小菅刑務所とは? わかりやすく解説

東京拘置所

(小菅刑務所 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/18 13:42 UTC 版)

東京拘置所(とうきょうこうちしょ)は、法務省東京矯正管区に属する拘置所。通称「東拘(とうこう)」、所在地である「小菅」と呼ばれることも多い。


  1. ^ 黒川和久 (2016年1月4日). “各駅停話:553 東武スカイツリーライン:21 小菅 拘置所前、笑顔の喫茶店”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 9面 
  2. ^ 巣鴨に東京拘置所、市ヶ谷から移転『東京日日新聞』1937年(昭和12年)5月9日夕刊
  3. ^ 織田文二『巣鴨プリズン記録写真集』(1983年)P82-83。
  4. ^ 2013年(平成25年)5月16日法務省令第6号「刑務所少年刑務所及び拘置所組織規則の一部を改正する省令」
  5. ^ 「有栖川宮」詐欺:拘置所から手紙流出、週刊誌掲載 国謝罪、150万円で和解 毎日新聞 2009年7月10日 Archived 2012年7月14日, at Archive.is
  6. ^ 死刑の刑場、報道機関に初めて公開 Archived 2010年8月30日, at the Wayback Machine.
  7. ^ 2017年9月20日付、建通新聞より
  8. ^ 田中保釈 見物人つめかける 異例の「正門を使用」『朝日新聞』1976年(昭和51年)8月17日夕刊、3版、7面
  9. ^ 工事作業員の上着と帽子、マスクで“変装”、拘置所の外へ ゴーン前会長”. 毎日新聞 (2019年3月6日). 2021年2月15日閲覧。


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小菅刑務所

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東京拘置所」の記事における「小菅刑務所」の解説

1878年明治11年)、内務省囚人与え苦役一つとして煉瓦製造従事させることができるのではないか判断県庁跡に小菅集治監設置した。翌1879年明治12年)、刑務作業としての煉瓦製造が始まる。その後小菅監獄経て1922年大正11年)、小菅刑務所と改称した大東亜戦争第二次世界大戦終結後1945年昭和20年10月東京都豊島区西巣鴨当時。現・東池袋4丁目の「サンシャインシティ」と「東池袋中央公園」)にあった東京拘置所施設が、GHQ接収された。このため一時期、小菅刑務所に東京拘置所同居する態となっていた(東京拘置所職員が小菅刑務所の職員兼務)。A級戦犯1956年昭和31年)までに処刑または釈放されB・C級まで含めた戦争犯罪者とされた者も1958年昭和33年5月までに全員釈放され東京拘置所巣鴨復元された。 詳細は「巣鴨拘置所#米軍管轄下の巣鴨拘置所」および「極東国際軍事裁判#戦犯の赦免」を参照A級戦犯#主権回復後の赦免」および「BC級戦犯#「釈放運動」」も参照 首都圏整備計画一環として東京拘置所巣鴨の地から移転させることが必要になったため、1971年昭和46年)に小菅刑務所は栃木県宇都宮市にあった宇都宮刑務所統合の上栃木県那須郡黒羽町(現・大田原市)に新設され黒羽刑務所移転東京拘置所は再び小菅移された。 詳細は「黒羽刑務所#沿革」を参照 1879年明治12年):東京府南葛飾郡小菅村内務省直轄東京集治監設置銀座煉瓦街煉瓦焼いた煉瓦製造所を買い上げ収容者煉瓦製造従事した1900年明治33年):内務省から司法省所管に移る。 1903年明治36年3月小菅監獄改称監獄官制1922年大正11年):小菅刑務所と改称1923年大正12年9月関東大震災被害を受ける1929年昭和4年):新庁舎落成。(蒲原重雄設計当時管理棟現存1945年昭和20年):巣鴨東京拘置所接収受けたため、東京拘置所小菅置かれる1958年昭和33年):東京拘置所巣鴨復元される1971年昭和46年):小菅刑務所が栃木県那須郡黒羽町(現・大田原市)に移転し黒羽刑務所として供用開始

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小菅刑務所

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蒲原重雄」の記事における「小菅刑務所」の解説

蒲原関東大震災罹災した小菅刑務所の建替え担当し大正13年1924年)に着工。すべて受刑者労役により建設され昭和4年1929年)に落成式迎えた。「行刑政策の新理想である教化主義表現せん」としたもので、「モダン刑務所」と評された。小菅刑務所はその後東京拘置所となり、ほとんどの施設建替えられているが、管理棟現存しており、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築選出されている。

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