浅野長矩 持病

浅野長矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 05:26 UTC 版)

持病

長矩は、感情が激した時に胸が苦しくなる「痞(つかえ)」あるいは痞気という病気を持っていた。例えば『冷光君御伝記』には「同十一日未明、伝奏衆江戸御着座冷光君(浅野長矩)には少々御不快これにより御保養し、……御持病はこれ御痞気と成られました」とある。この「痞」という言葉を取りあげて、長矩が精神病・統合失調症であったという説を唱える者がいる。

しかし江戸時代に区分されていた精神障害の分類を見てみると、「驚」はけいれんを主な症状とする小児の疾患、「癲」は大発作を起こすてんかん、「驚癲」は神経症圏の疾患、「狂」は統合失調症に相当するとして病名などが分けられていた。さらに、「狂」は「剛狂」と「柔狂」に分類され、前者は今日の緊張型統合失調症、後者は破瓜型統合失調症に相当し、今日の精神遅滞に相当する「痴鵔」、摂食障害にあたる「不食」の記載も当時の文献などにみられる[22]

浅野が持病としていた痞(つかえ)については、これらに分類されておらず、感情が激した時に胸が苦しくなる、腹のなかに塊のようなものがあって痛む病気、または幼児の腹の病気などとされる[23]

中国の医学書の『黄帝八十一難経』、江戸時代に『黄帝八十一難経』を研究し、解釈本を刊行した徳川将軍家の奥医師であった多紀元胤の『黄帝八十一難経疏証』などにも、

「脾の積、名づけて痞気(ひき)と曰う、胃脘に在りて、覆いて大きさは盤の如く、久しく癒えず、人の四肢をして収めざらしめ、黄疸を発し、飲食すれど肌膚と為らず、冬の壬癸の日を以て之を得るなり。何を以てか之を言えば、肝が病みて脾に伝え、脾は当に腎に伝うべし」
「脾の積は名づけて痞気と言う。胃脘にあって、覆っていて大きさは盤のようで、長期にわたって癒えなければ、人の四肢が収まらず黄疸を発し、飲食しても肌膚にはならない。冬の壬癸の日にこれを得る。何故かというと、肝が病みて脾に伝わり、肝病は脾に伝わり、脾は腎に伝えようとする」

とある。このように痞気は、肝臓や脾(消化器官)に関する病気とされていた[24]

これらのことから、当時の痞(つかえ)や痞気を精神病や統合失調症と見るのは無理があるとされている[25]


