たすう‐いけん【多数意見】
多数意見
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最高裁判所大法廷は、平成20年6月4日判決で、次のような判断を示した。 これは島田、泉、才口、今井、中川、那須、涌井、田原、近藤各裁判官による多数意見である。 国籍法3条1項による国籍取得の区別の憲法適合性について 憲法10条と憲法14条の関係 憲法14条1項は、法の下の平等を定めており、この規定は、事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り、法的な差別的取扱いを禁止する趣旨であると解すべきことは、当裁判所の判例とするところである(最高裁昭和39年5月27日大法廷判決(地方公務員待命処分無効確認事件)、最高裁昭和48年4月4日大法廷判決(尊属殺重罰規定違憲判決))。 憲法10条は、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める。」と規定し、これを受けて、国籍法は、日本国籍の得喪に関する要件を規定している。憲法10条の規定は、国籍は国家の構成員としての資格であり、国籍の得喪に関する要件を定めるに当たってはそれぞれの国の歴史的事情、伝統、政治的、社会的及び経済的環境等、種々の要因を考慮する必要があることから、これをどのように定めるかについて、立法府の裁量判断にゆだねる趣旨のものであると解される。しかしながら、このようにして定められた日本国籍の取得に関する法律の要件によって生じた区別が、合理的理由のない差別的取扱いとなるときは、憲法14条1項違反の問題を生ずることはいうまでもない。すなわち、立法府に与えられた上記のような裁量権を考慮しても、なおそのような区別をすることの立法目的に合理的な根拠が認められない場合、又はその具体的な区別と上記の立法目的との間に合理的関連性が認められない場合には、当該区別は、合理的な理由のない差別として、同項に違反するものと解されることになる。 日本国籍は、我が国の構成員としての資格であるとともに、我が国において基本的人権の保障、公的資格の付与、公的給付等を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。一方、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得するか否かということは、子にとっては自らの意思や努力によっては変えることのできない父母の身分行為に係る事柄である。したがって、このような事柄をもって日本国籍取得の要件に関して区別を生じさせることに合理的な理由があるか否かについては、慎重に検討することが必要である。 国籍法3条1項の合理性に関する検討 国籍法3条が設けられた沿革と立法当時における同条の合理性に関する検討 国籍法3条の規定する届出による国籍取得の制度は、法律上の婚姻関係にない日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した子について準正のほか同条1項の要件を満たした場合に限り、法務大臣への届出によって日本国籍の取得を認めるものであり、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生した嫡出子が生来的に日本国籍を取得することとの均衡を図ることによって、同法の基本的な原則である血統主義を補完するものとして、昭和59年法律第45号による国籍法の改正において新たに設けられたものである。 日本国民を血統上の親として出生した子であっても、日本国籍を生来的に取得しなかった場合には、その後の生活を通じて国籍国である外国との密接な結び付きを生じさせている可能性があるから、国籍法3条1項は、同法の基本的な原則である血統主義を基調としつつ、日本国民との法律上の親子関係の存在に加え我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を設けて、これらを満たす場合に限り出生後における日本国籍の取得を認めることとしたものと解される。このような目的を達成するため準正その他の要件が設けられ、これにより本件区別が生じたのであるが、本件区別を生じさせた上記の立法目的自体には,合理的な根拠があるというべきである。 