電のラッシュ対策として導入した、「親子電車」の電動車(M101)に付与。なお、制御車はTc1と呼称した。
- ^ 例えばJR西日本223系と設計を共通化した5000系でもJR四国の規則に則った独自の形式番号となっている。
- ^ ただし実車表記の記号番号では「キハ」(三等旅客気動車)や「キニ」(三等旅客・荷物合造気動車)を用いた。
- ^ 国鉄・JRの場合、集電装置をM車に搭載する車種(103系・117系・183系など)とM'車に搭載する車種(113系・381系・485系など)が混在する。115系に至っては、当初から115系として新造された車両はM'車に搭載されているが、117系から編入改造された車両はM車に搭載されている。
- ^ 1 Controller 8 Motorsの略で、2両分で合計8台の主電動機を、1台の主制御器によって一括制御することから、当時近鉄の車両部の幹部であった赤尾公之により命名された。以後、開発の当事者の一つである近鉄などにおいてこの呼称が常用されている。
- ^ 電気ブレーキの使用時には電圧が定格の2倍程度まで達するため低電圧化が必要であった。
- ^ 2両単位の制御となり並列接続時に4個直列となるため、端子電圧は従来(並列接続時に2個直列)の半分となった。
- ^ 101系電車のシステム構成は、三菱のMM'ユニット方式と、東洋電機の中空軸平行カルダン駆動方式、それに東芝のパッケージ制御器、と主要電機メーカー各社の持つ当時の最新技術の集大成となっており、その代償として参加各社は公開されたライバル各社のノウハウを自社製品に使用する権利を得ている。
- ^ もっとも、2000年代以降のVVVF制御車などでは機器の内部構成を並列化(2C8M)し、一部を解放することでユニット全車の共倒れを防ぐ設計の導入が進んでおり、こういったデメリットが表面化する機会は次第に減少しつつある、残った群で過負荷運転するか、電動機を組み替える運転がある。ただし集電装置や主変圧器(故障例は「過熱/発火/発煙/冷却装置異常等」)・真空遮断器等の特別高圧系統の故障は改善できない。N700系/N700Sの場合主変換装置(CI・主な故障例は「CPUの演算エラー/半導体破壊」)ならその群を開放できるが、主変圧器等の特別高圧機器の場合1ユニット使用不能になる。
- ^ この方式は三菱電機社員の松田新市(後の三菱電機伊丹製作所所長)と近鉄社員の赤尾公之(後の常務取締役。同社を代表するラビットカーやビスタカーの開発者の一人としても知られる)の両技師での主導で開発されたものであったとされる。
- ^ この種の機器の集約分散による電動車のユニット構成については、1952年に日立製作所笠戸工場が製造した高松琴平電気鉄道10000形電車が先駆例として知られ、他にも1950年製造の山陽電気鉄道850形電車が制御車にMGとCPを分散搭載する方式の先鞭をつけている。
- ^ 京浜急行ではこの800形の他にも、800形を基本として設計された2000形も1C12M構成となっている。
- ^ 日本では、国鉄781系電車やJR西日本の交直流電車などに見られる。
- ^ 電化方式の異なる各国への直通に対応するため、最大4電源方式対応となっている。
- ^ 青函トンネル通過車両は最悪の場合を想定して1ユニット2両の(集電装置・主変圧器・主変換装置)動力だけで脱出できる。EH800は主変圧器/集電装置が2バンクなので片方だけで走行できる。E5/H5系/arufa-Xは電動車4ユニット2パンタなので、1ユニット/1パンタ(2M8T)で脱出できる(立往生しない為にも)。変電所や架線、饋電装置等の故障で対応できなくなれば救援用ディーゼル機関車に牽引してもらうしかない。
- ^ 私鉄ではMT比1:1を厳密に守るため、同じ系列の電車でもMM'ユニットと1M方式の電動車とを作り分けていた会社もあり、2で割ると奇数になる両数の編成ではユニット方式と1M方式の電動車を混在させたり、2両の付属編成を1M1Tで構成したりする例も多かった。また、この用途のために釣掛式の車輌を増結用として残した例もあった。
- ^ 西日本旅客鉄道(株)殿 321系通勤電車 - 近畿車輛 (PDF)
- ^ 山下道寛, 三木真幸, 大江晋太郎, 島田直人, 山中章広, 北村琢也「速度センサレス電車の主電動機電流情報を用いた空転抑制方式」(pdf)『鉄道総研報告』第31巻第6号、2017年6月、2019年7月9日閲覧。
- ^ 複数台の電動機を一つのインバータで制御する場合、電流一定制御(V/f制御)に限られ、また空転が発生すると他の電動機のトルクが上がるため空転を誘発しやすくなる[26]。ベクトル制御など高応答なトルク制御を実現するためには各電動機ごとに独立したインバータが必要である。
- ^ 車両自体は日本初のオールステンレス車体というエポックメーカーである。
動力車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 00:43 UTC 版)
「ダルムシュタット市電」の記事における「動力車」の解説
ST1 - 輸送力増強を目的に、1903年に16両(19 - 34)が導入された2軸車。1950年代まで使用された。 ST2 - 1913年に15両(35 - 49)が導入された2軸車。複電圧車として製造され、電圧が異なっていたエバーシュタット方面の系統にも対応していた。1965年まで使用された後、2両が現存する。 ST3 - 1925年に18両(50 - 67)が導入された2軸車。2021年現在も一部車両が残存し、うち57は動態保存されている。 ST4 - 1929年に12両(68 - 79)が導入された2軸車。座席が革張りに変更され、1970年まで営業運転に使用された。2021年現在も2両が現存する。 ST5 - 第二次世界大戦後初の新型車両として、1947年に5両(81 - 85)が導入された2軸車。