1990年代以降:スポーツカー/ツーリングカーへの回帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 17:08 UTC 版)
「ザクスピード」の記事における「1990年代以降:スポーツカー/ツーリングカーへの回帰」の解説
F1撤退後はザクスピードは1990年代、DTMや短期間ではあったが国際ツーリングカー選手権でメルセデスとオペルのマシンを走らせることとなった。チームは父の後を継いだペーター・ザコヴスキーが率いることとなった。彼のドライバーとしてのキャリアはF1に至るほどではなかったものの、ニュルブルクリンクの旧北コース(ノルトシュライフェ)での耐久レースでは速く、ニュルブルクリンク24時間レースでは何度か優勝している。 1998年にはFIA-GT選手権シリーズに2台のポルシェ・911 GT1で参戦している。当時このシリーズではフランスのチームオレカ (Oreca) がGT2クラスで大幅に改造したクライスラー・ヴァイパーで優位に立っていた。これらのヴァイパーうち1台はザクスピードが発注したもので、1999年シーズンの新ルールが多少甘いこともあり、ニュルブルクリンクでのレースに有利に働いた。ザコヴスキーとチームメイトはシーズン中優位を保ち、ルールが変更になるまで毎レース優勝した。2001年と2002年のニュルブルクリンク24時間レースでも優勝している。 ザクスピードの関連会社であるナイテック(Nitec)は、2001年から2003年まで行なわれたV8STAR選手権用に、NASCAR風のV8エンジン、チューブラーフレーム採用のプロトタイプカーをいくつか製造した。これらはジャガー、BMW、オペル、レクサスといったロードカーをベースにしたボディを載せていた。ザクスピード自体は2003年、ジャガーボディーのマシンでペドロ・ラミーによって優勝している。 2001年、短期間ではあったがシングルシーター分野で突如、アメリカのチャンプカーレースに参戦した。これは老舗のレーシングチーム、フォーサイス・レーシングとの提携によるものである。 21世紀初頭ではニュルブルクリンクにおいて「ザクスピード・ニュルブルクリンク・レーシングスクール」も経営している一方、モータースポーツ部門である「ザクスピード・レーシングチーム」は2006年に会社更生法の適用を申請した。 2008年からスーパーリーグフォーミュラでボルシア・ドルトムントをオペレーションしタイトルを獲得したが、資金難により2009年に再び会社更生法の適用を申請、レーシングスクールを売却している。 しかしその後も存続しており、2014年からはトヨタ・チーム・タイランドのニュル24時間における活動をサポートしている。
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