また、国籍法3条1項の規定が設けられた当時(1984年当時)の社会通念や社会的状況の下においては、日本国民である父と日本国民でない母との間の子について、父母が法律上の婚姻をしたことをもって日本国民である父との家族生活を通じた我が国との密接な結び付きの存在を示すものとみることには相応の理由があったものとみられ、当時の諸外国における前記のような国籍法制の傾向にかんがみても、同項の規定が認知に加えて準正を日本国籍取得の要件としたことには、上記の立法目的との間に一定の合理的関連性があったものということができる。 国籍法制をめぐる情勢の変化 しかしながら、その後、我が国における社会的、経済的環境等の変化に伴って、夫婦共同生活の在り方を含む家族生活や親子関係に関する意識も一様ではなくなってきており、今日では、出生数に占める非嫡出子の割合が増加するなど、家族生活や親子関係の実態も変化し多様化してきている。このような社会通念及び社会的状況の変化に加えて、近年、我が国の国際化の進展に伴い国際的交流が増大することにより、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生する子が増加しているところ、両親の一方のみが日本国民である場合には、同居の有無など家族生活の実態においても、法律上の婚姻やそれを背景とした親子関係の在り方についての認識においても、両親が日本国民である場合と比べてより複雑多様な面があり、その子と我が国との結び付きの強弱を両親が法律上の婚姻をしているか否かをもって直ちに測ることはできない。これらのことを考慮すれば、日本国民である父が日本国民でない母と法律上の婚姻をしたことをもって、初めて子に日本国籍を与えるに足りるだけの我が国との密接な結び付きが認められるものとすることは、今日では必ずしも家族生活等の実態に適合するものということはできない。 また、諸外国においては、非嫡出子に対する法的な差別的取扱いを解消する方向にあることがうかがわれ、我が国が批准した市民的及び政治的権利に関する国際規約及び児童の権利に関する条約にも、児童が出生によっていかなる差別も受けないとする趣旨の規定が存する。さらに、国籍法3条1項の規定が設けられた後、自国民である父の非嫡出子について準正を国籍取得の要件としていた多くの国において、今日までに、認知等により自国民との父子関係の成立が認められた場合にはそれだけで自国籍の取得を認める旨の法改正が行われている。 以上のような我が国を取り巻く国内的、国際的な社会的環境等の変化に照らしてみると、準正を出生後における届出による日本国籍取得の要件としておくことについて、前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだすことがもはや難しくなっているというべきである。 父から胎児認知を受けた子との区別の合理性の検討 一方、国籍法は、前記のとおり、父母両系血統主義を採用し、日本国民である父又は母との法律上の親子関係があることをもって我が国との密接な結び付きがあるものとして日本国籍を付与するという立場に立って、出生の時に父又は母のいずれかが日本国民であるときには子が日本国籍を取得するものとしている(2条1号)。その結果、日本国民である父又は母の嫡出子として出生した子はもとより、日本国民である父から胎児認知された非嫡出子及び日本国民である母の非嫡出子も、生来的に日本国籍を取得することとなるところ、同じく日本国民を血統上の親として出生し、法律上の親子関係を生じた子であるにもかかわらず、日本国民である父から出生後に認知された子のうち準正により嫡出子たる身分を取得しないものに限っては、生来的に日本国籍を取得しないのみならず、同法3条1項所定の届出により日本国籍を取得することもできないことになる。このような区別の結果、日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子のみが、日本国籍の取得について著しい差別的取扱いを受けているものといわざるを得ない。 日本国籍の取得が、前記のとおり、我が国において基本的人権の保障等を受ける上で重大な意味を持つものであることにかんがみれば、以上のような差別的取扱いによって子の被る不利益は看過し難いものというべきであり、このような差別的取扱いについては、前記の立法目的との間に合理的関連性を見いだし難いといわざるを得ない。とりわけ、日本国民である父から胎児認知された子と出生後に認知された子との間においては、日本国民である父との家族生活を通じた我が国社会との結び付きの程度に一般的な差異が存するとは考え難く、日本国籍の取得に関して上記の区別を設けることの合理性を我が国社会との結び付きの程度という観点から説明することは困難である。