戦時中から終戦直後にかけてのドイツの規格型車両であった「KSW(Kreig Straßenbahn Wagen)」の1つで、1977年まで使用された。これらの車両はその後すべて解体された一方、2008年にダルムシュタット=クラニヒシュタイン鉄道博物館協会はアウクスブルク市電(ドイツ語版)で使用された同型車両を購入し、「501」と言う車両番号を付けたうえで動態復元工事を行っている。 ST0 - 1951年に廃止されたマールブルク市電(ドイツ語版)(マールブルク)からの譲渡車。2両(1、2)が導入され、1966年まで使用された。 ST6 - 1954年から1955年に9両(11 - 19)が導入された2軸車。1990年代まで一部車両が予備車として残存し、それ以降も事業用車両や団体用車両「Datterich-Express」に改造された車両が在籍する他、1両(15)が静態保存されている。 ST6' - 1964年に廃止されたレーゲンスブルク市電(ドイツ語版)(レーゲンスブルク)からの譲渡車。4両(86 - 89)が導入され、そのうち1両(88)は1990年にレーゲンスブルクに返還され静態保存された一方、残りの車両は1992年まで使用された。 ST7 - 1961年に13両(21 - 33)が導入された、ダルムシュタット市電初の連接車(2車体連接車)。デュッセルドルフ車両製造(→デュワグ)が展開したデュワグカーに類似した外見を有したが、製造はワゴン・ユニオンに社名が変更される以前のドイツ車両機械工場( Deutsche Waggon- und Maschinenfabriken、DWM)が実施した。1998年まで使用され、引退後は複数両がダルムシュタット市電で保存されている一方、一部はヤシ市電へ譲渡され2010年頃まで使用されていた。 ST8 - 1963年に7両(91 - 97)が製造された、ST7の増備車。ST7と同様に1998年まで使用され、火災で廃車となった1両を除きヤシ市電へ譲渡された。 ST9 - 1969年に廃止されたレムシャイト市電(ドイツ語版)(レムシャイト)からの譲渡車で、1960年製の2車体連接車。6両(61 - 66)が使用され、他車よりも車体幅が狭い事から「ツイッギー」と言う愛称で呼ばれていた。1992年まで使用され、その後は一部車両が各地の博物館で保存されている。 ST10(ドイツ語版) - ワゴン・ユニオンが生産した2車体連接車。1976年と1977年に8両(7601 - 7608)が導入された。2007年まで使用され、大半の車両がヤシ市電に譲渡された一方、ラストナンバーの7608はダルムシュタット市電で動態保存されている。 ST11(ドイツ語版) - ワゴン・ユニオンで製造された、ダルムシュタット市電初の3車体連接車。1982年に6両(8209 - 8214)が製造され、2008年まで営業運転に使用された。その後一部車両は解体されたが、8210は動態保存され、8211 - 8213はヤシ市電へ譲渡されている。
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動力車
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1980年代半ばまでスプリングウォームによる伝動方式を採用していたが、それ以降はシャフト及びギアを使用した伝動方式(登場以降からスプリングウォーム方式が淘汰された頃までの期間は、各種印刷物等で「新動力機構」と呼称されていた)になり、HO(16番)ゲージ車両でも採用された。リニューアル発売される製品も順次改良されている。なお、DCCには対応していない。
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動力車
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ベルギー国鉄 13形、15形、18形(アルストム製) 、18形(シーメンス製)、27形、28形電気機関車(ボンバルディア)など。 フランス国鉄 CC40100形、BB16500形電気機関車、Y7100形ディーゼル機関車、X3800形 (PICASSO ) 、X4500形 (Caravelle ) 、X76500気動車、B81500形バイモード車など。 スイス国鉄 RAm TEEI(気動車)、RAe TEEII(電車)など。 ドイツ国鉄 403形電車など。
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動力車
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パノラミック急行やスーパーパノラミック急行の登場当時は1944年から1946年にかけて製造されたBDe4/4形電車が塗装変更の上で使用されたが、急勾配路線を抱えた路線で冷房を搭載した重量級の列車の動力を担うには出力不足であり、総括制御による重連運転が常態化した。そのため1983年以降はGDe4/4形、Ge4/4形などの電気機関車に順次置き換えられている。なお、BDe4/4形電車に代わってABDe8/8形電車(ドイツ語版)やDZe6/6形電車、Gm4/4形ディーゼル機関車が使用された事もある。 BDe4/4形電車(パノラミック急行塗装) GDe4/4形電気機関車(塗装変更後) Ge4/4形電気機関車 ABDe8/8形電車が牽引するパノラミック急行(1982年撮影) Gm4/4形ディーゼル機関車
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動力車
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車掌がおり、目的のキャラを探したい時にヒントを教えてくれる(教えてくれない場合もある)。
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