1990年代以降 - 国際的な成功
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「ニュージーランドの映画」の記事における「1990年代以降 - 国際的な成功」の解説
1993年、ジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』が4つのオスカーを受賞して以来、ニュージーランド映画は国際的にも認められるようになってきた。他にもこの時期、ピーター・ジャクソンの『乙女の祈り』(1994)やリー・タマホリの『ワンス・ウォリアーズ』は高い評価を得た。『ピアノ・レッスン』と『乙女の祈り』は、ニュージーランド映画と言っても、一部もしくはすべてが外国資本で、ニュージーランド人ではない俳優( ホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル、ケイト・ウィンスレット)が出演していた。 しかし、ニュージーランド映画の国際的な成功をもってしても、ニュージーランドの才能のある映画人の流出を止めることは出来ず、前述のジェーン・カンピオンやリー・タマホリ、『ワンス・ウォリアーズ』に出演したテムエラ・モリソンやクリフ・カーティス、『ピアノ・レッスン』に出演したカナダ生まれのアンナ・パキンなどはアメリカに活動の場を移している。 例外的なのはピーター・ジャクソンである。彼は現在でもニュージーランドをベースに活動している。ジャクソンは低予算ホラー映画『バッド・テイスト』(1987)でキャリアをスタートさせ、ハリウッドでもその才能を認められ、『ロード・オブ・ザ・リング』3部作を監督した。この作品はほぼアメリカ資本の映画であり(ニュージーランド政府やジャクソン自身の製作会社Wingnut Filmsも資金を提供している)、出演者は各国から集められているが、ジャクソンはこの作品を、ニュージーランド人スタッフと共にニュージーランドで撮影し、ニュージーランドの映画産業に大きな貢献をしたことにもなった。 『ロード・オブ・ザ・リング』の成功により、多くのハリウッド映画がニュージーランドで製作されるようになった。撮影自体だけでなく、その後の編集作業や特殊効果なども行われている。『ラスト サムライ』(2003年)、『キングコング』(2005年)、『ナルニア国物語/第1章: ライオンと魔女』(2005年)、『カンフー・プリンセス・ウェンディー・ウー』 (小山田真主演、2006年)などはニュージーランドで製作された。 しかしながら、そういった国際的なプロダクションによる雇用には不利な点もあると指摘するむきもある。ある映画製作者は近年、比較的低予算の映画を製作する際、カメラマンを雇うのが非常に難しいと語った。何故なら、カメラマン達は高収入に慣れてしまったから、としている。他の映画製作者は反対の事を言っており、1980年代をピークとして多くの映画製作者たちの賃金はかなり押し下げられていると語った。もう1つの不利な点としては、多額の予算のかかる国際的な作品のためにニュージーランドの基金の大半が使われてしまい、地元での製作にお金が廻らないという点もある。 それでも、地元で製作された『In My Father's Den』や『世界最速のインディアン』といった作品はニュージーランドでヒットした。特に『世界最速のインディアン』はそれまで『ワンス・ウォリアーズ』が持っていた記録を破り、$6.5 million 以上の売り上げを上げた。 近年、ピーター・ジャクソンの"帝国"の拡張は目覚しく、今後彼が監督もしくはプロデュースする作品には『ラブリーボーン』(アリス・シーボルド原作)、『Halo』(ビデオゲームHALOの映画化)、『Dambusters』(1954年の『暁の出撃』のリメイク)、ファンタジー・シリーズの『テメレア戦記』などがある。また、ジェームズ・キャメロンのSF映画『アバター』、2007年夏のディズニーによるファンタジー映画『ウォーター・ホース』もピーター・ジャクソンのウェリントンスタジオで製作され、特殊効果はWETAデジタルが手がけている。
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