また、父母両系血統主義を採用する国籍法の下で、日本国民である母の非嫡出子が出生により日本国籍を取得するにもかかわらず、日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子が届出による日本国籍の取得すら認められないことには、両性の平等という観点からみてその基本的立場に沿わないところがあるというべきである。 法3条1項の区別について、これを生じさせた立法目的自体には合理的な根拠が認められるものの、立法目的との間における合理的関連性は、我が国の内外における社会的環境の変化等によって失われており、今日においては法3条1項の規定は、日本国籍の取得につき合理性を欠いた過剰な要件を課すものである。すなわち、日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子に対して、日本国籍の取得において著しい不利益な差別的取り扱いを生じさせていると言わざるを得ず、国籍取得の要件を定めるに当たって立法府に与えられた裁量権を考慮しても、この結果について、立法目的との間において合理的関連性があるものということはもはやできない。 小括 上記に説示した事情を併せ考慮するならば、国籍法が、同じく日本国民との間に法律上の親子関係を生じた子であるにもかかわらず、上記のような非嫡出子についてのみ、父母の婚姻という、子にはどうすることもできない父母の身分行為が行われない限り、生来的にも届出によっても日本国籍の取得を認めないとしている点は、今日においては、立法府に与えられた裁量権を考慮しても、我が国との密接な結び付きを有する者に限り日本国籍を付与するという立法目的との合理的関連性の認められる範囲を著しく超える手段を採用しているものというほかなく、その結果、不合理な差別を生じさせているものといわざるを得ない。 簡易帰化や仮装認知のおそれとの関係 確かに、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し、父から出生後に認知された子についても、国籍法8条1号所定の簡易帰化により日本国籍を取得するみちが開かれている。しかしながら、帰化は法務大臣の裁量行為であり、同号所定の条件を満たす者であっても当然に日本国籍を取得するわけではないから、これを届出による日本国籍の取得に代わるものとみることにより、本件区別が前記立法目的との間の合理的関連性を欠くものでないということはできない。 なお、日本国民である父の認知によって準正を待たずに日本国籍の取得を認めた場合に,国籍取得のための仮装認知がされるおそれがあるから、このような仮装行為による国籍取得を防止する必要があるということも、本件区別が設けられた理由の一つであると解される。しかし、そのようなおそれがあるとしても、父母の婚姻により子が嫡出子たる身分を取得することを日本国籍取得の要件とすることが、仮装行為による国籍取得の防止の要請との間において必ずしも合理的関連性を有するものとはいい難く、上記オの結論を覆す理由とすることは困難である。 まとめ 本件区別については,これを生じさせた立法目的自体に合理的な根拠は認められるものの、立法目的との間における合理的関連性は、我が国の内外における社会的環境の変化等によって失われており、今日において、国籍法3条1項の規定は、日本国籍の取得につき合理性を欠いた過剰な要件を課するものとなっているというべきである。しかも、本件区別については、胎児認知を受けた子との他の区別も存在しており、日本国民である父から出生後に認知されたにとどまる非嫡出子に対して、日本国籍の取得において著しく不利益な差別的取扱いを生じさせているといわざるを得ず、国籍取得の要件を定めるに当たって立法府に与えられた裁量権を考慮しても、この結果について、上記の立法目的との間において合理的関連性があるものということはもはやできない。 そうすると、本件区別は、遅くとも上告人(原告)が法務大臣あてに国籍取得届を提出した当時(2003年)には、立法府に与えられた裁量権を考慮してもなおその立法目的との間において合理的関連性を欠くものとなっていたと解される。 したがって、上記時点において、本件区別は合理的な理由のない差別となっていたといわざるを得ず、国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは、憲法14条1項に違反するものであったというべきである。 