1990年代以降の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 01:50 UTC 版)
「BWR運転訓練センター」の記事における「1990年代以降の状況」の解説
『電気学会誌』によると、新潟訓練センタを利用する柏崎刈羽原子力発電所の発電直の場合、操作員は当直長をチーフに当直副長1名(当直長を補佐し、当直長が外部連絡などに対応している状況によっては運転指揮も行う)、各号機の担当主任が1名ずつ、各号機の主機操作員が1名ずつ、副主任1名、補機操作員3名の計10名で1つの班を構成している。各班は8日間のサイクルを3~4回実施後、日勤1週間、訓練1週間のサイクルでローテーションしている。 1990年代後半には訓練コースも名称が変化しており、実務経験に応じて、養成訓練コース、技能維持向上のための訓練コース(再訓練コースのこと。主任、副主任、オペレータが対象)、監督者のための訓練コースに分かれていた。この内、監督者のための訓練コースは上級者コースとも呼ばれ、当直長、当直副長を対象とし、監督者として必要な状況判断力、指揮能力の養成を目的とし、期間は6日間である。 2002年には原子力発電所運転員の教育・訓練指針(JEAG 4802)が改訂され、下記の点が明記されたという。 SAT(Systematic Approach to Training)プロセスに基づき訓練プログラムを策定 運転員が具備すべき技術レベルや教育訓練内容を具体的に例示 運転責任者に係わる基準に適合する者を選別するための判定方法、シミュレータの仕様を文章化 2011年時点でも訓練カリキュラムは「原子力発電所運転員の教育、訓練指針「JEAG(日本電気協会指針)4802」に基づき組み上げられ、訓練受講者のキャリアに応じて体系化されている。
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