秘話 秘話の概要

秘話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/22 00:06 UTC 版)

アメリカ同時多発テロ事件の際に暗号化電話機 STU-III英語版 を使うブッシュ大統領

概要

アメリカ国立暗号博物館で展示されている秘話装置SIGSALYのモックアップ。実際の装置は30以上のラックからなる大掛かりなものだった。

電話に代表される音声を用いた通信は誰でも容易に使える通信方法である。メール電信などの文字を用いる通信と比べ特別な技能が不要で、何か作業を行いながら通話することも簡単である。しかし電話は盗み聞きも比較的容易で、使用されている電話線など通信経路が分かれば盗聴できる。無線電話の場合はさらに容易で、受信機さえあれば誰でも盗聴傍受が可能であり、周波数変調方式さえ分かれば誰にも気づかれることなく会話内容を盗み聞きすることができる。

秘話はこのような音声通信の問題を解決するためのもので、音声信号を全く別の信号に変換して送ることで、同じ秘話装置を持つ相手以外には音声を聞き取れなくする[1]

秘話は大きく分けてアナログ方式とデジタル方式の2種類の方式に分類できる。

アナログ方式のものはボイススクランブラー (voice scrambler) やアナログスクランブラー (analog scrambler)、あるいは単純にスクランブラー (scrambler) の名称で呼ばれる[2]。 この方式では、周波数成分の反転や入替を行ったり信号の時間軸での入替などを行うことで元の音声信号を別のアナログ信号に変え内容を聞き取れなくする。

アナログ方式の秘話装置は、ハードウェアが比較的単純で元々の音声信号と同じ帯域幅で送受信ができたため、警察無線や1960年代まで一般的だった短波帯を使用した国際電話など、アナログ方式の無線電話で古くから使われてきた。代表的なスクランブラーの仕組みは1920年代から知られており、専門家が処理方式の解析を行うことは難しいことではない。音声の周波数スペクトル全体の反転のみを行う音声周波数反転方式のような単純なものは解読装置を組み込んだ受信機も購入もできる。信号の分析や解読が比較的容易であるため、機密性が要求される通信には不十分である[3]

デジタル方式のものもスクランブラーの名称で呼ばれることがあるが、アナログスクランブラーと区別して音声暗号化 (digital voice encryption) とも呼ばれる[4]。この方式では音声をデジタルデータに符号化した後に暗号化を行う。出力はデジタル信号になる。音声符号化方式や暗号化方式として様々な方式を使うことができるため、適切な暗号化方式を使い十分に長い鍵長を用いることで高いセキュリティを実現できる。現在の多くの秘話装置や通信機器ではこの方式が使われている。

アナログスクランブラーと比べると初期のデジタル方式の秘話装置は複雑で高価だった。デジタル方式の最初の秘話装置は第二次世界大戦中の1943年にワシントンロンドン間で運用が開始されたSIGSALYだが[5] [6]、装置1台当たりのコストはおおよそ100万ドル、開発、製造、要員トレーニング、運用、メンテナンスなどを含めた総コストは2,800万ドルと試算されている。 IC技術が発達した1970年代にNSAが開発したデジタル方式の秘話装置 STU-I でもサイドデスクや中型の金庫程度の大きさを占め、価格も1台35,000ドルと高価だった[7]

デジタル方式の秘話装置では音声信号をリアルタイムでデジタル処理できる高速で複雑なハードウェアが必要になる。またデジタル化すると送受信に必要な帯域幅も広がるため、圧縮効率の良い音声符号化技術や、デジタル信号を狭い帯域幅で送受信する高度な変調技術が必要である。そのため初期のデジタル方式の秘話装置は高い機密性が要求される軍事用や政府高官用としてのみ使われた。業務無線(警察無線など)や一般の移動体通信携帯電話など)で使われるようになるのは、小型で低価格なデジタルシグナルプロセッサが開発されてからである。

多くの国の警察無線を例に挙げると、アナログスクランブラーは1970年代まで、遅い国では1990年代になっても使われていた[8]。 携帯電話での音声暗号化の導入も、デジタル方式の第二世代携帯電話が使われるようになった1990年代以降で、それ以前の多くの携帯電話は秘話機能を持っておらず、変調方式も単純なFM方式だったため周波数さえ分かれば傍受や盗聴は比較的容易だった。

歴史

秘話の技術は無線電話の普及と共に発展した。 無線電話の実験は1900年前後から始まった。秘話技術の発明が盛んになるのは無線電話が普及し盗聴傍受が問題になった1920年代になってからである。その後第二次世界大戦を契機には軍用や政府高官用の分野で急速に技術が進んでいった。

秘話以前

秘話についての試みは古く、グラハム・ベルによる電話の特許申請のわずか5年後の1881年、アメリカのジェームス・ロジャース (James Rogers) は複数の電話回線を切り替えながら音声を送る方式の秘話装置の特許を申請している[9] 。しかし十分な秘話性を持つ実用的な秘話装置が発明されるのは無線電話が広く一般に使われるようになってからである。

1895年のマルコーニによる無線電信の発明の直後から多くの人が無線電話について考えるようになった。例えばレジナルド・フェッセンデンは、雑音だらけであったが、1900年に世界で初めて1.6kmの無線電話実験に成功した[10]。 1902年頃にはより雑音の少ない高周波発電機を使った送信機の試作と実験を進め、1906年のクリスマス前夜には80kHzの長波帯を使い音楽と談話とを送信した[11]

日本では1912年にTYK式無線電話が発明されて船舶との通信に利用され、2年後には離島間の世界初の公衆無線電話として実用化された[12]

ドイツでは、テレフンケン社のエンジニアのマイスナー (Alexander Meißner) が1913年に三極管を用いた発振回路を考案し、この回路を使ってベルリンとその西 36Km に位置するナウエン (Nauen) との間の無線電話の実験を行った[13]。 この時代、無線電話は安定した高周波連続波が必要な難しい技術だったため、音声の送受信を行うのがやっとで秘話が考慮されることはなかった。

秘話装置の登場

第一次世界大戦では飛行機用などの軍用無線電話機も使用されるようになり、盗聴傍受の危険性が増した。

その後、第一次世界大戦が始まると無線技術は急速に進歩した。第一次世界大戦では飛行機が偵察など様々な用途に使われるようになったが、この頃の飛行機は開放型のコックピットだったため、操縦士や偵察員にとって騒音や振動が多く狭い機上でのモールス符号を用いた無線電信による通信は非常に難しかった。そのため機上で通話ができるようアメリカのSCR-68英語版のような軍用の無線電話機が開発された[14] [15]

無線電話がこのような用途に利用され始めると共に通信内容の盗聴傍受の危険性も増した。軍用無線電信では情報の流出を避けるための暗号化が行われていたが、無線電話でも同様の対策が必要になってきた。

また、この頃は無線の技術が急速に一般化していった時代でもあった。アメリカで1915年から1年間の間に許可した商業の無線局は200局未満だったが、自作の無線機で通信を行うアマチュア無線局の認可数は8489局もあった[16]。受信のみを行う無許可のアマチュア無線局は15万局と推定されている[16]。 業務用や軍事用に無線電話が使われるようになり利用範囲が拡大するに従い、アマチュアによる傍受も大きな問題になってきた。

無線電話の利用は1920年代になっても拡大し続けた。例えば、1927年1月7日にニューヨークとロンドンとの間で初めての一般向けの国際無線電話が開通した[17][18]。 この成功を元に、翌年にはニューヨークからベルリンやブエノスアイレスにも短波帯を使い無線で通話ができるようになった。同じころヨーロッパ内の主要都市間も短波による国際無線電話が使用され始めている。

このような背景から、多くの研究者が秘話方式について考えるようになった。例えば、アメリカでは1918年に音声の周波数スペクトルを反転させる音声周波数反転方式の特許が申請され1924年に成立した[19]。 この回路はまだ実用的なものではなかったが、その後ボーン (R. Bown) により平衡変調回路を用い改良した回路の申請が行われ1925年に特許になった[20]

1920年には音声を周波数の異なった複数のサブバンドに分割し配置換えを行うシステムが考案され[21]、1923年に音声研究で有名なベル研究所のフレッチャー (H. Fletcher) がこれらのアイデアを組み合わせてサブバンドの配置換えと個々のサブバンド内での周波数の反転とを行う帯域分割方式の秘話方式の特許を申請し1926年に特許として認められた[22]

これらの技術は国際無線電話で最初に採用され、アメリカ-イギリス間の商用国際無線電話には音声周波数反転方式が使用された。 日本でも、1934年に開設された日本で初めての商用国際無線電話回線である新京満州国)や台北台湾)との間の電話回線にボーンの方式を改良した音声周波数反転方式が採用された[23]。新京の電話回線では、アメリカ-イギリス間の方式よりさらに秘話性を高めるため、音声周波数反転時のキャリア信号の周波数を連続的に変化させたり複数の周波数を切り替える方式での試験運用も行われた[23]。これらの方式は受信側と送信側との同期が厳密に取れていないと音質が悪くなる。当時の技術レベルでは十分な通話品質が得られなかったため、実運用では通常の音声周波数反転方式のみが使われた。台北間の回線も同期回路が除かれ通常の音声周波数反転方式が使われた。その後日本からマニラバンドンサンフランシスコベルリンロンドン向けなどにも無線電話回線が開設され、同じ方式が使用された[24]

また、1935年に国内で運用が始まった警察無線の基地局用と移動局用の無線機にも音声周波数反転方式の秘話装置が採用され第二次世界大戦末まで使われていた[25]

音声を複数のサブバンドに分割して配置換え等を行う帯域分割方式は1937年にベル研究所が開発したA-3と呼ばれる秘話装置で採用され、AT&Tが開設したニューヨークやワシントンとロンドンやパリなどヨーロッパの大都市を結ぶ回線、およびサンフランシスコとハワイ、東京を結ぶ回線で、アメリカ政府高官の秘密会話などの重要な音声通信のために使用された[26]1939年9月1日の第二次世界大戦勃発時、フランス駐在のアメリカ大使ウィリアム・C・ブリットがルーズベルト大統領にこのニュースを知らせた際にもA-3が用いられた[26]

1920年代から30年代にかけて、様々な秘話装置が考案された。1940年頃ベル研究所の特許部門が行ったアメリカでの秘話関連の特許調査では80件ほどの特許が見つかったと報告されている[27]

第二次世界大戦前後

第二次世界大戦が始まる頃になると戦闘に必要な多くの情報を敵に知られることなく伝える必要性から秘話の技術は急速に発展した。敵の作戦行動を知り戦闘を有利に進めるため秘話解読の技術もそれと平行して進歩していった。

