えんぎしき【延喜式】
えんぎしき 【延喜式】
延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉
主名称: | 延喜式〈巻第十二残巻、第十四/第十六〉 |
指定番号: | 147 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1952.02.22(昭和27.02.22) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 巻第十四、大治二年七月十二日移点朱奥書 |
員数: | 3巻 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 平安時代の作品。 |
延喜式〈巻第五十/〉
主名称: | 延喜式〈巻第五十/〉 |
指定番号: | 212 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1935.04.30(昭和10.04.30) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
延喜式(九條家本)
主名称: | 延喜式(九條家本) |
指定番号: | 268 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1981.06.09(昭和56.06.09) |
国宝重文区分: | 国宝 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 内二十四巻紙背文書 |
員数: | 27巻 |
時代区分: | 平安 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 延喜式(五十巻)は、醍醐天皇の勅を奉じ、藤原忠平等が弘仁・貞観の二式を集大成し、延長五年(九二七)撰進したもので、奈良・平安時代の国家制度を知る根本法典とされている。この九條家本は、摂関家であった九条家に伝来した古写本で、途中に欠巻はあるが神祇式から内膳司式に至る二十七巻を存し、まとまった古鈔本としては現存最古本である。本文の体裁は必ずしも同一でなく、筆跡も分かれ、巻第七のように重複した巻次もあるが、ほぼ同時代の成立と認められる。ほぼ全巻に亙って加えられた朱墨の仮名は、平安・鎌倉時代の読法を伝えて国語学上にも貴重である。紙背の文書は、康保三年(九六六)から承保元年(一〇七四)に至るおよそ百八十九通で、寛弘元年讃岐国戸籍、上野国交替実録帳、康保三年清胤王書状など伝来稀有な文書が多く、平安時代の史料として学術的価値が高く、名家筆跡も含まれている。 附の一巻は、延喜式(京職式)に定める京程に左京、宮城以下の諸図を加えたもので、南北朝時代の書写であるがその内容は平安時代における左右京、大内裏、内裏等の姿を伝えている。 |
書跡・典籍: | 小野道風筆三体白氏詩巻 広田社二十九番歌合 延喜式 延喜式 延喜式神名帳 延暦交替式 後宇多天皇宸翰弘法大師伝 |
延喜式
延喜式
延喜式(えんぎしき)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:39 UTC 版)
「日本酒の歴史」の記事における「延喜式(えんぎしき)」の解説
927年 藤原忠平ほか著。律令の施行細則50巻。平安時代初期までの朝廷による酒造について記述されている。
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延喜式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:15 UTC 版)
延喜式神名帳には、肥後国阿蘇郡の名神大社として「健磐龍命神社(たけいわたつ の みこと の -)」が記載され、現在は阿蘇神社一宮の祭神が健磐龍命である。 この阿蘇神社の創始は、孝霊天皇の9年6月に、孝霊天皇(第7代天皇)が速瓶玉命(前述)に勅して健磐龍命を神として祀らせたこととされる。またこの月の26日に勅して阿蘇宮を修造させたともいう。 また、阿蘇神社は景行天皇が阿蘇を訪れた時(前述)に速瓶玉命(前述)に命じて宮地村に建てたものであるともいう。また、景行天皇18年に景行天皇は健渟美命(前述)に勅して特に阿蘇神社への崇敬を尽くさしめたともいう。
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延喜式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 21:17 UTC 版)
平安時代の法令集である『延喜式』には、仁徳天皇の陵は「百舌鳥耳原中陵」という名前で和泉国大鳥郡にあり、「兆域東西八町。南北八町。陵戸五烟。」と記述されている。なお、「兆域東西八町。南北八町。」という敷地が他の陵墓と比較すると群を抜いて広大であることから、ここに記される「百舌鳥耳原中陵」が当古墳を指していることは間違いないと考えられる。「中陵」というのは、この古墳の北と南にも大古墳があるからで、北側は反正陵、南側は履中陵であると記されている。
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延喜式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 05:52 UTC 版)
905年(延喜5年)から編纂され、927年(延長5年)に完成。 967年(康保4年)に施行。全50巻。
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延喜式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 19:33 UTC 版)
比奈多乃神社の由緒書きには「延喜式神名帳に登載されている城飼郡(城東郡)二座のうちの一座」と明記されており、比奈多乃神社は延喜式神名帳に記された式内社とされている。ただし、延喜式の成立は平安時代に遡るため、時代の変遷につれて後裔が特定できなくなった式内社も多数存在する。そのため、国学者らによって式内社の後裔を比定する研究が永年にわたって進められており、延喜式神名帳の「比奈多乃神社」の後裔についても度々論じられてきた。
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