1990年代 -冬の時代-
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 04:25 UTC 版)
「ジャパニーズ・メタル」の記事における「1990年代 -冬の時代-」の解説
「ヴィジュアル系」も参照 世界的にはグラム・メタルが衰退し、オルタナティヴ・ロックやグランジ、グルーヴ・メタルブームの幕開けであったが、日本に限れば、Xを端緒としたヴィジュアル系の全盛期の幕開けであった。SHOXXの元編集長鈴木ぽっくんと音楽ライター長澤智典の対談では、ヴィジュアル系の音楽的な要素としてポジティブパンクとヘヴィメタルが挙げられている。実際にポストパンクやヘヴィメタルからの影響を語っているバンドとしては、TRANS RECORDS所属のASYLUMやDEAD ENDから影響を受けていた黒夢、デュラン・デュランやジャパニーズ・メタルから影響を受けていたLaputa、ザ・キュアーやGASTUNKから影響を受けたL'Arc〜en〜Ciel、JapanやAIONからの影響を語っているLUNA SEAなどがいる。他にも、音楽性でメタルの流れを汲んでいたものとして、La'cryma ChristiやSIAM SHADEが市場的成功を収めた。ニュー・ウェイヴやポストパンクを扱っていた雑誌であるFOOL'S MATEはヴィジュアル系バンドを積極的に取り扱ったが、その一方でロッキンf以外のヘヴィメタル雑誌がヴィジュアル系バンドを取り扱うことはなかった。 ヴィジュアル系という言葉の起源となったともいわれるXは順風満帆とは到底言い難い活動状況に陥ってゆく。1992年、TAIJIを解雇すると同時に海外進出を企図して「海外の同名バンドとの商標問題(名称競合)の回避」という理由でバンド名をX JAPANへと改め、以降も新曲をリリースすればオリコンチャートでは必ず5位以上の上位に食い込んだものの、アトランティック・レコードと契約し、世界進出を始めようとした頃にはYOSHIKIの英語の勉強・アメリカでの活動の際の弁護士とマネージャー等の著作権方面に対応できるパートナーのスカウト・Toshlの英語発音の問題やYOSHIKIの持病によりレコーディングが長期化し、更には市場のターゲットとしていたアメリカではニルヴァーナ等のシアトル発のグランジが注目されていたので、「今出しても売れない」と判断したため、このアルバムでの世界デビューを断念せざるを得なくなった。そうした事情によりシングルのリリースですら1年に1枚がやっとというスローペースであり、アルバム『DAHLIA』に至っては5年間もリリースできない状態に陥る。また、Xを解雇されたTAIJIこと沢田泰司は、上述した様にLOUDNESSへの電撃加入という形でメタルの世界に舞い戻ったものの、彼もまた著しいスランプや公私のトラブルが重なり、1990年代後半の一時期にはホームレスも同然という状態にまで転落していった。 ヴィジュアル系が流行した一方で、ジャパニーズメタルは氷河期を迎えた。特に1990年代に入ってから、邦楽のメタルはジャンル全体として衰微傾向が顕著となり、1990年にE・Z・O、VOW WOW、DEAD END、Cats In Boots、1992年にANTHEM、1993年にBLIZARD、1994年にEARTHSHAKERと、1980年代のメタルシーンを第一線で支えたバンドが次々と解散・消滅してゆく。女性バンドSHOW-YAはすぐには解散しなかったものの、サウンドの中核であったボーカルの寺田恵子が1991年に脱退、その後は新ボーカルにアメリカ人シンガーのステファニー・ボージェスを迎えたものの、セールス的に退潮傾向を食い止められずステファニー脱退後はインディーズに場を移し3人目のボーカルを加えて再スタートを切ったものの、結局1998年に解散。海外を中心に活動にしていたバンドや日本人ミュージシャンを見ても、E・Z・Oは日本への凱旋を果たせぬまま、1990年に現地解散。VOWWOWはアルバム『Mountain Top』の海外での売り上げが伸びなかった事と厚見玲衣の脱退により解散、一時はアメリカで成功したかに見えた日米混成バンドのCats In Bootsもマネジメントのトラブルやメンバー間の不和が続き、1990年に解散し、大橋隆志は活動の場を求めてニューヨーク、ロサンゼルスと渡り歩くも、1995年帰国。 1992年、元E・Z・OのMASAKIと、元XのTAIJIこと沢田泰司がLOUDNESSに加入し、これと同時に、LOUDNESSの楽曲はグルーヴ・メタルのようなスタイルに変貌した。その話題性の高さでオリコンチャート初登場2位という記録を打ち立てたが、翌年には所属事務所の契約上の問題や沢田と樋口の脱退といったトラブルが相次ぎ、第3期LOUDNESSはたった1年で幕を閉じた。 ジャパメタ・バンドの多くが解散やメンバーの脱退に見舞われ、尻すぼみになっていく状況下の1994年、EARTHSHAKER、LOUDNESS、BLIZARDの元メンバーによるスーパー・バンドSLYが結成され。メジャー・デビューを果たしている。が、商業的に成功とは言い難く、98年に事実上解散。また、戸城憲夫、新美俊宏、横関敦らによるLANCE OF THRILLも同1994年にメジャー・デビュー。