ドイツ、アメリカ、イギリス

ドイツとA-3
秘話装置の分析に使われる音声のスペクトログラムの例
ドイツ軍に占領されたミラノの様子。チャーチル首相ルーズベルト大統領との秘話通信の解読などによりドイツは降伏後のイタリアの占領を迅速に行うことができた。

1920年代の技術であるスクランブラーの原理は当時すでに一般に知られていたため、十分な時間と分析機器があれば専門家が分析し処理方式の解析を行うことは難しいことではなかった。人間の耳だけでは難しい秘話方式の分析のため、信号の時間/周波数パターンを調べるのに有効なサウンドスペクトログラムも第二次世界大戦が始まる頃に発明された[28][29]

実際、ドイツの旧ドイツ郵政省 (Deutsche Reichspost) で秘話装置の研究をしていたフェッターライン (Kurt E. Vetterlein) は戦争が始まると秘話解読の研究に割り当てられ[30]、イギリスからの秘話通信の受信場所として当時ドイツが占領中だったオランダのノールトウェイク (Noordwijk) 近郊の海岸を選び、そこにあったユースホステルに受信局を設置してニューヨークやワシントンとロンドン間の高い機密性の要求される音声通信に使用されたA-3型秘話装置の秘話方式の解析を行った。A-3で使われていた5つのサブバンドの周波数とサブバンドの反転/配置換えパターンを調べることで会話内容の解読ができるようになり、1941年の秋には24時間体制で連合国側の政府高官の会話をリアルタイムでモニターしていた[31][32]。ドイツ郵政省の「研究センター」(Forschungsstelle) の名称で呼ばれたフェッターライン配下のチームがこの頃に受信した会話の数は1日60通話にも上った。これらの会話にはチャーチル首相ルーズベルト大統領との会話も含まれる[33]。チャーチル首相は電話魔で、昼夜関係なくルーズベルト大統領を電話で呼び出したと言われる[33]。ドイツにとって最も重要な会話の一つはイタリア降伏無防備都市宣言)の直前の1943年7月29日にチャーチル首相とルーズベルト大統領とが行った話し合いで[34]、会話の内容は直ちにナチス親衛隊国家保安本部第VI局(国外諜報局)を経由してヒムラーに報告された[34]ヒットラーは8月1日にイタリア占領作戦アッシェ作戦英語版を承認し、会話を盗聴したドイツはイタリア軍に対して迅速な対応を行うことができた。

また、ドイツ陸軍で暗号解読を担当していた陸軍兵器局 開発試験部 通信課(: Wa Prüf 7、HeeresWaffenamt Amtsgruppe für Entwicklung und Prüfung Nachrichtenabteilung)の技術者アルフレッド・ムゥヒェ (Alfred Muche) も、ドイツ郵政省とは独立して、"5B"と呼ばれるA-3用の解読装置を作成し、チャーチル首相とルーズベルト大統領とのシチリア島侵攻についての会話を含む多くの会話を盗聴していた[35][36]

アメリカとSIGSALY
1943年に運用中のSIGSALYの写真。暗号鍵はレコードに記録され、右側の2台のターンテーブルを使い再生した。

盗聴されていた側のアメリカでも、A-3の脆弱性とさらに優れた秘話装置の必要性は1940年夏頃から認識されていた。1940年10月初めには秘話のための委員会を組織して複数のプロジェクトを立ち上げ[28]、同時にベル研究所で新しい秘話装置の研究が"プロジェクトX"の名称で開始された[27]。このプロジェクトの成果として新しく開発されたのが音声暗号化装置SIGSALYである。この装置は世界最初の実用的なデジタル音声通信システムで、また音声通信と近代的な暗号とを組み合わせた最初の装置でもあった。このシステムは真空管アナログ回路の時代に作られたため、当時としては非常に大規模で複雑なシステムだった。真空管を1000本以上使用し、装置の重さは約55トン、消費電力は30kWに上り、7フィート標準ラック30以上を占める大きさで、設置のためには空調が効いた広い部屋が必要だった[37]。 運用のための専門の部隊が用意され、24時間体制で保守と調整を行った[37]。 音声信号はボコーダーで圧縮した後、バーナム暗号を応用した方式で暗号化した。暗号化にはレコード(音盤)にデジタル録音された乱数共通鍵として使うワンタイムパッド方式が用いられた。

SIGSALYは1943年7月にワシントンロンドン間で運用が開始され、その後は北アフリカ、パリ、ハワイ、グアム、オーストラリア、及びマッカーサー将軍が移動中に司令部があった船上と終戦直前のマニラに設置され、また終戦後はベルリン、フランクフルト、東京にも設置され1946年まで使われた[38]

また、SIGSALYのシステムは非常に大規模で消費電力も大きく移動も運用も大変だったため、量産と並行して、SIGSALYを再設計し小型化する"ジュニア X システム"のプロジェクトが進められた。このシステムは1944年の秋に契約が行われ、米陸軍通信隊から AN/GSQ-3 の名称が与えられた[39]。最終的にこのシステムは5フィートのラック6台分にコンパクト化されトレーラに積み込める程度の大きさになった[39]。しかし納入日は1946年3月で戦争はすでに終わっており、実際に使われることはなかった[27][39]

SIGSALYのようなデジタル方式の秘話装置の存在とその処理方式は使用されなくなった後も長い間秘密にされた。1940年代にベル研究所が出願したSIGSALYに関連する多くの特許は、それから30年以上経ちデジタル技術が特別なものでなくなった1975〜1976年になってようやく一般に公開された[40]。またA-3がドイツで解読されていた事実も秘密にされた。

アメリカ、ドイツとSIGJIP
第二次世界大戦では戦闘機ムスタングに搭載可能な程度にコンパクトなアナログ方式の秘話装置もヨーロッパ戦線で利用された。

第二次世界大戦中は、SIGSALYのような大掛かりな秘話装置だけでなく飛行機に搭載可能な程度の大きさの簡易型秘話装置も開発された。SIGJIPのコードネームで呼ばれた AN/GSQ-1 はアメリカで開発されたアナログ方式の秘話装置で、A-3のように周波数単位のブロックで入替を行うのではなく、音声を磁気記録し複数の磁気ヘッドを使って小さな時間単位のブロックに分け順序の入替を行う装置だった[41]。 このような方式は1930年代末頃にはヨーロッパで知られており1940年にアメリカでも特許申請され[42]、1941年頃には装置の具体的なメカニズムがベル研究所でも考案されていた[43]。 1941-42年頃には海軍と陸軍向けに37.5ms単位の時間ブロックで入れ替える試作モデルが作られ[44]、その後アメリカ陸軍の戦闘機ムスタングなどに搭載された。

ドイツで秘話研究を行ったフォイヤーシュタイン研究所の建物。アラン・チューリングも終戦直後にドイツの秘話装置調査のためにここを訪れた。

ドイツでもこのような方式はよく知られていた。ドイツ軍は1944年末に国内で撃ち落とされたムスタングでSIGJIPを見つけ分析を行なっていた[41]。時間単位のブロックでスクランブルを行う秘話方式についてドイツ側も研究しており、ヨーロッパでの発明者の名前からこの方式は「ティーゲルシュテット」(Tigerstedt) と呼ばれていた[41]。当時のドイツの専門家はムスタングから発見された秘話装置について、必要な機材があれば10分で解読可能、とコメントしている[41]。ドイツでも同様の方式の装置の試作を行っていたが秘話性が十分ではなく、シーメンス社で音声を三つの周波数のブロックに分割してそれぞれ独立に時間単位のスクランブルを行う改良を行ったりしたが、機械が大幅に大きくなったにもかかわらず満足した性能が得られなかった[41][45]。そのためSIGJIPと同じような装置がドイツで使われることはなかった[41]

フォイヤーシュタイン研究所
ドイツのローレンツSZ-42暗号機はフォイヤーシュタイン研究所で開発された秘話装置の一部としても使われた。

ドイツでは1937年以降シーメンステレフンケンAEGなどの企業やハノーバーにあったフィアリング博士(Oskar Vierlingドイツ語版)の研究所などが秘話装置の研究を行っていた。1943年には開発の効率化のためテレフンケンとフィアリング博士の研究所の研究のみが残り、1944年以降はフィアリング博士の研究所に集約された[46]。フィアリング博士は電気音響工学の研究者で戦前には発振回路や新しい電子オルガンなどの研究を行い、またアナログ方式の秘話装置で重要なフィルタ回路設計のエキスパートだった。アメリカの秘話装置A-3を解読するためドイツ陸軍が作成した装置"5B"のフィルタ設計はフィアリング博士が行った[36]。この時期にはこれ以外にも軍関係の多くの研究を指揮した。

ハノーバーの研究所が爆撃されたため、フィアリング博士らのチームは1942年ドイツ北部のオーバーフランケン地域の山岳地帯に疎開しフォイヤーシュタイン研究所(: Laboratorium Feuerstein)を作った。研究所の建物はカモフラージュのためフレンキシェ・シュヴァイツに多くある城のような外観に造られ、屋根には病院を表す赤十字のマークがあった。この研究所では、音響魚雷やスパイ用の高速度通信機、潜水艦用の対レーダー電波吸収コーティング、高精度なサウンドスペクトログラム分析装置などの開発と共に[47]、秘話について独自の研究開発を行った[47]。フォイヤーシュタイン研究所で開発が行われた秘話装置はSIGSALYと同じ様なボコーダーを使い、その出力に3段階の複雑な周波数のシフトを行うもので、周波数のシフトのパターンはローレンツSZ-42暗号機の出力で変化させるようになっていた[48]

最初に音声を10チャネルの信号の組み合わせに変換するボコーダーが完成し"anna"と名付けられた[48]。続いて"anna"からの450Hzから2110Hzまでの出力に対し複雑な周波数のシフトと入替とを行う装置の開発を行っていたが、当時のフィルタ設計技術では復調後の音質が悪くて満足な結果が得られず、全体の装置が完成することなく終戦を迎えた[47][48]

イギリスとDelilah
第二次世界大戦中、アラン・チューリングは暗号解読だけではなく秘話装置の開発にも従事していた。

フィアリング博士が秘話装置の開発を行っていたのと同じ頃、イギリスでも戦車で扱える程度にコンパクトな音声暗号化装置の開発が進められていた。第二次世界大戦中イギリスの政府暗号学校ブレッチリー・パーク)の暗号解読部門 (Hut 8) の中心メンバーとしてドイツ海軍のエニグマ暗号の解読を行ったアラン・チューリングは、アメリカで開発が行われたSIGSALYに関係し、イギリスでの秘話装置の開発にも従事した[49]

アメリカとイギリスとの間の暗号に関する情報交換の一環として、チューリングは1942年11月7日にクイーン・エリザベス号に乗り込み大西洋を越えてアメリカに渡った[50]。エニグマ暗号の解読方法やイギリスからの情報を元にアメリカでも開発を行っていたエニグマ暗号の解読機Bombeについての情報交換を行い、またSIGSALYに関する情報の提供を受け分析を行った[49]。この時ベル研究所SIGSALYの暗号方式が本当に安全かどうかの解析を行っていたシャノンにも会っている[50]

