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国鉄20系客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/10 01:46 UTC 版)
(20系客車 から転送)
国鉄20系客車(こくてつ20けいきゃくしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1958年(昭和33年)に開発した寝台特急列車用客車である。
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- ^ その他形式からの改造編入6両あり、最終的には19形式479両となった。
- ^ 電源車については全車金属バネ台車を装着した。
- ^ 国鉄では当初製造メーカーである日本車輌と日立製作所に塗装案の提出を要求した。これに対し日本車輌はグリーングレーとワインカラーのツートン、日立製作所は濃淡の異なるグレーによる塗り分けを提案したが、当時はまだSL牽引区間が長く煤煙による汚れを考慮した結果、メーカー案はいずれも却下され、国鉄案であった青15号にクリーム色1号の帯が採用された。
- ^ ナハフ20の1958年製造車は平面ガラス2枚。
- ^ 当時の総理大臣であった岸信介が地盤の山口県に戻る際に愛用したとの話もある。
- ^ 戦前の鉄道院基本形客車などでは政府高官用として特別室と称する個室を備えた車両が存在したが、これは通常の営業には使用されておらず、一般向けは1等寝台室であっても定員2名以上となっていた。
- ^ 国鉄の正式な役職としては廃止されたが、OBは関連会社に再雇用されて引き続き乗務していたため、実態としては一斉に全廃されたわけではない。
- ^ 『車掌裏乗務手帳』坂本衛 1998年11月 山海堂より
- ^ 当初は愛称を表示板内部のガラス板に直接記入しており愛称の差し替えは不可能だったが、後に差し替え可能なように改造・設計変更された。
- ^ 両列車に青森運転所と秋田運転区(現・秋田車両センター)の運用が混在していたことから、区別のために色分けされた秋田所属車がピンク地を使用した。
- ^ 車両運用共通化の観点から後に差替式に変更した。
- ^ 牽引・走行性能が確保されていれば暖房供給装置を持たない機関車でも本系列での営業運転に使用できることとなったが、のちにブレーキ改良による制約が新たに生じている。
- ^ 冷房フル稼働となった1959年夏には故障が相継ぎ、急遽途中駅で大量の氷柱が運び込まれた事もあった。また日立製のAU22形搭載車の場合、下松に臨時停車させ乗客を乗せたままその場で駆けつけた日立の技術者が部品を交換して復旧させるというエピソードもある。対策としてシステムの信頼性向上がメーカーと国鉄で行われた結果、点検口配置などを見直したAU21B・AU22B形が開発され、増備車から換装された。
- ^ 連絡回線として牽引機関車側にも装備されていれば有効ではあるが、未装備の機関車も多く1970年代半ばから機関車側との連絡が無線に移行したために装備する機関車間とも使用停止となった。
- ^ このため一時は最高速度100km/hで運転される高速貨物列車の方が寝台特急より高速という逆転現象が発生した。
- ^ 新造当初よりAREB改造を想定した機器配置としており、後年になってブレーキの緩解不良防止対策として制御弁をA動作弁からKU1制御弁に換装したことによりCREBへ称号変更されている。
- ^ ED73形1000番台・EF70形1000番台などの改造車、EF65形500番台(P形・F形)・1000番台(PF形)・EF66形・EF81形・ED75形1000番台・ED76形1000番台などの製造当初から装備を搭載して新製された形式が存在する。しかし、一部線区では軌道条件あるいは車両性能の問題から最高速度は100km/hに制限された。
- ^ 95km/h以上の高速域でブレーキ圧を1段増圧することで応答性能を向上させる。
- ^ 通常のK14弁などに電気接点を追加してブレーキ指令が通常のA動作弁に対するもの以外に各車の電磁給排弁に対して伝達されるようになり、空気圧指令で問題となる最後尾車への指令到達までの遅延時間が大幅に短縮された。
- ^ 本系列を牽引する定期運用への充当に際し元空気溜管を新たに設置したEF58形P形・ED74形・EF80 1 -12・DD54 32 - 37などと、製造当初から重連運転総括制御に対応するため元空気溜管を装備するDD51形500番台以降・DF50形・ED75形0番台などの2グループが該当する。なお、非常時の迂回運転や車両基地・工場への回送等の際には、元空気溜管引き通しを持たない機関車の牽引例も存在するが、この場合はブレーキ取扱に制限がある。
- ^ ナハネ20 350 - 364は、車番下2桁が50番以降だが日本車輌製造が製造を担当。
- ^ 2人用個室であっても寝台券は1人分ずつ別個に発売されており、いわゆる「相部屋」の状態がしばしば発生した。
- ^ 細部設計を製造メーカーごとで任意とさせることで、デザインや技術力の向上というメリットがある反面、同一形式でありながら複数のマニュアルが存在して現場が混乱したり、倍の予備部品をストックする必要が生じるなど、保守の面では大きなデメリットも存在する。
