小菅山の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 05:30 UTC 版)
「小菅神社 (飯山市)」の記事における「小菅山の確立」の解説
こうした自然信仰的な基層に対し、小菅山の信仰に社寺としての形態が与えられた年代、すなわち小菅山の歴史的創建は、おそくとも平安時代後期までのことと考えられている。小菅山にまつわる諸史資料のなかで、社伝の木造馬頭観世音菩薩坐像が平安時代後期の作と推定されるためである。 平安時代後期はまた、本地垂迹思想の定着と、中世熊野御幸の隆盛期でもある。小菅山を含めた北信州一帯においても、後白河院撰の『梁塵秘抄』に戸隠山がうたわれていることから推測されるように、熊野修験が入り込んできただけでなく、小菅山の確立に寄与したものと考えられている。事実、小菅山を含む小菅荘一帯には、八所権現だけでなく、熊野社も数多く勧請されており、小菅山の霊場としての確立期に熊野修験の活動があったことを知ることができる。 なお、この時期までに小菅山が確立していたことを伝える史料に、社伝の菩提院曼荼羅がある。菩提院曼荼羅は、中国から輸入された絹地に畿内で彩色されたものであり、制作年代は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけてと推定されている。このような希少品を蔵することからも、小菅山が一定の勢力をともなって確立したことをうかがい知ることができるだろう。
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