上田敏
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上田 敏(うえだ びん、1874年(明治7年)10月30日[1] - 1916年(大正5年)7月9日)は、日本の評論家・詩人・翻訳家・英文学者。学位は、文学博士[1][2]。京都帝国大学文科大学教授[1][2]。族籍は静岡県士族[1][2]。「
- ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第3版』う17 - 18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年7月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第4版』う11頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年4月6日閲覧。
- ^ 「初めてユイスマンスを日本に紹介したのは永井荷風か知りたい。」(埼玉県立久喜図書館) - レファレンス協同データベース 2017年2月13日閲覧。
- ^ a b 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)52頁
- ^ 乙骨太郎乙(おつこつ たろうおつ)とは - コトバンク
- ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)45頁
- ^ 『津田梅子』橘木俊詔 、平凡社、2022
- ^ a b 「上田友助(友助は友輔とも表記)の号が汪斎だと書かれている資料を知りたい。」(新潟市立中央図書館) - レファレンス協同データベース 2020年09月03日
- ^ a b 『全国版幕末維新人物事典』学研パブリッシング、2010、p319
- ^ 乙骨耐軒とは - コトバンク
- ^ a b c d e (乙骨亘とは - コトバンクより)
- ^ 教育を読むKawaijuku Guideline 2014.9
- ^ 『明治の女子留学生 最初に海を渡った五人の少女』」寺沢龍 平凡社新書、p118
- ^ 『世界紀行文學全集 フランスⅡ』(修道社 1971年)p102
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