本件区別による違憲の状態を前提として上告人らに日本国籍の取得を認めることの可否 以上のとおり、国籍法3条1項の規定が本件区別を生じさせていることは、遅くとも上記時点以降において憲法14条1項に違反するといわざるを得ないが、国籍法3条1項が日本国籍の取得について過剰な要件を課したことにより本件区別が生じたからといって、本件区別による違憲の状態を解消するために同項の規定自体を全部無効として、準正のあった子(以下「準正子」という。)の届出による日本国籍の取得をもすべて否定することは、血統主義を補完するために出生後の国籍取得の制度を設けた同法の趣旨を没却するものであり、立法者の合理的意思として想定し難いものであって、採り得ない解釈であるといわざるを得ない。そうすると、準正子について届出による日本国籍の取得を認める同項の存在を前提として、本件区別により不合理な差別的取扱いを受けている者の救済を図り、本件区別による違憲の状態を是正する必要があることになる。 このような見地に立って是正の方法を検討すると、憲法14条1項に基づく平等取扱いの要請と国籍法の採用した基本的な原則である父母両系血統主義とを踏まえれば、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し、父から出生後に認知されたにとどまる子についても、血統主義を基調として出生後における日本国籍の取得を認めた同法3条1項の規定の趣旨・内容を等しく及ぼすほかはない。すなわち、このような子についても、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したことという部分を除いた同項所定の要件が満たされる場合に、届出により日本国籍を取得することが認められるものとすることによって、同項及び同法の合憲的で合理的な解釈が可能となるものということができ、この解釈は、本件区別による不合理な差別的取扱いを受けている者に対して直接的な救済のみちを開くという観点からも、相当性を有するものというべきである。 そして、上記の解釈は、本件区別に係る違憲の瑕疵を是正するため、国籍法3条1項につき、同項を全体として無効とすることなく、過剰な要件を設けることにより本件区別を生じさせている部分のみを除いて合理的に解釈したものであって、その結果も、準正子と同様の要件による日本国籍の取得を認めるにとどまるものである。この解釈は,日本国民との法律上の親子関係の存在という血統主義の要請を満たすとともに、父が現に日本国民であることなど我が国との密接な結び付きの指標となる一定の要件を満たす場合に出生後における日本国籍の取得を認めるものとして、同項の規定の趣旨及び目的に沿うものであり、この解釈をもって、裁判所が法律にない新たな国籍取得の要件を創設するものであって国会の本来的な機能である立法作用を行うものとして許されないと評価することは、国籍取得の要件に関する他の立法上の合理的な選択肢の存在の可能性を考慮したとしても、当を得ないものというべきである。 したがって、日本国民である父と日本国民でない母との間に出生し、父から出生後に認知された子は、父母の婚姻により嫡出子たる身分を取得したという部分を除いた国籍法3条1項所定の要件が満たされるときは、同項に基づいて日本国籍を取得することが認められるというべきである。
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多数意見
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多数意見は最初に、妊娠中絶規制の歴史を振り返り、当時アメリカで一般的であった中絶を犯罪として罰する法律は19世紀後半以降の比較的新たな立法であることを指摘した。次にプライバシーの権利について検討し、憲法は明文上プライバシーの権利について触れていないと認めながらも、州がデュー・プロセス・オブ・ローなしに、人々の自由を奪うことを禁止した修正第14条を根拠に、プライバシーの権利を憲法上の権利として承認した。最高裁は、女性が妊娠中また出産後に負う肉体的・心理的負担について強調し、プライバシーの権利は女性が妊娠中絶を行うかどうかを決定する権利を含むと判示した。しかしながら、中絶の権利は絶対的ではなく、州の利益とのバランスがはかられるべきであるとし、中絶の権利は根本的な権利であるため、これを制限する法律の合憲性は、厳格審査基準で判断されると述べた。 多数意見は胎児の生命について、合衆国憲法上「人」に胎児が含まれるとは明記されていないと述べ、人の生はいつから始まるかという論争に関与することを避けた。