小菅刑務所への収監
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近代建築史上でも有名な小菅刑務所に入獄し、3年間独房に収監された。まじめにつとめていたということで、木工場に出て働かないかといわれ、工場にでたという。小菅の独房では血盟団事件、一殺多生「一人一殺」の井上日召や橘孝三郎らと一緒になり、彼らとは気脈が通じ、監獄ではわりあい優遇された。「対談 大東京時代の「様々なる意匠」藤森照信×松山巌」(『東京人』2000年4月号. 152号 特集:昭和モダン建築 都市出版)によると、看守からは、右翼連中と仲がよかったため、怖がられていたという。当時、差し入れとして建築関係の雑誌やアルスの講座を送ってもらっていた。木工場では軍需関係の木工品が多く、今泉は図面の読み書きができるため任され、製図道具を揃えられた。この間工場での生産品の工程や導線計画が気になりだし、藤森建築 / 3.一人親方焼酎工場の中味にあるとおり、生産について計画提案を行い採用され恩恵を受けることもあった。戦時中獄中にいても外の建築界の動向については雑誌等で知っており、大東亜共栄圏を意識した大東亜建設記念造営設計競技など、外の連中はみんなだめだと思っていたと語っている。
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