1990年代以降の動向
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「トニー・オグンサヤ」の記事における「1990年代以降の動向」の解説
この当時は1991年のピナトゥボ山大噴火による経済混乱や1992年のフィリピンからの米軍基地撤退も相まって、隆盛を極めた戦争アクション映画が下火になった。映画撮影に米軍の補助が受けられなくなった為に、新たなトレンドを各製作者が模索していた頃であり、低予算が当たり前だったが、より安く上がるマーシャル・アーツ物やシリオ・H・サンティアゴ監督作品に見られる過去のフッテージを活用した近未来活劇がトレンドとなった。 日本の制作会社は遅れてフィリピン・アクション市場に参入し、オグンサヤはジャパン・ホーム・ビデオ制作、室賀厚監督のVシネマ(正式にはVムービー)『ブローバック2/夕陽のギャングたち』(1992年)にマイク・モンティを首領とする傭兵軍団の一員として顔を見せ、竹内力に『続・荒野の用心棒』(1966年)を彷彿とさせるガトリングガンで一掃されていた。また、翌年には東映の『極東黒社会』(1993年)では渡辺ケンが監督したフィリピン撮影のパート(クレジットではロケーション・ディレクターとなっている)の麻薬工場の場面にも出ており、かつて栄華を誇った時代に活動したニック・ニコルスン、アンソニー・イースト、スティーヴ・ロジヤース、デーヴィッド・ブラス、ジェームズ・パオッレッリ、ジム・モス等の姿も見られるが、彼等は徐々に出演履歴が途絶えるに及ぶ。 その後は作品に恵まれず、香港資本のダヴィアン・インターナショナル製作の諸作に主演した米国のキック・ボクサーのデール・アポロ・クック主演『ロー・ターゲット』(1995年/未ソフト化)やシリオ・H・サンティアゴ製作のSF物『バトル・フィールド』(1996年/未/ビデオ)の端役を残し、出演が途絶えている。
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