その上で、州は母体の健康を保護するやむにやまれない利益を有するほか、胎児の母体外での生存が可能となる時点以降は、州は生命の可能性を保護するやむにやまれない利益を有するとされた。 以上の分析にもとづき、最高裁は妊娠を三半期毎に分け、それぞれについて州による中絶規制の憲法上の制限を定めた。第1三半期においては、政府は中絶を禁止してはならず、(免許のある産科医によらなければならないなど)医療上の要件だけを定めることができる。第2三半期に入ると、政府は中絶を禁止することはできないが、母体の健康のために合理的に必要な範囲で中絶の方法を制限することができる。第3三半期、すなわち胎児が独立生存可能性を備えた後は、政府は母体の生命・健康を保護するために必要な場合を除いて、中絶を禁止することができる。なお、この妊娠を三半期に分ける枠組みは、1992年のプランド・ペアレントフッド対ケイシー事件判決で覆された。 この結果、母体の生命を保護するために必要な場合を除き中絶を全面的に禁止したテキサス州法の規定は違憲無効とされた。同日下されたドウ対ボルトン事件判決では、母体の健康・生命の危険、胎児の深刻な障害、レイプによる妊娠の各場合を除き中絶を禁止していたジョージア州法が違憲とされた。また、上記の枠組みに従わない多くの州の中絶禁止規定は自動的に無効となった。 なおテキサス州は、原告ローは最高裁での口頭弁論の時点ですでに出産していたため、判決によって救済を受けることはできず、事件はムート(仮定上のもの)となり請求は却下されるべきであると主張した。これについて多数意見は、妊娠期間中に訴訟を提起し上級審の判断を仰ぐことは困難であるため、ムートの法理を適用すると実質的に司法審査が不可能になってしまうとして、「繰り返されるが審査は免れる」の例外を適用し、テキサス州の主張を退け実体判断を行った。
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多数意見
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「核兵器の威嚇または使用の合法性国際司法裁判所勧告的意見」の記事における「多数意見」の解説
国連憲章第96条1項により、国連総会は「いかなる法律問題についても」裁判所に勧告的意見を要請できることとされており、このことから国連総会は国連憲章によって裁判所への意見要請を許可された団体とされた。本件では宣言を付した判事が5名、個別意見を付した判事が3名、反対意見を付した判事が6名と、14名の判事全員が個別の意見を発するなど、個々の裁判官の間でも大きく意見が分かれた。多数意見の評価・解釈も多様である。以下裁判所の多数意見を論点ごとに紹介する。 適用法規 国連総会の諮問に回答するためには、本件に適用される関連法規を決定しなければならない。まず国際人権B規約第6条に定められた「生命に対する権利」は敵対行為にも適用されるが、生命の恣意的剥奪と言えるかどうかは武力紛争に適用される法によって判断されるべきであり、人権規約から判断されるものではない。ジェノサイド条約に定められたジェノサイドの禁止は、同条約を批准していない国も拘束する国際慣習法であるが、これは同条約第2条が言うところの集団それ自体に向けられた攻撃である場合にのみ適用される規則であり、核兵器の威嚇または使用の各々の事例を考慮に入れなければ同条約上の義務との適否について判断することはできない。ジュネーヴ諸条約第一追加議定書第35条3項や環境改変技術軍事使用禁止条約や人間環境宣言第21原則などといった、環境の保護に関する規範も本件に直接適用される法規とは言えない。したがって、この問題に最も関連する適用法規は、国連憲章中の武力行使に関する規定、および敵対行為を規制する武力紛争に適用される法であると裁判所は判断する。 核兵器の特性 様々な条約による核兵器の定義によると、核兵器とは核分裂や核融合によって甚大な熱エネルギーと放射線を放出する爆発装置である。その特徴は他の兵器よりもはるかに甚大な被害をもたらし、放射線の影響を残すことにある。こうした核兵器の特性により核兵器は潜在的に破滅的な力を持ち、その使用による効果は時間的にも空間的にも限定されず、地球上の全ての文明と生態系を破壊しうる。放射線は自然環境にも広範囲にわたり影響を与え、未来の世代にも深刻な危険を与える。 国連憲章と核兵器 国連憲章第2条4項には「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と定められており、これは同42条や同51条などの関連規定に照らして判断されなければならないが、これらの規定は核兵器を含め特定の兵器に言及しておらず、使用される兵器の種類を問わず全ての武力行使に適用される規定である。