建設時の逸話とは? わかりやすく解説

建設時の逸話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 18:57 UTC 版)

Osaka Metro御堂筋線」の記事における「建設時の逸話」の解説

御堂筋線は、昭和初期不況真っ只中着工したこともあり、失業対策景気対策兼ねて作業員には可能な限り多数失業者雇用トンネル掘削なども極力人海戦術用い方針が採られた。しかし、厳し肉体労働故に採用され労働者定着せず(重労働割には低賃金であったことも原因)、工程管理深刻な問題となったまた、梅田駅付近地質は非常に悪く、その上当時土木技術未熟であったため、梅田駅建設時崩落事故淀屋橋駅北側漏水による崩壊事故など大規模な事故見舞われた。さらに沿線ビルいくつか傾斜沈下し所有者から莫大な補償金要求された。加えて土佐堀川長堀川道頓堀川などの運河機能していたため、それらを封鎖せずに建設する技術求められるなどかなりの難工事であったという。しかし、こうした難工事結果として日本土木技術の向上に大きく貢献することとなった1933年、トレーラークレーンがない当時製造された車両梅田駅貨物)から人力または牛に牽かれ、御堂筋平野町3交差点付近淀屋橋 - 本町間)に開けた搬入口から徐々に降ろされ搬入された。 開業当初御堂筋線はわずか1両編成での運転だったにも関わらず当時からすべての駅のホームが、将来見越して 17 m 級車による8両編成対応するように建設されていた。当初17 m 級車の12編成対応で建設進められたが、あまりに過剰投資が過ぎるとして中津以北および大国町以南については8両編成対応に計画変更された。このため2008年現在でも、地下設備についてはほとんど手直しなしで当時よりやや大型19 m 級車による10両編成運行行っている。ただし、乗降客数過大ホーム面積拡大求められ梅田駅および難波駅については、大規模な工事実施し北行と南行分離した梅田駅拡張には谷町線用のトンネル転用された。また、中津以北および大国町以南各駅について障害となる各種施設移動ホーム延伸工事段階的に実施し最小限の手直し10両編成応化実現している。 トンネル断面積天地方向余裕持って決定された。これは後の冷房化時に広いトンネル断面大きな貢献をしている。また、郊外鉄道の1500V区間への乗り入れ考慮して第三軌条電圧はその半分の750Vとされたが、この電圧第三軌条方式による給電とともに御堂筋線での10両編成というような長大編成運行支える形となっている。一方で第三軌条方式採用したことにより第三軌条軌道台車との位置関係および無通電区間車両編成による短絡防止にかかる制約のため、運行される車両車体長集電靴取り付けられる台車台車中心間距離について制約生じた在阪私鉄の車両限界との相違含め、この車両設計制約ゆえに私鉄側も大阪市側も機構複雑な複電圧車用意する動機づけにならず、結果として乗り入れる私鉄北大阪急行電鉄のように同一規格軌道および車両用意することとなった最初に開業した梅田駅 - 心斎橋駅の各駅のホームドーム状の高い天井シャンデリア風の蛍光灯照明有している(本町駅のみ支柱のある天井)。御堂筋線特徴であるが、混雑緩和のためホーム天井の間中二階コンコース作られ、現在では高天井のまま残っている部分少なくなっている。 戦時中大阪市限界達していた梅田地下検車場代わる車両基地として我孫子検車場用地購入していたが、肝心天王寺駅 - 我孫子駅間の工事中断したままであったやむなく西長居駅現在の長居保線基地)に検車場建設して大鉄線(現在の近鉄南大阪線)との交差地点以南からは仮線地上敷設する計画立てた1943年11月26日大阪市は、「天王寺西長居仮線敷設・西長居仮設車両修繕設備設置の件」と申請書大阪府提出した。しかし翌1944年9月に、内務省側から南海平野線との平面交差問題点第三軌条踏切における安全性などの措置についての照会出され大阪市はそれらの課題解決できぬまま、資材不足もさらに深刻化するなどの要因重なり実現は困難と判断1944年11月申請取り下げた。なお、1950年5月大阪市阿倍野区三明町現在の阿倍野区役所位置)に阿倍野検車場建設1954年長居検車場完成まで使っていたが、阿倍野検車場以北踏切を1か所設けていた。 大阪市地下鉄建設50年史によると、天王寺駅 - 西田辺駅間3.1kmについては、1938年11月着工するも戦時中資材不足と応召による人手不足から1943年工事中断戦後1950年6月工事再開する今度資金難理由南海平野線以南の780mの区間が開溝(掘割式)で開通し、駅部分除いて天井省略された(俗に青空地下鉄」と呼ばれていた)。その後大阪市南部における道路交通量の増大によってあびこ筋建設機運高まったことや、梅雨台風などによる大雨時には法面崩壊する恐れがあったことなどから掩蓋工事実施され1958年11月地下化された(将来地下化見据えて建設時にその準備工事はなされていた)。この御堂筋線地下化後あびこ筋整備されている。 中百舌鳥駅への延伸時、当初泉北高速鉄道乗り入れる構想もあったが、両社局の軌間御堂筋線は 1435 mm泉北高速1067 mm)・集電方式御堂筋線第三軌条泉北高速架線式)・電圧御堂筋線750 V 、泉北高速1500 V)および車両規格相違などから見送られた。

※この「建設時の逸話」の解説は、「Osaka Metro御堂筋線」の解説の一部です。
「建設時の逸話」を含む「Osaka Metro御堂筋線」の記事については、「Osaka Metro御堂筋線」の概要を参照ください。


建設時の逸話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 07:31 UTC 版)

Osaka Metro谷町線」の記事における「建設時の逸話」の解説

谷町線1927年立てられ当初の計画では、松屋町筋通過する予定であったまた、梅田付近において現在の東梅田駅通らず御堂筋線梅田駅構内乗り入れ御堂筋線四つ橋線同一ホーム乗り換えられる大国町駅同様の構造にする予定であった梅田駅には谷町線用のトンネル掘られたものの、そこに繋ぐためのトンネル落盤事故起きるなど工事難航したため、東梅田駅通過する現行ルート計画変更された。梅田駅谷町線松屋町線)トンネル長らく放置されていたが、1989年梅田駅混雑解消のため御堂筋線南行きホーム転用された。 湧水地帯でもあった上町台地西端を通る当路線のトンネル工事によって大阪地下水脈大きく変化し天王寺名水をはじめ多く大阪名水枯れてしまうという影響及ぼした1970年天神橋筋六丁目谷町線地下鉄工事大規模なガス爆発事故天六ガス爆発事故)が発生多数死傷者出し工事大幅に遅れた

※この「建設時の逸話」の解説は、「Osaka Metro谷町線」の解説の一部です。
「建設時の逸話」を含む「Osaka Metro谷町線」の記事については、「Osaka Metro谷町線」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「建設時の逸話」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「建設時の逸話」の関連用語

建設時の逸話のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



建設時の逸話のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのOsaka Metro御堂筋線 (改訂履歴)、Osaka Metro谷町線 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS