沖縄住民の反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 04:49 UTC 版)
事件発覚当初は、沖縄住民の間でも被害者両親の監督責任を問う声が上がった。また、本事件が最初に報道されたのと同じ9月4日の夕刊では、「3日22時ごろ、ペリー区(那覇市)に住む28歳の男が、小学生の姉妹(姉は5年生、妹は2年生)を『5円あげる』と言って近くの空き地に連れ出して強姦したとして、強姦・傷害容疑で那覇警察署に逮捕された」という事件が報じられていたことから、そのニュースにも言及する形で、「家庭や学校で、子供たちに身の回りの危険を教えることが大事ではないか」という意見も上がっていた。石川市婦人会は同月8日、「戦前この地区から犯罪者を出した例はなく、戦後に地区出身の青少年犯罪が多くなったのは嘆かわしい、親の不注意と無関心がとりかえしのつかぬ結果を生む」という発表し、子供の躾と監視に取り組む旨を表明していた。しかし、米軍からハート逮捕が公式に発表された9日には、「子供を守る会」が緊急常任委員会を開き、「一部では『事件の原因は父兄の不注意』という声が上がっており、子どもたちも事件後、夜に出歩かなくなったが、そのような怯えた心理に追いやるだけでは子供は守れない。今度の事件は、従来の外国人犯罪が曖昧のうちに処理されたような普段の空気が生んだ事件である」として、関係方面に対し、事件の徹底究明を申し合わせることを決めた。 事件当時、沖縄で発生した外国人事件はどのように処理されているのか、沖縄の人々には知らされずにいた。米軍統治下の沖縄では、米軍人・軍属の刑事裁判は軍法会議で行われていたが、軍法会議は軍全体の規律を維持するため、それに違反した兵士を処罰することを目的にしているものである。そのため、たとえ沖縄人が被害者となった事件でも、沖縄人はほとんど裁判に参加したり、裁判を傍聴したりすることはできず、その結果を知らされることも稀だった。また、本事件とは別の米兵による拉致・強姦事件や、殺人事件(いずれも被害者は沖縄の一般市民)の軍法会議では、性犯罪が正当に起訴されず、軽い罪で裁かれていたり、弁護人が被害者を貶める主張で量刑の軽減を狙っていたことも、後年になって判明している。 そのような背景から、本事件以前にも、沖縄の人々は外国人による傷害事件が治外法権的に取り扱われている印象を強く抱いていたが、幼女が米兵に拉致されて殺害された本事件をきっかけに、人々の間に「沖縄人に関係する外人事件の裁判は、いっさい公開せよ」という世論が起こった。琉球政府は米軍当局に対し、軍規粛正と取締強化を求め、米軍当局も遺憾の意を表明した。また、琉球立法院(後の沖縄県議会)は、本事件を「鬼畜にも劣る残虐な行為」と非難した。 本事件の6日後(9月10日夜)には、前原警察署管内の中頭郡具志川村(現:うるま市)明道5班で、小学校2年生の女児(当時9歳)が就寝中に、雨戸をこじ開けで侵入してきた米兵の男によって拉致・強姦され、重傷を負う事件が発生。犯人は、海兵隊の黒人兵レイモンド・エルトン・パーカー(Raymond Elton Parker、当時21歳:上等兵)で、美里村登川在マリン隊(第12海兵隊第2大隊)に所属していた。パーカーは犯行時、軍服姿で、逃走後に部隊に戻ってズボンを洗濯し、干していたことから捜査線上に浮上。さらに、被害者宅から持ち出したランプを松林に捨てていたことから、そこから指紋を検出され、翌日(9月11日)6時に逮捕された。この事件も本事件とともに、沖縄の新聞で大きく取り上げられた。この2つの事件は、沖縄の人々に強い衝撃を与え、「祖国復帰闘争」に重大な影響を与えた。 一方で当時、アメリカの「外国人に対する損害賠償法」が沖縄にも適用されていたことから、沖縄側は同法に基づき、損害賠償を要求したが、同法は「米国軍人・軍属が公務中に、沖縄人の生命・身体に損害を与えた場合に補償する」と規定されていたため、補償も有耶無耶にされた。このように、相次ぐ米兵の犯罪に対し、沖縄の人々の怒りが高まり、同年10月には「人権擁護全沖縄住民大会」が開催された。また、翌1956年(昭和31年)には、米軍による土地接収に対する島ぐるみ闘争で、琉球大学学生会が歴史的な決起を行い、特に女子学生が闘争の先頭に立った。 また、1953年(昭和28年)12月に結成されていた「沖縄子どもを守る会」は、「外人事件の処分が不透明になっている普段の空気が、外人事件の激増を助長する原因を生んだ」として、緊急理事会を開いて事件対策を話し合い、本事件に関して抗議大会を開くなど、米軍人・軍属の犯罪に対する抗議活動を率先して展開した。「子どもを守る会」は、同年9月16日に被害者の地元である石川市の城前小学校で開催された住民大会で、本事件と具志川村の事件を「何れも米国軍人によって行われた言語に絶する鬼畜の行為」と位置づけ、同種事件は人種・国籍関係なく、一切の酌量の余地なく死刑によって処罰すること、治外法権を撤廃して沖縄人に対する外国人の部隊外での犯罪は民裁判(沖縄の裁判所)で処罰すること、沖縄側の法務官を公判に立ち会わせた上で、裁判を録音して全住民に放送聴取させることなどを求めた。次いで、沖縄教職員会は同月17日、真和志沖縄劇場で「由美子ちゃん事件教員大会」を開き、緊急動議として「教員が世話係となり、人権協会(仮称)を設立する」「早急に全住民大会を開く」の2つを採択した上で、各地区代表が「(本事件は)敗戦国民への蔑視だ」「我々は統治形態を変えて祖国に帰るべきだ」「沖縄人は虫ケラでないことをこの際示せ」などといった意見を陳述した。地元の弁護士会は、軍規粛正を望むとともに、住民代表の新聞記者に外国人犯罪の裁判を取材させるよう申し入れた。 なお、本土復帰後の1995年(平成7年)9月4日には、沖縄本島北部で米兵による少女暴行事件が発生している。同事件は、沖縄の本土復帰後類を見ない米兵による犯罪として、県民の怒りが爆発し、抗議運動が広がった。沖縄県知事側は外務省に対し、日米地位協定第17条「身柄の引き渡し」の見直しを求めた。同月13日に開かれた沖縄県議会の軍特別委員会で、本事件の被害者が在住していた石川市の出身である比嘉勝秀議員(自民党)は、「同事件(少女暴行事件)のことを聞いて、復帰よりかなり前に地元で起きた由美子ちゃん事件と、コザ暴動を連想した」と発言した。 高里鈴代(「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表)は、沖縄うるま市強姦殺人事件(2016年発生)の加害者である米軍属が、日本の法制度で性犯罪が親告罪になっており、被害者による通報率も低いことを知った上で、弁護士を通じて『星条旗新聞』に「逮捕されることについては全く心配していなかった」というコメントを出したことや、本事件の加害者であるハートの家族が沖縄の「反米感情」を根拠に減刑を訴えた(後述)ことに言及した上で、性犯罪を犯した米軍人から「暴行しても訴えられる可能性は低い」という主張が何度も出ていることや、人間の尊厳を貶める犯罪への抵抗を「反米感情」としてくくることは、事件当時から現在まで、アメリカ国家によってリクルートされた公務員である兵士たちの間で、沖縄女性への差別意識が蔓延していることの証左であるという趣旨の指摘をしている。
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