国連憲章第51条に定められる自衛権に基づく武力行使には、相手国による急迫不正の侵害が存在するという必要性の要件と、相手国の侵害行為と釣り合いのとれた自衛措置でなければならないという均衡性の要件が、国際慣習法により求められる。均衡性の要件は、それ自体があらゆる自衛の状況における核兵器使用を禁止するわけではないが、しかし自衛権行使による均衡性ある武力行使が合法であるためには、武力紛争に適用される法の要求を満たさなければならない。国連憲章第2条4項が言うところの武力の「行使」と「威嚇」は、ある武力の行使が違法であれば、そのような武力を行使するとの威嚇もまた違法となるという意味で、一体の概念である。核抑止政策が効果的であるためには、核兵器使用の意図が明らかでなければならない。こうした核抑止政策が国連憲章第2条4項に違反する「威嚇」に相当するかどうかは、それが他国の「領土保全又は政治的独立に対するもの」であるか、「国際連合の目的と両立しない」ものであるか、あるいはそれが自衛措置として行われた場合に必要性と均衡性の要件を必然的に満たしえないか、これらの要件によって判断されることになる。 武力紛争に適用される法と核兵器 核兵器の使用それ自体を規制する特定の国際法規則が存在するかどうかについて、核兵器を含めある特定の兵器が違法である場合にはその兵器を禁止する形で定められる。毒ガス禁止宣言、ハーグ陸戦条約附属ハーグ陸戦規則第23条aが言うところの「毒又ハ毒ヲ施シタル兵器」、毒ガス議定書などの解釈は様々であるが、少なくともこれらの条約の当事国はこれらの規定を核兵器に当てはまるものとしては扱ってこなかった。生物・毒素兵器禁止条約や化学兵器禁止条約にも核兵器を特定して禁止する規定は見られない。近年核拡散防止条約の無期限延長との関連でトラテロルコ条約やラロトンガ条約などといった非核地帯条約が締結され、核兵器の使用についても取り扱っているが、しかしもっぱら核兵器の取得・生産・保有・配備・実験を扱うこれらの条約は、核兵器の使用を禁止する条約ではない。 国際慣習法と核兵器 国際慣習法が形成されるためには、大多数の国家による同様の行為の反復(一般慣行)と、その行為を行う国家にそれが国際法に基づいたものであるという認識(法的信念)が必要とされる。核兵器使用を違法とする国々は1945年以来核兵器が恒常的に使用されていないことを、核兵器保有国の法的信念の現れであると主張する。それに対し、ある特定の状況における核兵器の威嚇または使用の合法性を主張する国々は、核抑止理論の実践を援用し、核兵器が使用されなかったのは単に幸いにもその使用を正当化するような状況が発生しなかったからだと主張する。裁判所は、冷戦の間一定の国々が核抑止政策に依拠し続けてきたことは事実であることに鑑み、また国際社会の構成員の間で意見が大きく分かれていることからも、核兵器の威嚇または使用全般を違法とするような法的信念の存在を認めることはできない。 国際人道法および中立法と核兵器 国際人道法諸文書の基本的原則は、民間人・民用物の保護を目的とする戦闘員と非戦闘員の区別に関する第1原則、戦闘員に不必要な苦痛を与えることを禁じる第2原則が存在し、これらの原則に照らし国家は使用する兵器について無制限な自由を有するわけではない。 主文 以下に裁判所が下した勧告的意見の主文を引用する。 (1)意見要請の可否 勧告的意見の要請に応じることを決定する。(賛成13/反対1) (2)諮問への回答 A. 核兵器の威嚇または使用を特段認可する国際慣習法や条約法は存在しない。(全員一致) B. 核兵器の威嚇または使用を包括的かつ普遍的に禁止する国際慣習法や条約法も存在しない。(賛成11/反対3) C. 国連憲章第2条4項に違反し、かつ同第51条の要件を満たさない、核兵器を用いた武力による威嚇・武力の行使は違法である。(全員一致) D. 核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の要件、特に国際人道法上の原則・規則や、明示的に核兵器を取り扱う条約、その他の国際約束の下での義務に適合するものでなければならない。(全員一致) E. 以上のことから、核兵器の威嚇または使用は武力紛争に適用される国際法の規則、特に国際人道法上の原則・規則に一般的には違反するであろう。しかし、国際法の現状や裁判所が確認した事実に照らすと、国家の存亡そのものが危険にさらされるような、自衛の極端な状況(extreme circumstance of self-defence)における、核兵器の威嚇または使用が合法であるか違法であるかについて裁判所は最終的な結論を下すことができない。(賛成7/反対7) F. 厳格かつ実効的な国際管理のもとで、全面的な核軍縮に向けた交渉を誠実に行い、その交渉を完結させる義務がある。(全員一致)
