N64とは? わかりやすく解説

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NINTENDO64

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NINTENDO 64

(N64 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/29 00:18 UTC 版)

NINTENDO 64
ニンテンドウ64 (N64)[注釈 1]
NINTENDO 64本体とコントローラブロス
開発元 任天堂
種別 据置型ゲーム機
世代 第5世代
発売日 中華民国の旗 1996年6月22日
日本の旗 1996年6月23日
アメリカ合衆国の旗 1996年9月26日[3]
ロシアの旗 1996年10月10日
欧州連合の旗Template:Country alias AUの旗 1997年3月1日
大韓民国の旗 1997年7月
フランスの旗 1997年9月1日
ブラジルの旗 1997年12月10日
売上台数 世界 3293万台[4]
日本の旗 554万台[4]
メディア ROMカセット
CPU 64bit 93.75MHz NEC VR4300カスタム (MIPS)
ストレージ コントローラパック
グラフィック SGI Reality Co-Processor 62.5 MHz 64-bit RCP
コントローラ入力 ケーブル接続 x 4
外部接続 50PIN拡張コネクタ
オンラインサービス 64DD
最高売上ソフト 世界 スーパーマリオ64 / 1191万本(2022年末時点)[5]
日本の旗 マリオカート64 / 224万本(2022年末時点)[6]
前世代ハード スーパーファミコン
次世代ハード ニンテンドー ゲームキューブ

NINTENDO 64(ニンテンドウろくじゅうよん)は、任天堂が1996年に発売した家庭用ゲーム機。略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。日本では6月23日[7]、アメリカ合衆国では9月26日に発売された[8]。2003年に生産終了。日本での発売当時のメーカー希望小売価格は25,000円[7]。

概要

スーパーファミコン(SFC)の後継機として開発された。1990年代中期当時「次世代機」と呼ばれたゲーム機の一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応し、『スーパーマリオ64』など3次元空間を自由に体感でき、その操作性を売りにするゲームが多数登場した。

本機はコントローラ端子が2口から4口に増加。最大4人対戦が可能となり、以後任天堂ハードの標準となる。コントローラはアナログスティックが初めて搭載され、別売の振動パックにて振動機能に対応する。

本機の性能を引き出すためにはマイクロコードの書き換えが必須であり、その次に前世代機ではハードの仕様制限[注釈 2]が明確だったのに対し、本機は自由度が上がった分ハードの限界があいまいなので開発者がこれを検証する為には莫大な時間と労力がかかってしまうので[9][10]それらからソフト開発が困難との問題があり、加えて引き続き採用したROMカセットは容量不足を招いたことにより、ゲーム開発をより困難にさせてしまった。また、ファイナルファンタジーシリーズ、ドラゴンクエストシリーズなど2世代前のファミリーコンピュータ(FC)から続く人気シリーズ作品が競合機のPlayStationへ奪われるなど、サードパーティーからの支持を失い、こういったソフト不足の状況もありハードウェア戦争に苦戦。このため、日本国内における出荷台数は前世代機までと比べて低迷した[8]。一方でアメリカでは累計販売台数2,063万台を記録する大ヒットとなり、宮本茂はアメリカでの売り上げによりビジネスとしては成功したと評価している[11]。

歴史

1993年
1994年

11月21日 - パラダイム・シミュレーション社が宮本茂率いる任天堂開発チームと共同で、Ultra 64用の3Dゲーム(のちの『パイロットウイングス64』)をローンチタイトルとして開発することを発表[19]。

