京王5000系電車 (初代)
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京王5000系電車(けいおう5000けいでんしゃ)は、かつて京王帝都電鉄(現・京王電鉄)に在籍していた通勤形電車である。
注釈
- ^ 5113F - 5118Fは投入当初は2両編成。
- ^ 製造時。後年乗降口にステップを増設して2,800 mmに。
- ^ 5701F - 5708F、5101F - 5108Fの製造当初。のちに改造。
- ^ 特別料金なしで乗車でき、通勤用にも供される汎用冷房車は、大手私鉄では1959年(昭和34年)に登場した名鉄5500系電車が日本初であり、京王5000系電車は二番目となる。その後1969年(昭和44年)に京阪2400系電車が近畿地方初で日本でも三番目の大手私鉄の汎用冷房車として竣功している。
- ^ 団地開発にあたって駅名を変更し、駅自体も2面4線化した。
- ^ 1955年以降日本住宅公団が芦花公園と府中に団地を建設し、京王も1957年からつつじが丘[注 5]に団地を建設するなど、新たな住宅地開発に取り組んだ[11]。
- ^ 単純計算すると1時間に26 - 27本の電車が走ることになる。これは信号システムがATC化された京王電鉄が、2023年3月20日のダイヤ改正で平日朝のラッシュ時に新宿方面に走らせている電車の本数に匹敵する。後年都営新宿線乗入に際しても、この運転本数を維持しながらの改軌は不可能との京王の主張に東京都が折れる形となった。
- ^ a b 京王線の最高速度は1962年(昭和37年)9月30日までは75km/h[7]。不定期運転の「ハイキング特急」新宿駅 - 東八王子駅間の所要時間は48分で、通常は53分の急行が最速だった。
- ^ 当時の新宿 - 初台間には、改良を行ったとはいえ急曲線や甲州街道中央を走る区間が残り[12]、更に環状6号線の踏切があるなど高速化の障害が多数残っていた。
- ^ 朝ラッシュ時は2分15秒間隔での運転のため、先行の列車に後続が何本も続くいわゆるダンゴ運転状態になる。
- ^ 1963年当時の京王線は、路面区間や玉川上水を暗渠化した部分を含む新宿 - 初台間の複線間隔が狭かった[13]ことと、同区間西参道付近にあったSカーブ[11]の関係で、台枠上面寸法が2,600 mmに制限されていた[15]。
- ^ 前面のデザインについて高橋(1993)は「他社に影響を与えた」[18]、鈴木(2011)は「それまでにないもの」[22]と記載しているが、低運転台にパノラマミックウィンドウという形態自体は、1958年(昭和33年)デビューの国鉄153系電車(平面ガラス構成ではその前年に登場した名鉄5200系電車)がその始祖で、国鉄では初期の急行形電車および近郊形の国鉄401・421系電車の初期車にも採用されている。ただし当時の通勤車では1961年(昭和36年)登場の営団3000系電車以外に例のない形態だった。
- ^ 当時沿線に緑が多いため[25]目立ちづらかった。5000系と同じようにえんじ色の帯を入れるという案がクハ2783で試された[2]こともあったが、最終的に1965年(昭和40年)に、より明るいスタンリットライトグリーンに変更している[26][27]。
- ^ 偶然にも新幹線0系電車のアイボリー(クリーム10号■)とほとんど違いがなかった[15]。
- ^ 鉄道愛好者は「ヒゲ」と呼ぶことが多いが、5000系登場当時の車両課長であった疋田の寄稿[19]、車両課に所属していた合葉[2]の寄稿[15]は、どちらも「ひれ」と表現している。
- ^ 端子電圧375V時、定格出力130kw。80 %界磁時の定格回転数1,550 rpm[5]。
- ^ 在籍当時の営業最高速度は105km/h。
- ^ 端子電圧750V時、定格出力110kw。
- ^ 井の頭線が3両編成時代の1957年に投入された1000系で、4両化される1961年までユニットを組むデハ1000形 - デハ1050形にデハ1000形を連結して運用していた事例があった[3]。また後年の6000系でも同様の事例がある[35]。
- ^ 回路を永久直列化して電気ブレーキの機能を停止する必要があった。
- ^ 路線改良や輸送力増強で予算がひっ迫していた京王が、昇圧に対応できないサハ2110形などに広幅貫通路設置・交流電源化などの改造を行った車両。車体が小さいためあくまでもつなぎ的な施策だった。
- ^ 最終的に2010系のサハ32両中、20両がデハ2700形12両に加え、サハ2750形やクハ2770形のⓉ改造車で占められている。なお5070系に電装品を供出したデハのうち5両は、一旦クハ2770形になってからⓉ化された[36]。2700系の記事も参照のこと。
- ^ クハ5770形1次車2両で使用されたTS-306B台車の流用元については、京王関係者の雑誌寄稿でも2説あり、合葉(1983) はサハ2111→サハ2531と、1962年に廃車になったデハ2201→サハ2110の2両の台車(TS-306A台車。ブレーキシリンダは車体取付で台車枠にはない点がTS-306Bと違う)を改造したと記載し、永井(1995)はTS-306Bを履いていたサハ2751 - 2753のうち2両からの流用であると記載している。鈴木(2011)掲載の台車交換一覧[38]は永井の記述に準拠している。
- ^ 八王子向き先頭車(クハ5750形、クハ5770形)には非常時に備えて中間連結器が装備された。