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「ローレンス対テキサス州事件」の記事における「多数意見」の解説
合衆国最高裁は、6対3で、テキサス州法を違憲と判断し無効とした。多数意見を構成した5人の裁判官は、同法が合衆国憲法修正第14条のデュー・プロセス条項に違反していると述べ、バウアーズ判決を判例変更し、テキサス州法のみならず他の12州のソドミー法を無効にした。多数意見はケネディ判事が執筆し、スティーブンス、スーター、ギンズバーグおよびブレイヤー各判事が同調した。多数意見は、欧州人権裁判所の判例などを引用し、同性愛者による同性間性行為が歴史的に広く西欧社会において非難されてきた行為であるというバウアーズ判決の認識を批判した。判決は次のように結論を述べた。 「バウアーズ判決は、決定された時点で誤っており、今日も誤っている。同判決は拘束力のある判例として存続するべきではない。バウアーズ対ハードウィック事件判決は判例変更されるべきであり、本判決によって覆される。」 多数意見は、「本事件で問題となっている成人による合意にもとづく性的行為は、修正第14条によるデュー・プロセス条項のうち実質的権利として保護される自由の一つである」との判断を下した。判決は「テキサス州法は、個人の私的な生活への介入を正当化するような正当な州の利益を何ら促進しない」と述べ、テキサス州のソドミー法を違憲とした。ケネディ判事の意見は、成人の同意にもとづく性行為の権利を、社会による伝統的な保護(バウアーズ判決)、出産との関係(アイゼンスタット判決、ロー判決)や婚姻関係(グリズウォルド判決)ではなく、行為の私的な性質によって基礎づけたことが重要である。この判決により、理論上、これまで他の判例によって保護されていなかった成人による同意にもとづく性行為が保護されることになった。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 00:30 UTC 版)
「アシュクロフト対表現の自由連合裁判」の記事における「多数意見」の解説
「議会は表現の自由を侵害する法律を作らない」べきであり、保護された表現に刑事制裁を課すことは、「表現抑圧の深刻な例」である。同時に、子供の性的虐待は、「犯罪であり、人々の道徳的本能に反する行為」である。議会は、子供を虐待から守るための有効な法律を通過させるかもしれない。しかし、この事件で争点となっているCPPAの2つの条項の大きな問題は、猥褻や児童ポルノの定義が過度に広範であることだった。 連邦最高裁は、この法律の下ではルネサンスの絵画も性的に明示的な行為をしている未成年者のように見える絵に含まれることを指摘し、性的に明示的な行為をしている17歳の人物のように見える絵は、常にコミュニティの基準に違反するものではないとした。そして、「CPPAは、真剣な文学、芸術、政治、または科学的価値の有無にもかかわらず、表現を禁止している」と結論付けた。 特に、性的行為を行っているティーンエイジャーの視覚的描写は、「現代社会の事実」を表現しており、芸術と文学のテーマとなっている。このような描写を含む作品には、ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲を基にしたバズ・ラーマンの1996年の映画『ロミオ+ジュリエット』や、アカデミー賞を受賞した映画『トラフィック』と『アメリカン・ビューティー』などがある。 「これらの映画、または他の人がそれらの主題を探索し、創作した作品も法律の定義内で性的活動の単一の視覚的描写を含むならば、作品の著作者は、作品の価値を問わずに厳しい刑罰を科されることになるが、これは合衆国憲法修正第1条の基本的な精神と矛盾している。作品の芸術的価値は、単一の明示的なシーンの存在に依存していない」。 したがって、CPPAは反児童ポルノ法とは異なる理由で表現を禁止している。児童ポルノの流通と所有を禁じる法律は、その真の文学的価値や芸術的価値にかかわらず、それが生産される方法によって流通を禁止している。しかし、CPPAによって禁止されている物は、「犯罪は記録されておらず、生産によって被害者は発生していない」。児童ポルノは必ずしも価値がないわけではなく、児童ポルノの作成と配布は、必然的に子供に害を及ぼすという理由で違法となっている。「ファーバー事件」は、バーチャル児童ポルノを、文学的価値を持つと思われる児童ポルノを保護することを、実在する子供を使ったポルノを作ることによる害を軽減する代替手段として明示的に許可した。CPPAは、この区別を排除し、これまで法的な代替案に従事してきた人々を罰している。 政府は、CPPAがなければ、子供に対する凶悪犯罪者がバーチャル児童ポルノを使って子供を誘惑する可能性があると反論した。しかし、「不道徳な目的のために使われるかもしれないおもちゃ、映画、ゲーム、ビデオゲーム、キャンディー、お金など、無実のものは多くあるが、それらが誤用される可能性があるからといって禁止されないように、合衆国憲法修正第1条は、表現と行為を区別し、単に表現が悪い行為につながる可能性があるからといって、表現の禁止を容認しない。CPPAの目的は違法行為を禁止することであったが、法を遵守している大人に表現を制限させているので、その目標を遥かに逸脱している。児童ポルノの市場を排除することが目標だった場合、裁判所は合法的な表現を排除しても政府がその目標を達成できないと判断した。しかし、彼の表現が合法であることを証明するために、表現者に負担をかけてはならない。更に、そのような積極的抗弁は、子どもが生産に悪用されていないことを証明することができる場合でも、有罪判決を受ける恐れがあるので、それ自体の条件では不完全なものとなってしまう。 性的行為に従事する未成年者を描写した印象を伝える宣伝を禁止する条項については、裁判所はこの条項が更に無差別であると判断した。例え映画に未成年者が関わる性的に露骨なシーンが含まれていなくても、タイトルや予告編にそのシーンが映画にあるという印象を伝えれば、児童ポルノとして扱うことができてしまう。猥褻行為の忌避は争点であるかもしれないが、「感情を伝える」という禁止は、全く合法だった音声広告の描写を禁止している。合衆国憲法修正第1条は、CPPAが策定したものよりも、より精密な定義を要求している。
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多数意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 09:02 UTC 版)
「アメリカ証券取引委員会対W. J. Howey社事件」の記事における「多数意見」の解説
多数意見を作成したマーフィー判事は、この訴訟の主要な争点は、W. J. Howey社が土地を販売する契約(基本的にはリースバック契約である)が1933年証券法第2条(a)(1)に定める「投資契約(investment contract)」を構成するか否かであるとした。Murphy判事は、「投資契約」の定義は証券法に規定されていないものの、各州の不正証券取引取締法(ブルースカイ法)において、資金を調達し、当該資金を利用して収入・利益を得ようとする契約やその他の仕組みを広くカバーする語として用いられてきたことを指摘した。最高裁判所は、議会はコモンローのもとで従前から適用されてきたこの語の意味を認識したうえで、この語を法令に記載したと結論付けた。 続いて、マーフィー判事は、あるものが証券法における「投資契約」に該当するかを決定するために、(1)発起人又は第三者の努力にのみ依拠した (2)共同事業からの (3)収益を期待して行われる (4)金銭の投資、という審査基準を設定した。これは最高裁判所が最も初期に定めた「投資契約」該当性の審査基準のひとつであり、後年「Howey test」と呼ばれることとなった。 マーフィー判事は、W. J. Howey社の契約はこの審査基準の4つの要件をすべて満たし、W. J. Howey社は1933年証券法第5条に違反すると判断した。さらに、第5条は届出書の提出を欠く証券の販売のみならず勧誘も禁止しているため、果樹の管理のためにHowey-in-the-Hills Service社以外のサービスを利用していた購入者がいたことは結論に関係しないとした。
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「多数意見」の例文・使い方・用例・文例
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