  1. ^ 従五位下叙位の口宣案(辞令)。
    口宣案
    上卿 小倉大納言
    延寳八年八月十八日 宣旨
    源長矩
    宜叙從五位下
    藏人頭左近衞權中將宗顯
    訓読文
    上卿(しゃうけい) 小倉大納言
    延宝8年(1680年)8月18日宣旨。
    源長矩、宜しく従五位下に叙すべし。
    蔵人頭左近衛権中将(藤原)宗顕(松木宗顕)、奉(うけたまは)る。(若狭野浅野家文書(たつの市立龍野歴史文化資料館所蔵)より)
  2. ^ 内匠頭任官の口宣案(辞令)。
    口宣案
    上卿 小倉大納言
    延寳八年八月十八日 宣旨
    從五位下源長矩
    宜任内匠頭
    藏人頭左近衞權中將宗顯
    訓読文
    上卿 小倉大納言。
    延宝8年(1680年)8月18日宣旨。
    従五位下源長矩、宜しく内匠頭に任ずべし。
    蔵人頭左近衛権中将(藤原)宗顕、奉る。(若狭野浅野家文書(たつの市立龍野歴史文化資料館所蔵)より)
  3. ^ 正林の祖母と長矩の祖母が姉妹(共に板倉重宗の娘)。
  4. ^ 元禄11年9月6日1698年10月9日)に発生した江戸の大火の際、吉良義央は鍛冶橋邸を全焼させて失ったが、このとき消防の指揮を執っていたのは浅野長矩であった。長矩が吉良家の旧邸を守らなかったことで吉良の不興を買い、後の対立につながったのではないかなど、刃傷の遠因をこの時に求めようとする説もある。
  5. ^ 原はのちに殿中刃傷の報を国許に伝える最初の急使にも選ばれている。
  6. ^ 千代田区丸の内1-4日本工業倶楽部
  7. ^ 同様に織田家藩邸のある通りも避けている。
  8. ^ ただし金丸父子の忠見氏・中山氏との血縁は無い。
  9. ^ 竜田(片桐家)浪人の家祖・堀部次郎左衛門が妻の叔父・小崎五郎左衛門(1,500石)を頼って正保四年(1647年)に熊本に来たとされる。
  1. ^ 『江戸時代人物控1000』山本博文監修、小学館、2007年、14-15頁。ISBN 978-4-09-626607-6 
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 26頁。
  3. ^ 「上野介返答ニハ、拙者何之恨請候覚無之全内匠頭乱心ト相見へ申候」(「多門伝八郎覚書」)
  4. ^ 山本博文『忠臣蔵のことが面白いほどわかる本−確かな史料に基づいた、最も事実に近い本当の忠臣蔵!』中経出版 2003など
  5. ^ 谷口眞子「赤穂浪士の実像」41ページ
  6. ^ 環二通りの建設工事による(2011年、東京都)
  7. ^ 『図説 忠臣蔵』(西山松之助監修/河出書房新社))
  8. ^ 泉(1998) p.278
  9. ^ 山本(2012a) 第七章三節
  10. ^ 『冷光君御伝記 播磨赤穂浅野家譜』
  11. ^ 泉岳寺浅野家墓碑
  12. ^ 義士銘々傳より(発行:泉岳寺)、wikipedia「浅野長広」項目も参照
  13. ^ 山本博文『江戸の「事件現場」を歩く』
  14. ^ 足立栗園『赤穂義士評論 : 先哲』積文社
  15. ^ a b 三上参次編 国立国会図書館デジタルコレクション『寛政重修諸家譜』第2集 364p 国民図書
  16. ^ 『土芥寇讎記』東京大学史料編纂所所蔵
  17. ^ a b 戴文捷・綱川 歩美・鈴木 圭吾「『土芥寇雄記』に求められた君主像」
  18. ^ 佐藤宏之「『土芥寇讎記』における男色・女色・少年愛 : 元禄時代を読み解くひとつの手がかりとして 」
  19. ^ 『諫懲記後正』
  20. ^ 『冷光君御伝記』
  21. ^ 「忠臣蔵で江戸を探る脳を探る」月刊『TOWN-NET』、1998-99年
  22. ^ 立川昭二『江戸 病草紙―近世の病気と医療 (ちくま学芸文庫)』
  23. ^ 『和名類聚抄』
  24. ^ 『黄帝八十一難経』
  25. ^ 宮澤誠一 『赤穂浪士―紡ぎ出される「忠臣蔵」 (歴史と個性)』 三省堂
  26. ^ a b c 赤穂市『赤穂市史 第5巻』
  27. ^ 廣山堯道『赤穂塩業史』
  28. ^ 山下恭『近世後期瀬戸内塩業史の研究』思文閣出版
  29. ^ 木哲浩「赤穂藩における藩札の史料収集と研究」(日本銀行金融研究所委託研究報告 No . 4)
  30. ^ ひょうごのため池 兵庫県庁
  31. ^ 『上郡民報』2016年12月・2017年1月合併号
  32. ^ a b 西播磨県民局 光都土地改良センター『西はりま 地域をまもる水物語』
  33. ^ 相生市史編纂専門委員会 編『相生市史』第4巻 相生市
  34. ^ 兵庫県たつの市「赤穂浅野家資料」。再度の散逸防止のため非公開(教育事業部歴史文化財課)
  35. ^ 白峰旬「元禄14年の脇坂家による播磨国赤穂城在番について--播磨国龍野藩家老脇坂民部の赤穂城在番日記の分析より」
  36. ^ wikipedia記事「広島藩」「伊達政宗」なども参照
  37. ^ 「當家銘刀「美濃千寿院」ヲ選ビシカド「斯様ナ節に用フ可キニ非ズ」等激シク叱責受クル」(「北郷杢助手控之写」)
  38. ^ 「田村家家伝文書」(一関市博物館)
  39. ^ 一関藩『内匠頭御預かり一件』
  40. ^ 『伊達治家記録』(だてじけきろく)より「肯山公治家記録」
  41. ^ 山本博文「赤穂事件と四十六士 (敗者の日本史)」(吉川弘文社、2013年)
  42. ^ a b c d e f 中島康夫「赤穂義士御預始末 永青文庫特別展」中央義士会、57号、2007年
  43. ^ a b 熊本県立図書館蔵『御家譜続編』
  44. ^ 堀内伝右衛門『堀内伝右衛門覚書』
  45. ^ 堀内伝右衛門『赤穂義臣対話』
  46. ^ a b c d e 堀内伝右衛門『堀内伝右衛門覚書』
  47. ^ 堀内伝右衛門『赤穂義臣対話』
  48. ^ a b 「肥後細川家侍帳」「肥後細川藩拾遺」
  49. ^ 泉岳寺から放棄された細川家の鐘は、明治に二束三文で海外に流出した。駒澤大学名誉教授・廣瀬良弘『禅宗地方展開史の研究』(ウイーン美術館)
  50. ^ 井田泰人「熊本時代の大塚磨について」近畿大学民俗学研究所、民俗文化 (28)、2016年
  51. ^ 龍野藩家老の脇坂民部『赤穂城在番日記』に、「6月25日 昨夜(6月24日の夜)、左次兵衛が乱心にて、貞右衛門を切り殺した。」という記録がある
  52. ^ 同日記に「赤穂の子供が赤穂城の堀で釣りを行っている」ほかの記述があり、刃傷事件後には「老中・阿部正武へ明後日(6月27日)早飛脚にて大坂を経由して江戸へ遣わし公儀の沙汰待ちの所存」の旨が記載。
  53. ^ 内匠頭遺品の赤穂市への返還問題があり、たつの市は、赤穂市が主幹する「忠臣蔵サミット」参加の対象外。『平成19年 忠臣蔵サミット』資料より「忠臣蔵ゆかりの地」(赤穂市)
  54. ^ 『新集赤穂義士史料』より「義士関係書状」
  55. ^ 堀田文庫『易水連快録』






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