このSLYとLANCE OF THRILLは世界的なグランジ/オルタナティヴ・ロック・ムーヴメントに呼応するメタル・サウンドをそれぞれ展開していったバンドだが、この1990年代中盤~後半におけるOUTRAGEやLOUDNESSの音楽的な変貌もこのグランジ/オルタナ・ムーヴメントを意識したものであった。 メジャーシーンでどうにか生き残ったバンドとしては聖飢魔IIがいた。1990年代の同バンドはサポートメンバーによる電子楽器を多用し、ハードロックを主軸としてプログレッシブ・ロックからポルカやフォークソングまで多種多様なジャンルの音楽を積極的に取り込んだ。 また、バブル景気崩壊後の急激な日本経済の縮小の中、業態再編や利益性・費用対効果の向上に追われた企業体質の変化の過程の中で、メタル系はメガヒットが出ない事などから収益性が低いジャンルと見なされ、メジャーレーベルの多くがメタルバンドに対して契約解除を行った。契約解除の理由については、契約(期間・内容)の満了・CDの売上不振・レコード会社側の経営戦略の見直しの一環・レコード会社とバンドの方向性の不一致・バンドメンバーの不祥事や性格的問題など色々と付けられていたが、いずれの理由にしたところで結局は、新旧数多くのメタルバンドがメジャーレーベルを追われ、新たな契約先を求めて音楽業界を彷徨う、あるいは、インディーズでの活動への転換など、苦難の道を強いられる事になってゆく。だが、メジャーレーベルから契約を解除された後、他のメジャーレーベルで新たな契約を得てメジャーシーンで活動を継続できたバンドはそれほど多くはなく、むしろ、この時期に解散や活動休止に追い込まれたバンド、活動の基盤を失ったメタルミュージシャンは数多い。 この様な厳しい状況下で、1980年代のジャパメタシーンを第一線で支えたミュージシャンですら、メタル一筋では生活してゆくことすらままならなくなる者が続出した。中には生活費と音楽活動の資金・コネクションを確保・維持するため、あえてメタルの看板を外して、J-POP系やアニメ関連楽曲の作曲やプロデュース、バックバンドに活動の軸足を移し、活動範囲を拡大していった者や、専門学校などの講師やライヴハウス・録音スタジオのスタッフになり、現在ではそちらが事実上の主業になっている者もいる。また、メジャーシーンから姿を消した者の中にはメタルとおよそイメージのかけ離れた世界に生活の糧を求めた者もいる。例えば、元ANTHEMの坂本英三が後述するアニメタルでブレイクするまでは会社員やタクシー運転手を主業としながら音楽活動を続けたり、商業音楽の世界に失望した元VOW WOWの人見元基が「コマーシャルな世界で歌いたくない」という理由で音楽業界から引退した後に地方公務員(高校の英語教師)に転職した。但し坂本は現在もソロ活動の傍ら、音楽学校の講師としても活動しており、人見も業界からは遠ざかっているが学校が夏休みや冬休み等がある時期は大谷令文らを率いてカヴァー曲を中心にライブ活動を行っている。 新進のメタルバンドについても苦難を耐え忍ぶ時代となった。元来はメタル系の音楽を志向・追求していたものでも、メジャーデビューを目指すにあたっては、その販売戦略上の各方面からの要求などで路線変更に追い込まれてゆくケースや、さらには「メタルだから」という理由でライブハウスから門前払いにも等しい扱いをされるなど、演奏の場を確保する事すらままならない者さえ出てきた。 これらの結果、音楽性としてヘヴィメタルを前面に押し出すスタイルのバンドは影を潜め、ジャパニーズメタルバンドとして安定した活動を続けていたLOUDNESSも、1990年代の終わりまでは高崎晃以外のメンバーチェンジを繰り返しながら細々とした活動を余儀なくされる事となった。日本人及び従来のファンに理解し難い音楽性に傾倒したことも、人気の低下に拍車をかけており、90年代末期に発表した作品は、売り上げ1万枚を下回るほどの深刻な不人気に陥った。 メジャーシーンで広義の意味でのハード・ロック/メタル的なサウンドを鳴らした音楽ユニットとしてはB'zがいる。冬の1990年代にミリオンヒットを連発し、ハード・ロック・ギター・サウンドを日常的なサウンドにしたのである。しかしB‛zがハード・ロック/メタルと見做されることはなく、シーンの氷河期を打破するどころか、むしろ冷え込みを強めてしまう。 一方で、エクストリームメタルを中心としたアンダーグラウンドシーンでは、新たなムーヴメントが勃興していた。1990年に結成されたブラックメタルバンドSighは、ブラックメタルの本場であるノルウェーシーンとテープトレードなどで交流を深め、1993年には1stアルバムをユーロニモスのレーベルデスライク・サイレンス・プロダクションからリリースしている。 デスメタルシーンでは、1980年代後半頃からスラッシュメタルのサウンドで活動していたHellchildが、デスからの影響を受け徐々にデスメタルへと移行。同時期に活動していたグラインドコアバンドMULTIPLEXと共に、当時の日本のデスメタル/グラインドコアシーンを作り上げていく存在となる。他にもVoidd、BELETH、NECROPHILEなどのバンドが存在した。1990年代後半にはDEFILED、VOMIT REMNANTSなどのバンドも活躍している。また、1991年にはIntestine Baalismがメロディックデスメタルバンドとして登場している。
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