- ^ デハ5013+5063、5014+5064の4両。
- ^ 「私鉄の車両 17 京王帝都電鉄」では 集約分散型とされている[49]。
- ^ 衝突した上り急行は新宿側から5122+5714編成。衝突し脱線転覆した下り特急は後述通り新宿側から5713+5121編成[50]。
- ^ デハ5121 - デハ5171 - クハ5713 - デハ5013 - デハ5063 - クハ5763。デハ5171の京王八王子方貫通路は塞がれ、クハ5713とは棒連結器で連結された。
- ^ デハ5121 - デハ5171 - クハ5771 - クハ5713 - デハ5013 - デハ5063 - クハ5763。デハ5171の京王八王子方貫通路を復活させた。
- ^ クハ5721 - デハ5021 - デハ5071 - クハ5716 - デハ5016 - デハ5066 - クハ5766。デハ5071の京王八王子方貫通路は塞がれている。
- ^ 一例として、クハ5718 - デハ5018 - デハ5068 - デハ5020 - デハ5070 - クハ5770。
- ^ クハ5853・5855・5856は1988年2月に譲渡先無く廃車済み。
- ^ 後に譲渡先でカルダン駆動化・冷房化。
- ^ 他に3両が後述する事業用車に改造。
- ^ 新宿 - 若葉台間の運用は、ダイヤ設定上は各停橋本行としての運用であったが、若葉台で車両交換を行った。
- ^ 残り1両は運転台部分を譲渡車両に供出するために解体された。
- ^ デハ5125・5175、クハ5875→デワ5125・5175、クワ5875。
- ^ 後述のクハ5723は京王資料館(非公開)で保存されていたが、2013年10月オープンの京王れーるランドに保存され、一般公開している。
- ^ トロッコ客車として大きく改造されたため、譲渡された中では最も原形を留めていない。
出典
- ^ 『京王線5000系のあゆみ』京王れーるランド: 京王電鉄株式会社運輸部営業課、2002年10月。
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- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』通巻578号(1993) p102-103
- ^ a b c d e f 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 京王電鉄 1950-60』(2005) p.133
- ^ a b c d e 『鉄道ファン』通巻408号(1995) p.14-15
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』通巻422号(1983) p.36-37
- ^ 「電車図鑑 > 鉄道車両の変遷 > 戦後復興・発展期.3」京王グループ。2023年11月4日閲覧。
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- ^ a b c 「鉄道ピクトリアル』通巻578号(1993) p.100-101
- ^ a b 鈴木(2011) p.4
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 京王電鉄 1950-60』(2005) p.93
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- ^ 村松功『京王電鉄まるごと探見』〈キャンブックス〉、JTBパブリッシング、2012年3月30日。ISBN 978-4533085628。
- ^ 『鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション 京王電鉄 1950-60』(2005) p.77
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- ^ 『鉄道ファン』1980年1月号、交友社。
- ^ 『鉄道ファン』1980年5月号、交友社。
- ^ 『2101・2111号車京王電鉄カラーお披露目臨時列車の運転について (PDF)』(プレスリリース)、一畑電車、2012年7月18日。2016年4月4日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。
- ^ 「富士急行1000系が京王5000系の塗装に」『「鉄道ファン」railf.jp 鉄道ニュース』交友社、2012年10月30日。2024年6月21日閲覧。
- ^ 名取紀之「編集長敬白 富士急行1000系に「京王5000系カラー」。」『鉄道ホビダス』ネコ・パブリッシング、2012年10月30日。2017年9月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年6月24日閲覧。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻734号p235
- ^ 「京王れーるランド展示車両が陸送される」『「鉄道ファン」railf.jp 鉄道ニュース』交友社。2013年4月4日閲覧。
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