チューリングは兵員輸送船のエンプレス・オブ・スコットランド号でUボートかまだ多く活躍する大西洋を横断して1943年3月29日に無事帰国し、ブレッチリー・パークに戻った[50]。その後SIGSALYに関する情報を利用して1943年5月から無線式の秘話装置 Delilah (ディライラ) の開発を開始した[51]。チューリングはしばらくブレッチリー・パークにいたが、ディライラの開発に専念するため1943年末に無線諜報を扱うMI8 (Military Intelligence, Section 8; Radio Security Service) の拠点があったハンスロープ・パークに移動した[49]

この秘話装置の名前は旧約聖書に登場する「人を欺く」女性デリラにちなんだもので[49]、その当時のハンスロープ・パークの同僚で戦後もチューリングの下で研究を行うことになるロビン・ガンジー (Robin Oliver Gandy) が名付けた[52]

ベル研究所でSIGSALYに必要な膨大な装置類やサンプリング定理の説明を受けたチューリングは、より単純でコンパクトな秘話装置の作成を目指した。SIGSALYで使われている音声信号の圧縮技術ボコーダーは暗号化のための本質的な部分ではないと考え[49]、ディライラでは音声信号を十分高いレートで直接サンプリング乱数を加えることで暗号化する方式とした[49]

暗号化に必要な大量の乱数(共通鍵)は、何らかの暗号化処理を行った後に音声とは別の無線回線で同時に送る方式を考えていたが[51]、後に短い周期の乱数を複数組み合わせて長い周期の擬似乱数を内部で生成する方式に改められた[51]。1944年末には暗号化のコア部分が完成し、送信側と受信側に有線で乱数の信号を直接送る形でデモンストレーションが行われた[49]。完成度はまだ低く、送受信部を直接接続した状態でも音質が悪く雑音も多かった[51]。実際の装置では受信側と送信側とが独立して擬似乱数を生成し、両者をサンプリング周期以下の誤差で同期させる必要がある。その後乱数の同期方法や音質の改善についての検討と試行錯誤を行っていたが、1945年5月にドイツが降伏しヨーロッパでの戦闘が終了したため、全体のシステムが完成する前に秘話装置の開発は中止された[49]

TICOMとチューリング

チューリングと秘話との関係は Delilah 開発後も続いた。チューリングは暗号の専門家であると同時に、この当時のアメリカとイギリスの最先端の秘話技術を理解できる数少ないメンバーだった。ヨーロッパでの戦闘が終結した直後、チューリングはイギリスの秘話専門家としてドイツのフォイヤーシュタイン研究所に行き、フィアリング博士らが現地で開発中だった秘話装置の調査も行った[53][54]。この当時、アメリカとイギリスとはドイツの諜報暗号と秘話に関する情報、関係者、装置類の捕獲を目的とするTICOM (Target Intelligence Committee) を組織してドイツ降伏前から多くの活動を行っており、チューリングはこの活動に関係していた[53][54][55]

ソビエト連邦

ロシア国内で秘話の父と呼ばれることもあるウラジーミル・コテルニコフの2003年10月時点の写真。

第二次世界大戦前のソビエト連邦の秘話の技術水準は低くドイツの製品などを輸入する状態だったが、徐々に自主技術での開発を行えるようになった。第二次世界大戦の後半頃になると技術は急速に進歩した。

ソビエト連邦での秘話の夜明け

ソビエト連邦での秘密通信の研究自体は古く、1920年にエンジニアのボンチ=ブルエヴィッチ (M. A. Bonch-Bruevich) は音声を記録して複数のブロックに切り分け配置換えをして送信を行い、受信側で元の配置に戻す方式を考案していたという[56]。1927-28年にはソビエト連邦で最初の秘密野戦電話機の開発が赤軍通信科学研究所 (NIIS RKKA) で行われた [57]。 1930年代、秘密通信用の電話機研究は、郵政電信人民委員部研究所 (NKPiT)、赤軍通信科学研究所 (NIIS RKKA)、コミンテルン工場の無線装置研究所、レニングラードの電話工場"クラスナヤ・ザリャー"(: Красная Заря、"赤い夜明け"の意)、海軍の通信・遠隔制御研究所、第20電気工学研究所 (No20 NKEP)、内務人民委員部 (NKVD) の研究所の7か所で行われていた[57]

ソビエト連邦とESインバータ

1930年頃は研究者の数も少なく5名から10名程度のグループの集まりにすぎなかったが[58]、国際関係が緊張を増してきた1930年代後半になると秘話についての本格的な研究と装置の開発が行われるようになった[59]。この当時、主要都市であるモスクワ-レニングラード間やモスクワ-ハルキウ間には政府専用の長距離電話回線が設置されており、"クラスナヤ・ザリャー"工場で作られた10.4kHz〜38.4kHzの周波数を使う多重搬送電話装置SMT-34が使われていた[56]高周波を使って送受信する方式なので通常の電話機を電話回線に直接つないでも会話の内容は聞きとれないが、特別な秘話機能が備わっているわけではないため盗聴の危険性が以前から指摘されていた。

1936年8月には、長距離電話回線から50m以内の距離で並行にアンテナを張り長波受信機で受信することで盗聴が可能なことを内務人民委員部の国家保安総局(NKVD GUGB、後のKGB)が報告している[56]。1937年にはモスクワ-ポーランド間の長距離電話回線で国境から1.5km離れたポーランド側に盗聴用回線が設置されていたのが発見された[56]。このような状況から秘話装置の開発が急務になっており、国家保安総局は関連部署に秘話装置の開発を緊急要請していた。この当時、ソビエト連邦内での秘話の技術水準は低く、モスクワ内の無線電話にはアメリカ製の秘話装置が使われ、モスクワーレニングラード間の電話回線用の秘話装置としてドイツのシーメンス社のものが試験されていた[56]

1935-36年頃レニングラードの"クラスナヤ・ザリャー"工場の研究所でESインバータ(: инвертор ЕС)と呼ばれる単純な秘話装置が開発された[59]。これは研究所リーダーのエゴロフ (K. P. Egorov) とスタリチーナ (G. V. Staritsyna) が設計したもので、設計者の頭文字から名前が付けられた。次の年には改良版のES-2が開発された。秘話性はまだまだ低く、普通の単語や文章は十分に聞き取れなくなるが、数字のみであれば完全に聞き分けが可能な程度の性能だった[56]。プロトタイプを用いたモスクワ-ソチ間の長距離電話回線を用いた試験では通信回線の品質に影響されやすい問題もあったが、1937年9月にモスクワ-レニングラード間の電話回線で正式採用された[56]。1937年に設計者のイリンスキー (Ilyinsky) の頭文字を加えた無線通信用のEIS-3の開発も行われた。ES-2(: ЕС-2)をベースにして1938年から1940年の間に様々な改良を加えた262種類の秘話装置(ЕС-2М、МЕС、МЕС-2、МЕС-2А、МЕС-2АЖ、ПЖ-8、ПЖ-8Мなど)が開発された[58][59]。これらは音声周波数反転方式をベースに余分な音を加えて聞き取りにくくする改良を加えたものだった[59]

これらの秘話装置は長距離電話回線で使われたが、1940年に内務人民委員部が行った"クラスナヤ・ザリャー"の製品に対する評価は低く、秘話性が不十分で暗号鍵に相当するものも無いというかなり厳しいものだった[56]。第二次世界大戦が始まる直前くらいになると各国で秘話の研究は急速に進んでいた。音声周波数反転方式に改良を加えた程度の単純な秘話装置は軍事用や政府高官用として不十分だと考えられており、解読が困難で戦場でも使用できる優れた秘話装置の開発が急務となっていた。 ソビエト連邦でも、1938年に郵政電信人民委員部研究所 (NKPiT) など2つの研究所をまとめていたウラジーミル・コテルニコフ (Vladimir Kotelnikov) は、より秘話性の高めた秘話装置S-1("Sable"、: Соболь、"クロテン"の意)の開発を行い試験を行っていた[60]

ソビエト連邦とSable-P

1939年、政府の極秘レベルの音声通信に使えるような秘話装置の開発が重要な国家目標となり、コテルニコフが責任者になり開発が進められることになった[60]。コテルニコフはアメリカのハリー・ナイキストクロード・シャノンと独立にサンプリング定理を発見した[61] ソビエト連邦の著名な無線工学情報理論の研究者で[62]、暗号についても独自の論文を書き[62]、ロシア国内では秘話の父と呼ばれることもある[63]

独ソ戦大祖国戦争)が始まりドイツ軍がモスクワに迫ると、"クラスナヤ・ザリャー"工場の研究所で秘話の研究を行っていたメンバーや、"Sable"を開発したコテルニコフと開発メンバーの半数はそこからおよそ1000km離れた内陸部の工業都市ウファに避難し、そこの研究施設 GSPEI-56(: ГСПЭИ 56、連邦製造・実験研究所No.56)で装置の開発を行った[60]。この頃は秘話装置だけでなく武器や通信機器の増産と性能向上の要求も急速に高まった時期で、研究者は少人数で多くの仕事をこなす必要があった。コテルニコフのスタッフも研究所の音響室で寝泊まりして開発を行っていた[64]

通信の重要性を認識していたスターリンは秘話装置の開発を重要な国家目標とした。

この当時、ソビエト連邦内や戦線で使われていた旧式のインバータ(音声周波数反転方式)を改良した秘話装置は単純でコンパクトだったが、解読もまた非常に簡単だった。秘話解読を行うドイツの専門家たちはこの方式を「私たちのかわいいインバータ」と呼んでいた[58]

当時のスターリンもこのような状況を理解しており、1941年5月の共産党政治局の拡大会議において「通信、それが我々のアキレス腱である」と発言した[56]

実際、1943年頃までのソビエト連邦内の無線電話での会話の多くはドイツ軍により盗聴されていた。モスクワレニングラードイルクーツクアルマ・アタチェリャビンスクの間のロシア陸軍内務人民委員部 (NKVD) の秘話装置による会話が盗聴されていたことが、戦後の調査で明らかになっている[65]。これらの無線電話では、"クラスナヤ・ザリャー"工場で作られた多くの秘話装置のようにインバータを改良した方式と、人工的に音声の特定の周波数を強めて音を歪ませる方式の2種類の秘話装置が用いられていた[65]。秘話の解読はドイツ陸軍兵器局 開発試験部 通信課(: Wa Prüf 7)が担当し、アメリカのA-3型秘話装置の解読と同様、受信した秘話信号をいったん録音し、録音した音のサウンドスペクトログラムを注意深く調べることで秘話方式と秘話で使われている周波数を割り出して解読を行っていた[65]

