東京拘置所
(小菅刑務所 から転送)
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東京拘置所(とうきょうこうちしょ)は、法務省東京矯正管区に属する拘置所。通称「東拘(とうこう)」、所在地である「小菅」と呼ばれることも多い。
- ^ 黒川和久 (2016年1月4日). “各駅停話:553 東武スカイツリーライン:21 小菅 拘置所前、笑顔の喫茶店”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 9面
- ^ 巣鴨に東京拘置所、市ヶ谷から移転『東京日日新聞』1937年(昭和12年)5月9日夕刊
- ^ 織田文二『巣鴨プリズン記録写真集』(1983年)P82-83。
- ^ 2013年(平成25年)5月16日法務省令第6号「刑務所、少年刑務所及び拘置所組織規則の一部を改正する省令」
- ^ 「有栖川宮」詐欺:拘置所から手紙流出、週刊誌掲載 国謝罪、150万円で和解 毎日新聞 2009年7月10日 Archived 2012年7月14日, at Archive.is
- ^ 死刑の刑場、報道機関に初めて公開 Archived 2010年8月30日, at the Wayback Machine.
- ^ 2017年9月20日付、建通新聞より
- ^ 田中保釈 見物人つめかける 異例の「正門を使用」『朝日新聞』1976年(昭和51年)8月17日夕刊、3版、7面
- ^ “工事作業員の上着と帽子、マスクで“変装”、拘置所の外へ ゴーン前会長”. 毎日新聞 (2019年3月6日). 2021年2月15日閲覧。
- 1 東京拘置所とは
- 2 東京拘置所の概要
- 3 構造
- 4 脚注
小菅刑務所
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1878年(明治11年)、内務省は囚人に与える苦役の一つとして煉瓦の製造に従事させることができるのではないかと判断、県庁跡に小菅集治監を設置した。翌1879年(明治12年)、刑務作業としての煉瓦製造が始まる。その後、小菅監獄を経て1922年(大正11年)、小菅刑務所と改称した。 大東亜戦争(第二次世界大戦)終結後の1945年(昭和20年)10月、東京都豊島区西巣鴨(当時。現・東池袋4丁目の「サンシャインシティ」と「東池袋中央公園」)にあった東京拘置所の施設が、GHQに接収された。このため一時期、小菅刑務所に東京拘置所が同居する状態となっていた(東京拘置所の職員が小菅刑務所の職員を兼務)。A級戦犯は1956年(昭和31年)までに処刑または釈放され、B・C級まで含めた戦争犯罪者とされた者も1958年(昭和33年)5月までに全員釈放され、東京拘置所は巣鴨に復元された。 詳細は「巣鴨拘置所#米軍管轄下の巣鴨拘置所」および「極東国際軍事裁判#戦犯の赦免」を参照 「A級戦犯#主権回復後の赦免」および「BC級戦犯#「釈放運動」」も参照 首都圏整備計画の一環として、東京拘置所を巣鴨の地から移転させることが必要になったため、1971年(昭和46年)に小菅刑務所は栃木県宇都宮市にあった宇都宮刑務所と統合の上、栃木県那須郡黒羽町(現・大田原市)に新設された黒羽刑務所へ移転。東京拘置所は再び小菅に移された。 詳細は「黒羽刑務所#沿革」を参照 1879年(明治12年):東京府南葛飾郡小菅村に内務省直轄の東京集治監を設置(銀座煉瓦街の煉瓦を焼いた煉瓦製造所を買い上げ、収容者が煉瓦製造に従事した) 1900年(明治33年):内務省から司法省の所管に移る。 1903年(明治36年)3月:小菅監獄と改称(監獄官制) 1922年(大正11年):小菅刑務所と改称。 1923年(大正12年)9月:関東大震災で被害を受ける。 1929年(昭和4年):新庁舎が落成。(蒲原重雄設計。当時の管理棟が現存) 1945年(昭和20年):巣鴨の東京拘置所が接収を受けたため、東京拘置所が小菅に置かれる。 1958年(昭和33年):東京拘置所が巣鴨に復元される。 1971年(昭和46年):小菅刑務所が栃木県那須郡黒羽町(現・大田原市)に移転し、黒羽刑務所として供用開始。
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小菅刑務所
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蒲原は関東大震災で罹災した小菅刑務所の建替えを担当し、大正13年(1924年)に着工。すべて受刑者の労役により建設され、昭和4年(1929年)に落成式を迎えた。「行刑政策の新理想である教化主義を表現せん」としたもので、「モダン刑務所」と評された。小菅刑務所はその後東京拘置所となり、ほとんどの施設は建替えられているが、管理棟は現存しており、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選出されている。
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