- ^ 中段寝台の収納方法がそれまでの座席使用時の背ズリを兼ねる下方収納から上方格納に変更され、下段座席の背ズリ部は新たに設けられた物が固定された。
- ^ 旧特ロ。のちグリーン車。
- ^ 社内デザイナーによる斬新なデザインで外部からの評価は高かった。
- ^ 青森運転所所属車が後年に青函連絡船交信用無線機を設置する際には、列車電話用に準備されていた配線や一部機器を利用したほか、1970年製造の24 - 26では電話室から設計変更された車販準備室に設置された
- ^ 映画「特急あさかぜ」で日立製作所笠戸工場で製造中映像からスニ20 51と確認できる。
- ^ 後年、700リットルタンクを2基に増設した車両も存在する。
- ^ TR66形台車は24系客車の電源車でも一部仕様を変更の上で採用された。
- ^ 長崎本線は戦前戦中長崎港を経て上海へ至る中南支方面への重要補給ルートに位置づけられており、このため単線ながら東海道山陽線の軌道等級「特甲」に次ぐ軌道等級「甲」で整備されていた。カニ22導入にあたり、長崎本線での牽引機にC61形(後にC60形に変更)を充てる事から、共通運用を考慮して佐世保線・大村線の軌道強化も行なっている。
- ^ 1960年製造分は荷重3tであったが実際には2t積みで運用され、1963年製造分では設計が変更されたため2tとされた。
- ^ このため「あさかぜ」で使用されていたマニ20形が「はやぶさ」に捻出される一方で、「さくら」で使用されていたカニ21形を「あさかぜ」充当に変更する電源車の玉突き的交換が実施された。
- ^ MGの再装備を想定し暫くパンタグラフを残していたが、後年に撤去された。また、荷物室の荷重は3tとして運用された。
- ^ 供奉車460号の改造実績を参考に施工している。
- ^ 発電容量が低いことと、発電装置設置に伴う車両重心の偏りから来る速度制限から、本務電源車の代用とする際は山陽線内で途中交換とすることが決められていた。実際、予備車時代に数回故障した電源車の代車として使用され、品川から下り列車で手配される電源車と岡山付近で交換されたほか、1968年(昭和43年)頃に新大阪まで代走した記録がある。
- ^ 1958年の本系列登場当時は、出張旅費で2等車が認められても寝台料金は認められないという規程を持つ会社が多く存在したため、そのような乗客への対応をするために座席車の連結は必須事項であり、当初計画では全寝台編成だった予定を変更してまで座席車が設定された背景がある。
- ^ 504・505・509が欠番となっているが、当初はナロ20形のまま廃車まで残存した3両も改造される予定であったための欠番である。
- ^ 山口線でのイベントの際にC57 1の牽引を受けたことがあるが、これが実現したのもカヤ21形への改造施工があったため可能となった。
- ^ 電源車がカヤ21形の場合で本系列のみでの編成かつ元空気ダメ管を持つ機関車が牽引に当たる場合はカヤ21形のCPは使用せず機関車側から元空気ダメ管が引き通される。
- ^ 改造工事の遅れで「十和田」の置換え時には寝台を座席に戻したままのナロネ21形が使用されたが、網棚がないなどの苦情が多発した。
- ^ この手法は後に583系の419・715系化改造にも引き継がれている。
- ^ さらに控車にはマニ50 2236が使用されたが、オリエント急行の荷物車にあわせ、青15号に塗られていた車体に金色の帯が巻かれ、レタリングが施された。
- ^ 日立製作所は、「オリエント急行'88」のメインスポンサーである。
- ^ 板谷峠を擁する福島 - 山形間では、書類上牽引定数に余裕があるとされEF71形が単機で牽引していた「あけぼの」の空転が続出し、その原因に防火対策工事による製造当初と比較しての重量増加が挙げられた。なお、「あけぼの」はその後EF71形ないしED78形の重連運転にすることで編成重量の増加に対処した。
- ^ 改造種車である14系や12系とも連結可能。
- ^ JR東日本でも1996年までに廃車されたが、さよなら運転は行っていない。
- ^ 牽引機はEF58 150が充当され、新大阪駅では記念式典が行われた。
- ^ 本系列A寝台車の唯一の現存車。なお本系列は北海道内での運転実績はない。
- ^ NPO団体「旧狩勝線を楽しむ会」によって保存されており時間帯によっては車内にも入ることができる。
- ^ この店舗は閉店したとの情報があるが、真偽は不明。
- ^ NPO法人の「天竜レトロ・トレインクラブ」が保存・修復を行っている。
- ^ 車内に通年で宿泊可能な本系列唯一の車両である。
[続きの解説]
「国鉄20系客車」の続きの解説一覧
- 1 国鉄20系客車とは
- 2 国鉄20系客車の概要
- 3 改造
- 4 運用
- 5 保存車
- 6 関連項目
固有名詞の分類
| 国鉄・JRの車両形式 |
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| 日本国有鉄道の客車 |
ふれあいみちのく アイランドエクスプレス四国 国鉄20系客車 国鉄マニ44形客車 国鉄28400系客車 |
| 東日本旅客鉄道の客車 |
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| 西日本旅客鉄道の客車 |
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