このような状況の中、コテルニコフとウファの研究所のメンバーはそれまでに知られていた多くの秘話方式の分析を行い、単体では十分な秘話性が得られないという結論に達していた[58]。新しい秘話装置では複数の秘話方式を組み合わせて高い秘話性を実現することにし、音声を2つの周波数ブロックに分けて周波数の反転と入替を行う方法と、アメリカのSIGJIPのように音声を複数の時間ブロックに分けて入れ替える方法とを組み合わせることにした。暗号鍵に相当する入れ替えパターンの指定には、当時のテレタイプや暗号機で使用されたさん孔テープを用いた。周波数/時間ブロックのスクランブル方法をテープにパンチされた1文字5ビットの情報で指定し、テープを10文字/秒で読み取り100ms単位でスクランブル方法を変化させる方式だった[58]。さん孔テープはいくらでも長くすることができるため非常に複雑な入替パターンが可能で、テープをループ状につなげば同じテープを長時間使用できるため、当時としては優れた方式だった。

コテルニコフらは1930年代にアメリカで考案されたボコーダーについての知識もあり、当初はアメリカのSIGSALYやドイツのフォイヤーシュタイン研究所の秘話装置で使われたものと同じようなボコーダーを併用することでより高い秘話性と必要な帯域幅の圧縮とを実現する予定だったが[58]、安定した性能が得られなかったためボコーダーは使われなかった[64]

音声を複数の時間ブロックに分けて入れ替える方式も当時のソビエト連邦では経験がなく開発に苦労した。100msの音声を10の時間ブロック(セグメント)に分けて入替を行う方式が考案されたが、そのためにはいったん音声信号を100ms分記録してから特定の入替順序で読み取っていく必要がある。当時のソビエト連邦ではこのような用途に使える記録媒体の技術が無かった。

音速がおおよそ330m/sであることを利用し、最初は33メートルもの長いゴムホースにスピーカから音を流しマイクロフォンで電気信号に戻すやり方を試してみたが、高い周波数の減衰が大きすぎて満足な音質が得られず、装置も非常にかさばって実用にならないことが分かった[64]。その後、スウェーデン鋼の薄くて長い金属テープをリング状につないで記録媒体として使う方法が試みられたが、リングのつなぎ目部分で発生するノイズをどうしても消すことができなかった[64]。続いてつなぎ目の無いループ状のに磁気記録する方法も試したが、これも十分な性能が得られなかった[64]。最後に、モスクワの鉄鋼工場"鎌とハンマー"の協力により非磁性体の周囲をニッケルコバルトの薄膜でコーティングした材料を作ることで、ようやくまともな音質で磁気記録ができるようになった[64]

1942年秋に従来の装置よりはるかに秘話性の高い無線電話用の秘話装置がコテルニコフの研究所で完成し"Sable-P"(: Соболь-П)と名付けられた[60]。 秘話装置の完成当時に激しい戦闘が行われていたスターリングラード攻防戦では、ドイツ軍に切断された多くの有線の長距離電話回線の代替として無線電話回線が使われており、赤軍のモスクワ司令部と戦線正面軍との間の連絡手段としてモスクワ-トビリシ間の短波の無線電話回線で量産前のプロトタイプが使用された[60][64]。新しく1315kmの長距離電話回線がカスピ海沿いに敷設されるまでこの無線電話回線が使われた[60]

過酷な戦場での使用経験から改良と機能強化が行われ、1943年の初め頃にはレニングラードの工場で量産が始まった[60]。この秘話装置はその後モスクワ-ハバロフスク間など多くの基幹となる長距離電話回線で最高司令部と前線との連絡用に使われた。この秘話装置の開発により、1943年3月にコテルニコフと研究所の関係者は当時のソビエト連邦における国家最高賞であるスターリン国家賞を授与された[60]

Sable-P以降
ヤルタ会談の際にもコテルニコフらが開発した秘話装置がモスクワとの連絡手段として使われた。

秘話装置の開発と改良は終戦まで続いた。無線回線用の"Sable-P"以外に、有線の長距離電話回線用の秘話装置として"Sova"(: Сова、フクロウ)や"Neva"(: Неваネヴァ川)が開発され[64]バグラチオン作戦での最高司令部と第1/第2ベラルーシ方面軍との連絡やモスクワとパリやヘルシンキ、ウィーン間の通信に使用された[64]。 "Sable-P"や"Neva"はテヘランヤルタポツダムでの連合国首脳会談の時にもモスクワとの連絡用に使用され[56]、コテルニコフと開発メンバーは、これらの業績により戦争が終わった1946年にも再びスターリン国家賞を授与されている[56]

ドイツ陸軍で秘話解読を担当していた"Wa Prüf 7"(陸軍兵器局 開発試験部 通信課)もこのようなソビエト連邦側の変化に気が付いていた。1944年の初め頃には秘話方式が変って「私たちのかわいいインバータ」の無線信号は聞こえなくなり、ソビエト連邦内の無線通信ネットワーク自体も変化したため[65]、必要な情報は得られなくなっていった。

当時"Wa Prüf 7"でモスクワ-マドリード間の無線電話の信号をスペクトログラムを使って分析していた研究員の一人は、ソビエト連邦の秘話方式として「ティーゲルシュテット」(Tigerstedt、時間セグメント置換方式の当時のドイツでの呼び名)が使われていることに気が付いた[66]。スクランブルを行う時間セグメントの単位は10msで、0.6秒ごとに同期のためのパルス信号が含まれていた[66]。捕虜のソビエト兵を尋問し聞き出した読み取りヘッドの数は3と4の2種類の回答があり明確にはならず[66]、「ティーゲルシュテット」と周波数置換の組み合わせという方式自体は分かったが[36] それ以上の詳細はわからなかった。記録した信号の各セグメントを並べ替えることで音声らしきものを再生できることもあったが、実際のスクランブルのパターンは送信に使ったさん孔テープにより変わるため並べ替えの規則性や周期を見つけ出すことができず、解読はできなかった[66]

日本

軍令部の写真。ここでは有線電話用秘話装置の特三号電話機が陸軍参謀本部との連絡用に使われていた。

日本では1920年頃から軍用の秘話装置の研究が始められていたが、最初の頃は調査と方式の考案のみで具体的な研究方針も決まっておらず、軍用機器の積極的な研究は行われていなかった[67]。 実際に戦場で使える実用的な秘話装置の研究が始まったのは第二次世界大戦の少し前、満州事変で通信量が急激に増えた1932年頃である[68][69]。陸軍と海軍とは独立して秘話装置の研究を行った。

陸軍

陸軍で移動式無線電話の秘話装置研究が始まったのは1932年からで、音声を録音し時間反転させるもの、音声周波数反転にキャリア周波数をのこぎり波で変動させる方式を組み合わせたもの、音声波形に位相変調を加えるもの、帯域を分割して入れ替えるものなど、様々な方式が検討・試作された。しかし軍用としての十分な結果は得られなかった[68]。終戦までに完成しなかったものも多い[68]。陸軍の無線電話用としては簡易型の音声周波数反転方式のみが1936年に九四式二号丁無線機及び九六式二号戊無線機用として制式採用された[68]。 この方式は商用の短波無線電話回線でも使われた良く知られたもので、秘話性が十分とは言えなかったため実際にはほとんど使われなかった[67]。位相変調式の秘話装置の試作機は戦争末期に侍従武官府と大本営陸軍部の間のVHF無線電話施設で付加的に使用された。

筐体の大きさや重量の制限が緩く無線と比べ秘話性能の条件が厳しくなかった陸軍の有線電話用秘話装置も1932年から研究が行われ、1940年までに特一号電話機から特四号電話機までの4種が完成した[70]。最も秘話性の高かった特三号電話機は、新京との商用国際無線電話用に試験運用された秘話方式を発展させた方式で、音声周波数反転方式にキャリア周波数の切り替えによる周波数のシフトを組み合わせ、さらにシフトで空いた周波数帯域にレベルの変化する雑音を付加する方式が採用された[71]。11本の真空管を使用し、送受信機の重さは56kg、電源や輸送用の箱を含めた総重量は161kgだった[71]。1943年に30台、1944年には60台が整備され、陸軍参謀本部船舶司令部間および軍令部間で利用された[71]

陸軍による無線信号の解読機の研究は1933年頃から始まった[72]。無線諜報の重要性が増してきた1938年からは定期的に飛行機から偵察を行い実際に戦場で使われている無線の周波数と秘話方式など通信形式の調査(シギント活動)も行われるようになった[72]。当時の戦線での無線電話の秘話方式としては音声周波数反転方式しか発見できず、音声周波数反転方式の解読を行う一号電話解読機が作成された[72]

海軍

海軍でも、満州事変の前から海軍技術研究所で秘話方式の研究が行われていた[73]。満州事変の勃発後は海軍の各拠点間の通信量が激増し、無線電信による暗号を用いた通信では対応しきれなくなり、また従来の無線電話への秘話機能追加の要望も急速に高まった[73]。そのため東京、呉、佐世保の3拠点を秘話機能を持った多重無線電話で連絡する計画が急きょ作成され昼夜兼行で実行に移された。1932年に制式化された九二式多重無線電話装置はSSB(抑圧搬送波単側波帯)方式を用い周波数分割多重化 (FDM) により複数の電話を伝送する方式で[73]、秘話方式としてはキャリア周波数を交互に切り替えることにより音声信号の周波数をシフトさせる方式が採用された[73]。秘話性はさほど高くないが、この当時としては複雑で高度な無線電話装置だった。

その後、1937年の支那事変により海軍内の通信はさらに急増し、各拠点間を有線の専用回線で結ぶことが決まった。この海軍専用線を使った有線電話での秘話のため、音声周波数反転方式を用いた簡易型の有線電話用秘話装置が九八式秘密電話装置有線用として制式採用された[73]

海軍での艦隊内通信用の秘話装置の要求も高かった。この当時の海軍での各艦船間の連絡には海軍九〇式無線電話機や九三式超短波無線電話機のようなVHF帯のコンパクトで設置が容易な無線電話機が使われていた。当初は艦隊内の限られた範囲にしか電波が届かないと思われていたが、季節や時間によっては見通し外のかなり遠くまで電波が届くことが分かり、盗聴を避けるため秘話の機能が必要になった。このような用途のため、小型軽量で簡単に使用でき十分な秘話性を持った秘話装置の要求も高まった。 最初、東北帝国大学通信研究所で研究されていた磁気記録装置を応用したものが検討されたが、コンパクトさや衝撃に対する強さが要求される艦船用としてはとても実用になるものではなかった。その後も帝国大学電気試験所の関係する研究者を招いて研究を行うなど完成のために多大な努力が行われた[73]。しかし、陸軍の移動式無線電話の場合と同様、軍用として満足な結果が得られないまま終戦を迎えた[73]

第二次世界大戦以降

第二次世界大戦が終わった後も多くの分野で秘話装置が使用され続けた。警察無線、船舶などの移動体通信、離島間の無線電話のような一般向けの用途では戦前と同様の単純なアナログ方式のスクランブラーが長い間使用された。

例えば、日本の警察無線のデジタル化は1983年頃から始まり[74][75] 1990年代にかけて段階的に行われたが、デジタル化される以前は音声周波数反転方式の単純なアナログスクランブラーを使用していた。この秘話方式は当時警察で使っていた秘話機能を持つ移動用VHF無線電話装置MPR-10Aの名称から「10番A」の略称で呼ばれた。

また、小笠原諸島との公衆電話用として1986年頃まで短波回線が使われていたが、これには帯域分割方式を用いたアナログスクランブラーが使用されていた[76]

日本で海底同軸電話ケーブル網が整備される1964年頃までさかんに使われた短波帯の国際無線電話でも同様で、戦前に使われたA-3と同じ方式のアナログスクランブラーであるA-4型秘話装置が1952年から使われた [77] [78]。 それまでは戦前と同様に単純な音声周波数反転方式が使われていた[77]

デジタル方式の秘話装置は第二次世界大戦終結後も使われたが、複雑で高価だったためアメリカやイギリスなど一部の国の軍用と政府高官用にのみ使われ、暗号化方式も秘密にされた。

この頃の音声暗号化装置は、SIGSALYのように音声の情報を圧縮して通常の電話回線と同じ帯域幅(狭帯域)で送るものと、無理な圧縮を行わずに十分な帯域幅(広帯域)の専用回線で送るものに大きく分類できる。狭帯域のものは従来のアナログ音声用の電話回線や無線回線が使えるというメリットがあったが、音声符号化技術が未熟だった初期の狭帯域音声暗号化装置の音質は非常に悪かった。そのため専用回線を用いる広帯域の音声暗号化装置も近距離用としてよく使われた。

携帯電話などの一般的な用途でデジタル方式の音声暗号化装置が使用できるようになったのは軍用や政府高官用の特殊な用途と比べてかなり遅く、デジタル技術が身近なものになってきた1990年代頃からである。例えば、デジタル方式の第二世代携帯電話 (2G) 規格として世界で最も使われているGSM方式の規格が策定されたのは1987年だが、この時同時に音声暗号化のためのアルゴリズムとしてA5/1が規格化された。GSM方式は1992年にドイツで初のサービスが開始され多くの国で使われた。W-CDMA方式やCDMA2000方式など、それ以降の携帯電話の規格でも音声暗号化方式が定義されている。

アメリカ

KO-6のギアメカニズムと全体写真。アメリカ国立暗号博物館の展示。
HY-2 16チャネルボコーダーの写真。アメリカ政府が開発した秘話電話回線網 AUTOSEVOCOM で使われた。

高い秘話技術を持ち、第二次世界大戦中すでにデジタル方式の音声暗号化装置SIGSALYの運用を行っていたアメリカでは、戦後もAFSA(Armed Forces Security Agency、軍保安局)とその後継のNSA(国家安全保障局)が中心となり軍事用と政府高官用に音声暗号化装置の開発を継続した。

SIGSALYの末裔

SIGSALYはその高い運用コストのため1946年になると使用されなくなり破棄された。しかし秘話自体へ要求はそれ以降も高く、同様の原理のよりコンパクトで使いやすい狭帯域の軍事用秘話装置が開発され1940年代から1960年代にかけて使用され続けた。

第二次世界大戦後の1949年にアメリカ政府とベル研究所が協力して軍事用の音声暗号化装置KO-6が開発された[79]。これはSIGSALYの技術をそのまま応用し音声以外の暗号化も行えるよう汎用化し小型にしたもので、機械は大型冷蔵庫3台分程度の大きさだった。 1953年にはさらにコンパクトにした音声暗号化装置KY-9がベル研究所で開発された。これはハンドメイドのトランジスタを使用し、重さはSIGSALYの55トンから256kg(565ポンド)に低減された[79]。大きさもサイドデスクを大きめにした程度の大きさになった。1962年10月26日、ケネディ大統領キューバ危機の対応について当時パリにいたノースタッド将軍 (Lauris Norstad) と話し合った際にはこのKY-9が使われた[80]。1台の価格はSIGSALYと比べるとはるかに安かったが、それでも4万ドルと高価だったため、政府高官用に300台に満たない台数が生産された[80]

さらに1961年に開発されたHY-2 16チャネルボコーダーはFLYBALLと呼ばれるモジュール化されたトランジスタ回路を使い45kg(100ポンド)になった[79]。この装置は擬似乱数生成と暗号化の機能を持ったKG-13暗号鍵生成装置と組み合わされ、後に記述するKY-1やKY-3と共にアメリカ政府が国防総省のために開発した初期の世界的な秘話電話回線網であるAUTOSEVOCOM (Automatic Secure Voice Communications) ネットワークで使われた[80][81]

アメリカ国立暗号博物館で展示されている音声暗号化装置STU-III
音声暗号化装置STE。前面には暗号化を行うPCカードのスロットがある。

一般の電話回線や短波の無線回線など音声用のアナログ回線は3kHz程度の帯域幅しかなく、この帯域で音声のデジタル信号を送るためには大幅な情報の圧縮が必要になる。SIGSALYも含め、これらの秘話装置は音声情報の圧縮にアナログ方式のチャネルボコーダーと呼ばれるものを使っていたため音質が非常に悪く、ドナルドダックのような声と表現された[79]。 第二次世界大戦中、SIGSALY設置の記念として北アフリカから自分の祖母と会話を行ったアイゼンハワー将軍は、SIGSALYが声の低い男性向けにチューニングされていたこともあって、それ以降SIGSALYを使おうとしなかったと言われる[27]。 1960年代になっても状況はあまり改善されなかった。暗号の専門家であるデビッド・ボーク (David Boak) はNSAで行われた暗号史の講義においてKY-9音声暗号化装置の音質についてコメントし、ロボットの声のように人工的で聞き取りにくいため「とても・・・・ゆっくり・・・・はっきりと・・・・話す・・・・必要がある」と表現した[82]ジョンソン大統領も音質の悪さのためHY-2ボコーダーの使用を拒否した[79]

1970年代に入りデジタルシグナルプロセッサによる線形予測符号を用いて音声の圧縮を行う音声符号化技術が実用化されると、ようやく狭帯域の音声暗号化装置の音質は少しずつ改善されていった。 1970年代以降、HY-2やKY-9は進んだデジタル技術を使った音声暗号化装置STU-IやSTU-II英語版STU-III英語版STE英語版に順次置き換えられた。

初期の広帯域通信回線向け秘話装置

VHF帯以上での無線通信や広帯域の電話回線のように広い帯域の通信回線を使える用途ではチャネルボコーダによる無理な圧縮を行う必要がないため、比較的少ないハードウェアで十分な音質の秘話が実現できた。初期のデジタル式音声暗号化装置のひどい音質を改善するため、広帯域の通信回線を使う音声暗号化装置の開発も従来の狭帯域用音声暗号化装置の開発と並行して行われた。

1940年代の終り頃にチャネルボコーダを使わないPCM方式の音声暗号化装置AFSAY-816が作られ、米陸軍通信情報部 (Signals Intelligence Service) の司令部のあるアーリントンホールと米海軍のセキュリティステーションがあるネブラスカアベニューとの間の連絡に使われた[83]。送受信には広い帯域が必要だったため専用のマイクロウェーブ回線が使用された。暗号解読にコンピュータが使われだすとAFSAY-816で使われた真空管式の単純な暗号鍵生成回路では暗号強度の点で不安が出てきたため、改良された音声暗号化装置KY-11に置き換えられた[83]。これらの装置はまだまだ大きく、秘話電話のための特別な通信施設でのみ使用できた。

KY-1とKY-3

さらに、1950年代中頃にはワシントン近郊の政府要人の連絡のため音声暗号化装置KY-1が開発された[83]。これは据え置き型の金庫の半分程度の大きさに小型化され[83]、1ビット符号化(デルタ変調)を使って音声を50kbpsのデジタル信号に変換し暗号化する装置だった[84]。 普通の電話回線の帯域幅でこのデジタル信号を送ることは当時難しかったが、広帯域の電話線ケーブルを使えば42km(26マイル)程度の距離を伝送可能なことが分かったため[85]、この装置はホワイトハウス国務省ペンタゴン、ラングレーのCIAや政府高官の自宅などの限られた場所に設置された[82][84]。例えば、初期のモデルはゲティスバーグにあったアイゼンハワー大統領の農場に設置されていたことが知られている[83]。それ以前の秘話装置と異なり政府の秘話電話専用の特別な通信施設に行かなくても各オフィスや自宅で使うことができたため利便性が向上したが、通常の電話と異なりプッシュ・ツー・トークでいちいち送受信を切り替えながら会話を行う方式だったためスムーズな会話ができず、利用者である政府高官や大統領にとって使いやすいものではなかった。さらに、使用されている暗号化方式の脆弱性も発見された[82]

アメリカ国立暗号博物館に2段重ねで展示されている広帯域用音声暗号化装置KY-3

このような理由により改良された音声暗号化装置の開発が1950年代末頃から始まりKY-3と名付けられた。これは1960年代で最も成功した秘話装置になった。 伝説によると、それ以前に多く使われていたチャネルボコーダー使用のKY-9のような音質の悪い秘話装置ではケネディ大統領からの電話での指示を聞き取るのが大変だったため開発が始まったとも言われる[86]

冷戦が始まりソビエト連邦による電話ケーブルの盗聴やマイクロ波回線の傍受が問題となったアメリカでは、このKY-3が1960年代中頃から1980年代末まで軍事用と政府/議会/軍需産業間の比較的近い地域内での連絡用に使われた[87]。この装置もKY-1と同様チャネルボコーダーを使わない方式で、音声を直接6ビットPCMで符号化し暗号化した50kbpsのデジタル信号を4線式の広帯域電話回線で送受信した[87]。それまでのKY-1と異なり送受信を切り替えることなく普通の電話機のように同時通話ができて使いやすくなり、またドナルドダックのような声になるKY-9などと比べはるかに聞きやすかった。当時のKY-3は「声を聴くだけで相手が誰だかわかる数少ない秘話装置の一つ」とコメントされている[86]

この装置も事務所用の金庫のような外観と大きさで、前面の扉を開けダイアル鍵がある内部の扉を開くと、独立した3段のユニットが格納され、それぞれのユニットが送信、受信と、電源やPCMエンコーダ/デコーダなどの機能を受け持っていた[87]。各ユニットにもHY-2ボコーダーと同様、FLYBALLと呼ばれるモジュール化されたトランジスタ回路が使用された。送信と受信のユニットにはそれぞれカードリーダーがあり、暗号鍵はセットしたパンチカードから読み取った[87]

NESTOR

KY-3が使われた1960年代はベトナムでアメリカ軍による軍事活動が拡大していった時期でもあり、戦場での秘話装置の要求も強かった。第二次世界大戦でドイツや日本の通信を盗聴し戦闘を有利に運んだ経験から、アメリカ軍は戦場での秘話の重要性を十分に認識していた。第二次世界大戦で使われたSIGJIPのような戦術通信用のコンパクトな秘話装置がベトナム戦争でも必要だと考え、1960年代にNSAで検討が行われた。

60年代中頃は初期の集積回路が使えるようになった時期で、せいぜい15石から20石程度のトランジスタしか集積できなかったが[88]、KY-3のような音声暗号化装置を車で持ち運び可能な程度のサイズにすることも不可能ではなくなっていた。当時としては先進的な技術を用い、NSAは広帯域回線が使えるVHF/UHF無線機用の戦術通信用音声暗号化装置のファミリーを開発し NESTOR と名付けた。NESTORは車両用のKY-8、航空機用のKY-28、歩兵用のKY-38からなり、共通の秘話方式を使っているため相互に通話が可能だった[88]音質の悪さの問題はあったが、事務所用金庫のような従来の音声暗号化装置と比べるとサイズや重量、消費電力の点で大きく改善された[88]。音声は19kbpsのビットレートでPCM符号化と暗号化が行われ[88]、送受信は小型の戦術通信用無線機や既存の携帯無線機をデジタル通信用に一部改造したもので行うことができた。

NESTORでの暗号鍵の設定と保存は機械的なメカニズムで行った。フロントパネルに並んだ64個の穴の中にあるピンをKYK-38のような専用のキーローダーを使って押し込むことでセットした[89]。各ピンは複数の段階に押し込むことができ[89]、各ピンの深さの組み合わせで暗号鍵が変化した。使用中の暗号鍵が漏れるのを防ぐため、穴をカバーしている扉を再び開けたり、飛行機の墜落などにより一定以上の衝撃が加わると、全てのピンがスプリングで元に戻り初期化されるメカニズムが採用された[89]

NESTORを含む多くの音声暗号化装置では送信側と受信側とが同期している必要がある。NESTORは送信ボタンを押してから同期が行われ通話可能になるまでに0.6秒の時間が必要だった[89][90]。ベトナム上空で空戦を行うパイロットにとって情報のわずかな遅れは生死にかかわる問題だったため、この待ち時間は3秒くらいに感じられ[90] 非常に評判が悪かった。秘話機能を使わないパイロットも多かった[89][90]

車両用のKY-8は高温に弱く、ベトナムのような高温多湿の環境では問題となった[90]。例えば、1969年に大統領がベトナムを訪れた際には、KY-8の過熱のため司令部とタンソンニャット空軍基地との通信が不通になったことがある[91]。司令部から他の旅団への命令に使われた無線秘話ネットワークもたびたび同じ原因で使えなくなった[91]。KY-8を使用する各部隊では過熱対策のため本体を濡れた布や氷で冷やしながら使うこともあった[89][90]。後に発熱が少なく電池が使える歩兵用のKY-38も車両用に使われた。

歩兵用音声暗号化装置KY-38(下部)と携帯無線機AN/PRC-77(上部)との組み合わせ

KY-38は初めての歩兵用音声暗号化装置だった。無線機と接続するケーブルの破損や、電池から発生する水素ガスによる長時間運用での爆発などの問題があり[89] 改良が行われていったが、一番の問題点はその重量だった[89][92]。KY-38は当時ベトナムで一般的だった携帯無線機AN/PRC-77と組み合わせて使われた。専用のバックパックに両方の機器をセットしケーブルで接続して運用するようになっていたが、機器類と電池に予備電池を足した総重量は24.5 kg(54ポンド)にもなった[92]。無線機単体の重量は6.2kg程度なので秘話通信の負担はかなり大きかった。通信兵への負荷を軽減するため、アメリカ海兵隊では2名の兵士が秘話装置と無線機とをそれぞれ運び双方をケーブルで繋ぐやり方を試していたが[92]、障害物の多いジャングル内での戦闘に向いたやり方とは言えなかった。これらの問題もあり、1970年頃のNESTORの総数は3万台ほどだったが、実際に使用されていた機器の数はその10分の1と見積もられている[92]

VINSON
VINSONファミリーの音声暗号化装置KY-57

NESTORへの反省から、代替としてVINSONと呼ばれる新たな音声暗号化装置ファミリーの開発が1971年から始まった[93]音声符号化方式として適応デルタ変調の一種のCVSD (Continuously Variable Slope Delta modulation) を用い、音声を16kbpsに符号化し暗号化を行う方式で[93]、NESTORと比べ音質が良くなり、LSI技術を用いたため機器も小型軽量化され、無線回線経由で暗号鍵の更新 (OTAR, Over the Air Rekeying) が可能で暗号鍵の配布も簡単になり使いやすくなった。暗号化にはアメリカのNSAと英国のGCHQとで共同開発したSAVILLEアルゴリズムを使用した[93][94]。この具体的なアルゴリズムや仕様は公開されていない。使用される鍵長は8ビットのパリティビットを含め128ビットだと予想されている[94]。 VINSONファミリーとしてKY-57(車両/歩兵用)やKY-58(航空機用)などの暗号化装置が開発され、1970年代から1980年代にかけてNESTORを置き換えていった[93]

イギリス

イギリスで秘話装置を管轄するGCHQ(政府通信本部)の建物

第二次世界大戦中、アラン・チューリングによる秘話装置ディライラの開発により音声暗号化装置のノウハウを獲得したイギリスは、アメリカと同様、戦後もデジタル方式の音声暗号化装置の開発を続けた。アメリカのKO-6やKY-9等の初期の暗号化装置はSIGSALYの技術を受け継ぐアナログ方式のボコーダーを使い、無理な情報の圧縮を行っていたため音質の悪さに苦労していた。それに対しイギリスでは、ディライラと同じように音声を直接サンプリングして暗号化する広帯域の音声暗号化装置の開発を進めた。

1954年にイギリス陸軍がフィールド試験を行った音声暗号化装置 BID/100 (Hallmark) はそのような装置の1つである[95]。"BID"は"British Inter Departmental"の頭文字で、機器がイギリスの複数の政府機関や部門で使用されうることを意味する[96]。第二次世界大戦中にチューリングがエニグマ暗号の解読に従事したGC&CS(政府暗号学校、ブレッチリーパーク)は戦後GCHQ(政府通信本部)に改編され諜報や暗号関係の活動を行っており、"BID"機器はこの1部門であるCESG(コミュニケーションエレクトロニクスセキュリティグループ)が管轄している[96]

BID/100は専用の電話回線網や無線回線を使う広帯域音声暗号化装置で、音声をPCM符号化した後に暗号化する方式だった。無線回線を使う場合通常のアナログ電話回線の10倍の500Hz〜30kHzの帯域が必要で[95]、当時イギリスで開発されたSHF帯 (4580-4860MHz) の軍用ポータブル無線機 WS B70 (Wireless Set B70) などと組み合わせて使用された。有線の場合は4線式のケーブルを用い5マイルの距離までの通信ができた[95]

装置は音声をデジタル信号に変換するPCMユニット1台と、送信/受信それぞれの暗号化と復号のための2台のウェーブフォームジェネレータ (WFG) ユニットから構成され、通常の電話機のように送受信を同時に行う全二重、交互に送受信を行う半二重のいずれかのモードで動作した[95]。各ユニットは独立しており、3台を積み上げた高さは184cmで幅は52cm、重量は183kg(404ポンド)で[95] 第二次世界大戦中に使われたSIGSALYと比べるとはるかにコンパクトだった。

ウェーブフォームジェネレータ内部には複数の基板を組み合わせた4つの「ブック」と呼ばれるユニットがあり、そのうち3つは信号の暗号化/復号を、残りのユニットは外部とのインタフェースを担当する[95]

1960年代中頃からはBID/150 (Delphi) が使用された[97]。これは同じころにアメリカで使われた KG-13 暗号鍵生成装置と同様に擬似乱数生成と暗号化の機能を持っており、音声をデジタル化するデジタル変調ボックスと組み合わせて使用した[97]擬似乱数生成の元になる暗号鍵の設定にはX、Y、Zと印刷された3枚のパンチカードを用いた[97]。パンチカードはIBMスタイルの80欄×12列のもので、24時間単位で交換する運用だった。この装置は1980年代の初め頃まで使用された[97]

以下にイギリスの音声暗号化装置のいくつかを示す。

  • BID/100 Hallmark
  • BID/150 Delphi
  • BID/160 Pickwick
1960年代初めから1970年代の終り頃まで使われた電話回線用の暗号化装置[98]。政府レベルの通信に使われた。それ以前の秘話装置と異なりボコーダーと鍵生成回路とを1つにまとめたもの。
  • BID/200 Dakota
1970年代初めから1980年代の初め頃まで使われた多重通信用暗号化装置[99]。6回線と12回線の2つのモードがあり、音声と電信の暗号化が可能だった。暗号鍵の設定にはBID/150と同様パンチカードを用いた[99]
  • BID/250 Lamberton
車載用VHF無線機 VSC353 と組み合わせて使用された音声暗号化モジュール[100]。音声を16kbpsのデジタル信号に変換するデジタルマスターモジュール (DMS) と共に使われた。1960年代終り頃から1970年代初め頃に開発され、暗号化にはアメリカのNSAと英国のGCHQとで共同開発したSAVILLEアルゴリズムを使用する[100]。アメリカのVINSONファミリーに相当する装置。
  • BID/270 Goliath
高い秘話性を要求されない用途向けの時間セグメント置換方式を用いたアナログスクランブラー[101]。1970年代初めから1980年代の終り頃まで使われた。
  • BID/290 Inkerman
イギリスの戦術通信用のSHF帯衛星通信用周波数ホッピングモデムVSC330用の組み込み音声暗号化モジュール[102]。VSC330は1988年頃から使われた[103]
  • BID/310
音声のデジタル化のみを行うユニット。DSSS(Defence Secure Speech System、イギリスの国内/海外向け軍用秘話通信ネットワーク)のためにBID/880 (Franton) 暗号化装置と組み合わせて1970年代から1990年代の初め頃まで使用された[104]
  • BID/370
音声のデジタル化のみを行うユニット。DSSSやSCOT(UK Naval Shipborne Satellite Communication Terminal、イギリス海軍の艦載衛星通信装置)で暗号化装置と共に使用された[105]
  • BID/820
パリのイギリス大使館などで使用された音声暗号化装置[106]
  • BID/880 Franton
ラックマウント式の汎用暗号化装置。音声の暗号化のためにBID/310などと組み合わせて使用された[107]。高速版の内部モジュールを使用した改良版のBID/880/1も存在し、1980年代まで使用された[104]

ソビエト

大祖国戦争の終結後、当時のソビエト連邦もアメリカやイギリスと同じようにデジタル方式の音声暗号化装置の開発を積極的に推し進めた。初期の研究は秘話装置開発のためモスクワ郊外のマールフィノ(Marfino、: Марфино)に創設された特殊研究所で行われた[108]

マールフィノ研究所の創設

マールフィノの特殊研究所は、当時シャラーシカ(Sharashka、: Шарашка)と呼ばれた秘密研究を行う特別収容所の1つで、知識や技術を持った囚人たちが集められ政府のために研究と開発を行った。この当時のソビエトは大祖国戦争のため疲弊し、またスターリン批判などの政治的理由で多くの知識人が投獄された。科学者やエンジニアなどの人材は貴重で、優秀な人材をシベリアでの強制労働で無駄にする余裕はなかった。

マールフィノ研究所で秘話の研究/開発を行った囚人でもっとも有名な人物はノーベル賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンで、後にマールフィノ研究所での経験を元にこの研究所を舞台にした小説『煉獄のなかで』を書き、「マーヴリノ研究所」の名前でこの特殊研究所の様子を描写している[109]。最初は数学者として秘話システムの基礎理論の構築を行うグループに配属され、1948年10月にそのグループが解散した後は研究所内部の音響研究室で1950年まで秘話装置評価のための明瞭度了解度測定の研究を行った[110]。他に、楽器テルミンの発明者として有名なレフ・テルミンも秘話装置の音質改善に関係した[111]

マールフィノ研究所は1948年に創設されたが、そのきっかけは第二次世界大戦中にまで遡ることができる。ウラジーミル・コテルニコフ (Vladimir Kotelnikov) の研究所で新しい秘話装置"Sable-P"の量産の準備が行われていた1943年、秘話解読のためにピーターソン (A. P. Peterson) をリーダーとした5名のメンバーからなる研究チームが作られた[112]。1944年の中頃にはソビエト版のサウンドスペクトログラムを開発し1945年から1946年頃にかけてこのチームは秘話の解読の研究を推し進めた。秘話の解読技術が向上すると共に、自国の政府専用の長距離電話回線で使われているアナログ方式の秘話装置の脆弱性についての緊急の対応が必要なこともわかってきた。1946年頃には秘話解読チームの責任者が政府関係者に会い積極的に危険性を訴えるようになった。これを受け、1946年の5月か6月頃、内務人民委員部 (NKVD) から名称が変わったばかりのソビエト連邦内務省 (MVD) の関係者との間で秘話通信に関する会議が開かれ、脆弱性の有無を確かめるための試験を行うことが決まった[112]

政府が使用している秘話装置をさらに一部改造したものを用い、秘話解読チームが実際に内務省からの電話回線による通信を解読できるかどうかの試験が行われた。チームによる秘話通信の解読はわずか24分で終わり、チームから内務省に報告された解読結果は会話内容と一致した[112]。今までより強力なまったく新しい秘話装置の必要性は明らかだった。

1947年には複数のワーキンググループからなる委員会が組織され秘話装置開発のための検討が行われた[108]。この頃には内務省の関係者にも新しい秘話装置の重要性は十分理解できていた。第二次世界大戦中に秘話装置の開発に貢献しこの当時モスクワ電力工学研究所 (MEI) に招かれ無線理論の研究を行っていたコテルニコフにもリーダーとして参加するよう打診が行われた[108]。しかし独自の信号検出理論の論文を書き終えたばかりで[62] 基礎研究に強い関心を持っていたコテルニコフは研究所にとどまることを希望し、これは実現しなかった。コテルニコフは後に政府の秘話装置評価委員会の技術メンバーとして開発後の秘話装置に関係するが、その後は秘話や暗号の分野から離れ、信号検出理論を応用した宇宙船のテレメトリーシステムや惑星探査用レーダーの開発などソビエト宇宙開発計画のキープレイヤーとして活躍することになる[62]

1947年の秋にはワーキンググループによる具体的な方針が決まった[108]。1948年1月21日にはスターリンを議長とするソビエト連邦閣僚会議による布告が出され[108]、1948年2月19日に政府用の秘話装置の研究所をモスクワ郊外のマールフィノ村に設置するという布告が内務省から行われた[108]

この研究所は秘密研究を行うという性質上から施設No.8あるいは特別収容所No.16と番号のみで呼ばれ[113]、囚人たちは「マールフィノの特別収容所」(マールフィンスカヤ・シャラーシカ、: Марфинская шарашка)と呼んでいた[113]

マールフィノ研究所での開発

当初の開発計画で与えられた期間は極めて短かった。開発目標の秘話装置はソビエト国内で経験のない全く新しい技術が必要だったにもかかわらず、秘話装置サンプルの納期は1949年5月1日で開発期間が1年と少ししかなかった[108]ソルジェニーツィンの小説『煉獄のなかで』では、この開発期間の決定はスターリンが個人的に行ったように記述されている[108][114]。 この計画は現実的なものではなく開発は困難を極めた。後にソルジェニーツィンは、どんな学者でもそこで研究を行うことを名誉と考えるほど研究所の水準が高かった、とインタヴューで述べている[115]。しかし相手の言葉をほとんど聞き取ることができない不完全なデジタル暗号化装置のプロトタイプが出来たのが1949年の中頃、まともな音質と十分な秘話性を持ったものが実際に完成したのは1952年の初め頃で[116]、それでも多大な努力が必要だった。この特別収容所での規定の労働時間は通常のメンバーが8時間で囚人は12時間だったが、開発後期には文字通り夜明けから夜中まで働く必要があった[110]。このような厳しい状況ではあったが、それでもキビではなく食べ放題の黒パンと400グラムの白パンとバターと肉のまともな食事があり、板寝床ではなく白いシーツのベッドが用意され、小説も読むことができ、一般の強制収容所ではめったに手に入らないタバコも配給されるなど[117]、知識人である囚人の待遇はシベリアの強制収容所と比べるとはるかに優遇されていた。また囚人と呼ぶことは禁止され相手の姓で呼びかける決まりになっていたという[110]

マールフィノ研究所の当時の建物は、過去に"癒しの聖母"教会(Church of Assuage My Sorrows、: Церковь "Утоли мои печали")の修道院として使われ、その後に政府の児童施設として使われていた[110]独ソ戦の終結以降はフィリップスのベルリンの研究所を解体し押収した測定機などの機材をここに移して警察用の携帯無線機(ウォーキートーキー)を開発していたが[113]、秘話装置開発が最優先になったためこの場所を転用することになった。

戦争の影響でこの当時の建物の状態はひどく、建物の通路は天井も床もない状態だった[110]。1948年3月から補修工事が始まり、ようやく研究メンバーが入れるようになった[110]

マールフィノ研究所とソルジェニーツィン
ノーベル賞作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンも囚人としてマールフィノ研究所で秘話装置の研究を行った。

1948年末には囚人280人を含む490名の研究者がここで秘話装置の開発を行っていた[110]。他の囚人と同様、ソルジェニーツィンもこの中の一人としてスターリンの秘話装置のために働いていた。この当時、ソルジェニーツィンが所属していた音響研究室では秘話装置を開発・評価するために必要となる音声そのもの特性の研究を行っており、数学者だったソルジェニーツィンは同じ囚人である同僚の言語学者レフ・コペレフ (Lev Kopelev) と共にロシア語の音節の統計的な性質の研究を行った。

秘話装置の明瞭度了解度のロシア語での評価を行うためには、日常的なロシア語会話で使われる音素音節の性質を知る必要がある。当時ドイツ語など他の言語の研究結果は知られていたが、現代ロシア語での知識は少なかった。ソルジェニーツィンらは、ロシア語の全ての音節の種類、主な音節とその出現頻度、音節の周波数スペクトル、会話内容による音節の変化を調べる課題が与えられた[118]。過去に十分なデータに基づいて実証的に調査された研究はなく、課題のためには独自に調査を行う必要があった。

現代小説、演劇などでの会話、新聞など報道関係、技術文献の4つの分野で調査が行われることになり、ソルジェニーツィンはこの研究の数学方面を受け持っていた[118]。統計学や確率理論についての書籍や文献を調べ、これらの知識から各分野ごとに2万程度、全体で8万程度の音節のサンプルが必要と試算した[119]。最終的には10万件以上のサンプルを様々な資料からピックアップし音節を調べることで必要な統計情報を得ることができた。現代ロシア語には3500程度の異なった音節があり[120]、核となる100の音節で全体のサンプルの63%、600の音節で全体の93%がカバーできることもわかった[121]

これらの研究から過去に明瞭度試験のために使われていた単語リストは現代ロシア語に即しておらず正しい試験ができないことが分かり、研究結果を元に新しい単語リストが作られた。研究所内で最初に開かれた学術会議でソルジェニーツィンとコペレフとはそれぞれ研究成果の数学的側面と音声学的側面について発表し[122]、コペレフはこの研究の成果を図表を含め4巻からなる大著にまとめた[121]

当時コペレフはスペクトログラムから何を話しているかを読み取ることができる唯一のロシア人とも呼ばれていた。その技能のためソルジェニーツィンの助けを借りながら電話の声の声紋分析によりスパイを割り出す仕事もさせられた[123]

研究所には若い女性中尉が管理する図書室があり[118]、ソルジェニーツィンやコペレフはここで多くの調査を行った。調査に必要な新聞や現代小説、研究のための文献などはモスクワ図書館やレーニン科学アカデミーの図書館などから借りることができた[118]。膨大な量のサンプルを調べる作業は大変なものだったが、若い女性中尉の笑顔を見たり、安っぽい化粧品の香りを嗅いだり、偶然に肌が触れたり、冗談を言ったりすることも[124]、現代小説を読むことも、一般の強制収容所では経験できないことだった。

ソルジェニーツィンがマールフィノ研究所での経験を元に書いた小説『煉獄のなかで』のロシア語原題の直訳は『第一圏のなかで』(: В круге первом)である。この第一圏とはダンテの「神曲」からとられた言葉で、地獄の階層の中で異教徒の賢人たちが住む最上位の場所を意味している[125]。囚人にとってマールフィノ研究所は天国ではなかったが、他の強制収容所よりはるかに恵まれた場所だった。小説『煉獄のなかで』でも、ソルジェニーツィン自身がモデルと言われる数学者のネルジンと、レフ・コペレフがモデルの[126] 言語学者レフ・ルービンとが共同研究する様子や、音声テストを手伝う若い女性中尉シーモチカとの関係などが描写されている[127]

マールフィノ研究所の開発グループ

ソルジェニーツィンらのようにマールフィノ研究所内は多くのグループに分かれ、リーダーから異なった課題を与えられ研究と開発を行っていた。秘話装置の開発のために必要となる理論や技術は多く、開発期間は限られていた。先行するアメリカやイギリスのデジタル音声暗号化技術の多くは極秘扱いだったため、同じような苦労を重ねながらあらゆるものを独自に開発する必要があった。研究所内のグループは、音声符号化技術、高能率の変調技術、音声用の高速暗号化技術、様々な計測器類、新しい半導体と特殊真空管の技術から、ソルジェニーツィンやコペレフらが所属していた音響研究室での音声やロシア語の研究まで、それぞれ異なった分野の研究開発をグループ毎に進めた[110]

多くの理論研究と試行錯誤の後、1948年末から1949年頃にはいくつかの異なった政府専用長距離電話回線向け秘話装置が複数のグループで開発され競い合っていた[128]。 各グループとも、電話回線で送れるよう音声を2000bps程度に圧縮し、この頃としては高速な音声のデジタル信号の暗号化を当時の機械的な暗号化装置で安定して行う必要があった[128]。試作品は音質や暗号強度と安定性を評価する別のグループに渡され、目標の水準に達しているかの評価が行われた。この当時開発されていた秘話装置として以下のようなものがある[128]

  • M-801
音声符号化方式としてボコーダーを用い情報の圧縮を行うシステム。グループNo.1が担当した。開発リーダーはチューリン (N. A. Turin) とウラジミロフ (V. G. Vladimirov)。先行するアメリカと同様、この当時のボコーダーは音質が悪く改善に苦労した。暗号化方式としていくつかのバリエーションが試されたが、最終的にはビット単位で暗号化するストリーム暗号化が採用された。グループの再構成により開発が中断された。
  • M-803
音声信号のクリッピングを行いデジタル化を行うシステム。グループNo.6が担当した。開発リーダーはベルチェンコ (I. Y. Verchenko) とピータソン (A. P. Peterson)。音声信号がゼロになるタイミングを4500Hzのサンプリング周波数でデジタル化することで情報量を抑えることを目指したが、音声のアナログ情報がほとんど失われ標本化周波数も低かったため音質が悪かった。暗号化にはM-801と同様にストリーム暗号化を使用した。
  • M-804
8レベルのPCMを用いて音声符号化を行うシステム。グループNo.7が担当した。開発リーダーはカラチェフ (K. F. Kalachev)。音質は良いが通常の電話回線を使うには帯域幅が広がりすぎる問題がある。暗号化方式としては信号を一定長の時間ブロックに分けて入れ替える方法を採用した。アナログスクランブラーと同様の方式なため通常のストリーム暗号化と比較し暗号強度が低かった。
  • M-809
音質の改善のために14チャネルのボコーダーを使用したシステム。グループNo.4が担当した。開発リーダーはネイマン (I. S. Neyman)。他のシステムの開発失敗時のバックアップとして開発された。明瞭度は改善されたがM-801との差はあまり大きくなく、声も奇妙に変わり音楽のように聞こえ[129] 政府関係者には好まれず、開発は1950年に中断された。
マールフィノ研究所の苦闘

当初の開発目標だった1949年5月1日に対し、音声符号化装置と暗号化装置とを組わせたプロトタイプが1949年5月末か6月初め頃になってようやく出来上がった[128]。装置は何とか動いたが音質は大幅な改善が必要な状態で[128]、政府が示した目標にはとても届かなかった。

この後も改善のための厳しい作業が続くことになり、メンバーは一日に12時間から15時間、さらには夜中まで働く必要があった[129]。各メンバーへの個別の作業指示は9時から23時まで行われ、宿舎に戻ってベッド上で作業を行うことも多かった。モスクワ近郊に住んでいた研究者の一人は忙しくて自宅に帰ることができず、暑さのための汚れと擦り切れとでワイシャツの襟が外れてしまった20日目になって、ようやく服を着替えるために自宅に帰れたという[129]。研究所から外に出られない囚人にとっても似たような状況だったが、十分な成果が挙げられれば刑期が終わる前に解放され前科も帳消しにされ家族と共に暮らすことができ[130]、成果がなければはるかに待遇の悪い強制収容所に送られてしまうため、必死に働かざるを得なかった。

遅れを取り戻すためにグループの再構成も行われた。この頃はクリッピング方式のM-803が最も有望と考えられていたため、1949年8月にM-803を開発の中心機種とする決定が行われ、ボコーダーを用いるM-801の開発は中断された[129]。小説『煉獄のなかで』でも、クリッピング方式の開発を行うグループ(小説中では第7班となっている)が有望視され、囚人たちが自由な世界に飛び出すために有望なグループに入り込もうとする様子が描写されている[131]

M-803を使いモスクワ-キエフ間での電話回線を使った1ヶ月以上の試験も実施された。測定した音節明瞭度は30%と悪く[129] クリッピングによる雑音が多くてまともな通話ができない状況で、さらに通信回線の位相の反転により通話が途切れてしまう問題もあり[129]、とてもスターリンや政府関係者が使えるような状況ではなかった。

この試験以降、音質改善への試行錯誤とグループ間の主導権争いのために様々な動きがあった。M-803の改良とは別に、開発が中断されたボコーダーをクリッピング方式と組み合わせることで音質を向上させる新しい音声符号化方式が考案され、装置の試作が急遽行われた[129]。この符号化方式は、低い周波数ではクリッピングした音声信号を直接符号化し、高い周波数成分は大まかな周波数スペクトルをボコーダーの考え方を使って符号化するもので、後の1960年代に考案されたセミボコーダー (Semi-Vocoder) やボイスエキサイテッドボコーダー (Voice-Excited Vocoder) と呼ばれる方式と同様のものである[129]

明瞭度は51.1%に向上し当時のM-803より良い結果が得られたため、さらに研究を進めるためマールフィノ研究所とは独立したボコーダー研究所を設立することがいったん決まり準備が進められたが、直前になってこの決定は覆された[129]。また、これらの一連の動きがM-803の開発リーダに知らされることは無かった[129]

ソルジェニーツィンの小説『煉獄のなかで』ではクリッパーとボコーダーの結婚という表現でこの頃の組織内部の混乱の様子が描写されている[132]

マールフィノ研究所の終焉

何回もの開発計画の見直しと遅れとで内務省からの圧力が強まる中、M-803開発グループによる改良は続いた。1950年にはようやく明瞭度が51.8%に改善し、1950年4月から行われた政府の技術委員会の評価により製品の試作と試験運用を行うという結論が下された[129]

1951年にはさらに改良が行われたM-803-3、M-803-5、M-803-Mの3モデルが完成し、これらの間での比較試験が行われた。主な利用者である男性の声に対し比較的性能が良かったM-803-5が最終的なモデルとして選ばれ、この秘話装置は政府の国外向け長距離電話回線用として1951年に22台、1952年には32台が製造された。また以前にM-809の開発を行っていたグループは、開発が中断された1950年以降M-503と呼ばれる簡易版の秘話装置の開発を行い、これは後に国内の電話回線で使用された。

囚人たちからマールフィンスカヤ・シャラーシカと呼ばれたマールフィノ研究所の役割は1952年で終了した。しかし、この時期は冷戦のグローバル化が始まりヨーロッパやアジアでアメリカとソビエトの対立が深まった時期で、通信の盗聴や傍受の危険性が増したソビエトにとって秘話へのニーズが無くなることは無かった。

マールフィノ研究所以降

M-803開発グループによる改良作業が行われていたのと同じ頃、これと並行して次の研究組織の準備が始まっていた。1950年代の初めごろ、ソビエトの諜報活動防諜活動を担当しマールフィノ研究所を管理していた国家安全保障省(MGB、: МГБ)は秘話や暗号の専門的な評価に責任を持つ組織として共産党中央委員会特務本部(GUSS、: ГУСС)を作った[133]。1950年から1951年頃、GUSSの一部としてNII-1(科学研究所 No.1、: НИИ-1)ができマールフィノ研究所の責任者が兼任で管理するようになった。

その後、ソビエト連邦閣僚会儀の決定により1952年1月にはマールフィノ研究所の後継としてNII-2(科学研究所 No.2、: НИИ-2、後に: п/я 37と改名)が創設された[133][134][135]。この研究所は囚人を使わない普通の研究開発組織で、マールフィノ研究所で秘話装置の研究を行っていた一般の研究者と技術者をベースとする700名のスタッフが秘話装置の開発を続けた[133]。NII-2の主導で1954年にはモスクワ-ベルリン間の長距離電話回線でM-803-5と改良版のM-803-Tを使った評価が行われ[133]、この結果を踏まえベルリン-モスクワ-北京間の当時としては最長の秘話回線が構築された[133][135]

その後、NII-2のみでは国防省やKGBなどからの秘話装置や暗号化装置の多様な要求に十分に対応できなくなってきた[136]。この当時の秘話装置の製造施設はモスクワ南西625kmに位置するペンザの工場"VEM"と、モスクワ南西188kmのカルーガの工場"KEMZ"があった[136]。1958年、この中の1つであるペンザに新たな秘話装置の研究所NII-3が開設された[136]。ここは後にペンザ電気工学研究所(PNIEN、: ПНИЭИ)と呼ばれた[136]

1999年12月31日にプーチン大統領がニュークリア・ブリーフケースを受け取る際の写真

モスクワのNII-2も1966年にはオートメーション研究所(: НИИ Автоматики、The Research Institute for Automatics)と改名され[134]、秘話装置を含むさまざまな暗号化装置の製造と研究開発を続けた。 1950年代から1960年代にかけてこれらの研究所で行われた第1世代デジタル音声暗号化装置の開発では、第二次世界大戦中から秘話解読に関係しM-803開発グループリーダーでもあったピーターソン (A. P. Peterson)[134]、第二次世界大戦中コテルニコフの研究所で秘話装置の開発を行いM-804開発グループのリーダーだったカラチェフ (K. F. Kalachev)[134]、M-809開発グループリーダーのネイマン (I. S. Neyman)[134] など、マールフィノ研究所で秘話装置の開発を行った多くのメンバーが活躍した。

その後も、オートメーション研究所はロシア連邦所有の独立採算制企業である連邦国家単一企業体 (Federal State Unitary Enterprise) として存続し[134]、1994年に複数の企業体から組織されたロシア連邦研究開発企業連合"オートメーション"の中心組織として秘話装置を含む情報セキュリティ機器の研究開発を続けている[134]

例えば、常にロシア連邦大統領のそばにある黒いブリーフケース、"チェゲット"(: Чегет)のコードネームで呼ばれニュークリア・ブリーフケース (nuclear briefcase) とも表現される核攻撃指令装置が組み込まれたブリーフケースは、オートメーション研究所が開発したものと言われる[135][137]


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