1995年
  • 1月6日 - コンシューマー・エレクトロニクス・ショーで「DOOM」や「TOP GUN」などのパソコン用ソフトがウルトラ64に移植されることを発表[20]。
  • 5月11日 - 第1回Electronic Entertainment Expoで、Ultra64の最終モデルのプレス用写真を公開、実物は同年11月の初心会展で披露予定、1996年4月頃に発売延期を発表[21]。
  • 8月10日 - 正式名称が「NINTENDO 64」に決定。
  • 9月27日 - 同年10月中旬、ディスク[注釈 3]用ソフト向けにスクウェア、ジャストシステムと合弁会社を設立することを発表[22]。
  • 10月 - NINTENDO 64の試作機を公開。
  • 11月24日 - ファミコンスペースワールド'95(第7回初心会ソフト展示会)で、NINTENDO 64とコントローラを世界初公開。価格(25,000円)と発売日(1996年4月21日)を発表。『スーパーマリオ64』と『カービィボウル64』をプレイアブル出展。64DDの発表[2]。
  • 12月14日 - 任天堂本社にて、NINTENDO 64の説明会を開催。
1996年
  • 3月8日 - ゲームソフト開発の遅れが理由でNINTENDO 64の発売日を4月21日から6月23日への延期を発表[23]。
  • 6月23日 - NINTENDO 64を発売。希望小売価格25,000円(税別)。
  • 7月頃 - セタが業務用基板を開発することを発表[24]。
  • 9月29日 - 米国にて発売。価格は約200ドル。初回出荷35万台は3日で完売[25]。
  • 11月22日 - ニンテンドウ64スペースワールド'96で、64DDの実物を世界初公開、1997年発売を予定[26]。
1997年
  • 2月21日 - 同年3月14日から本体価格を25,000円から16,800円に値下げすることを発表[27]、出荷台数は日本国内185万台、米国214万台、3月1日よりヨーロッパでも出荷開始予定[28]。
  • 3月14日 - 本体価格を16,800円(税別)に改定。
  • 3月17日 - 米国での本体価格を150ドルに値下げ[29]。
  • 7月19日 - 大韓民国でHyundai Comboy64を発売。
  • 6月 - 64DDの発売日を1998年3月に延期。
  • 6月中旬 - セタが NINTENDO 64互換アーケードゲーム基板「ALECK64」を開発したことを発表[30]。
  • 9月末 - 出荷台数が日本で247万台、海外で903万台[31]。
  • 11月21日 - 米国任天堂がNINTENDO 64ソフトのコピー機器「ドクターV64(英語版)」を販売している会社を著作権・商標権侵害で提訴[32]。ニンテンドウスペースワールド'97で1998年3月発売予定の64DDをさらに3か月延期することを発表[33]。
  • 12月2日 - デジタルカメラで撮影した画像を扱うNINTENDO 64用カセット『ふぉとぴー』を富士写真フイルム・東京エレクトロンと共同開発することを発表[34]。
1998年
  • 7月1日 - 本体価格を14,000円(税別)に改定。
  • 9月1日 - 米国で本体価格を150ドルから130ドルに改定[35]。
  • 9月中 - セタが開発したNINTENDO 64互換アーケードゲーム基板「ALECK64」が、ビスコから発売[36]。
  • 12月2日 - マリオのふぉとぴー発売。
1999年
  • 10月20日 - ランドネットディディより、NINTENDO 64及びその周辺機器64DDを使用したサービスのランドネットを同年11月11日より会員募集開始、12月1日よりサービス開始すると発表[37]。
  • 12月1日 - 本体のカラーバリエーションに「クリアブルー」と「クリアレッド」を追加。
  • 12月11日 - 64DDをランドネットサービス申し込み者に配布。
2000年
2001年
2002年
  • 4月30日 - NINTENDO 64本体 (初代) 生産終了。
2003年
  • 3月末 - 最終出荷台数は日本で554万台、アメリカで2063万台、その他の国で675万台の計3293万台[4]。
  • 11月17日 - 中国でiQue Player[注釈 4]発売。
  • 9月 - (AV仕様)ニューファミリーコンピュータ、スーパーファミコン(後期型)、ゲームボーイと共に(Nintendo64のカラーバリエーション)生産終了。
2007年
  • 10月31日 - 「部品の確保が困難になった」としてNINTENDO 64の修理サポートを終了。

販売台数

会計年度別推移表[4]
会計年度 ハード(万台)
国内 米大陸 その他 計
1997年 203 377 580
1998年 111 831 942
1999年 121 665 786
2000年 94 471 84 649
2001年 20 230 34 285
2002年 5 30 15 50
2003年 0 1 0 1
累計 554 2,063 675 3,293

ハードウェア

開発

NINTENDO 64の技術的ルーツは、1992年7月に世界最高峰のコンピュータ・ビジュアル企業であるシリコン・グラフィックス社(SGI)が発表したグラフィックス開発システム「Reality Engine」に遡る[12]。当時、10万ドル(約1,270万円)という極めて高価な業務用システムであったが、SGIのエンジニアであるティム・ヴァン・フックが、その機能を凝縮して製造コストを抑えた「Multimedia Engine」を考案した[12]。SGI会長のジム・クラークはこの技術を家庭用ゲーム業界へ持ち込み、複数のメーカーと交渉を進めていた[12][注釈 5]。

一方、任天堂側で開発を主導した竹田玄洋の原点は、1993年頃にSGIの展示会でハイエンドワークステーション「ONYX(オニキス)」を目にしたことにあった[40]。当時、竹田は「スーパーファミコンの次の娯楽」を模索していたが、テレビゲームにはソフト・ハード共に行き詰まりを感じていたという[40]。そうした中で、最先端の3Dコンピュータグラフィックスを実現する「Reality Engine」を搭載したONYXに触れたことで強い衝撃を受け、これが次世代機の方向性を考える大きな転機となった[40]。

もっとも、SGIのワークステーションは数千万円以上の高価な機器であり、家庭用ゲーム機に応用するには非現実的であったが、この状況を変えるきっかけとなったのが、SGI会長ジム・クラークからのアプローチであった[40]。SGIはワークステーション市場の成長鈍化を背景に、自社が買収したMIPS アーキテクチャをより大規模なコンシューマ市場へ普及させる戦略を進めており、自社の技術を家庭用ゲーム機向けの現実的なコストに抑える目処をつけていた[41]。

当時、任天堂の元には、様々な企業からCD-ROMを前提とした「マルチメディア」の企画が多数持ち込まれていたが、山内溥や竹田は、それらがテレビゲームの本質であるリアルタイムのインタラクティブ性を欠いているとして批判的に見ていた[40]。クラークの提案はそれらと一線を画すもので、竹田はリアルタイム3Dの本質を深く理解していると評価した[40]。

さらにSGIも、任天堂の世界的に突出した販売力を、自社陣営のMIPSプロセッサを世界中に普及させる絶好の好機と捉えており、両者の協議は急速に進展[41]。1993年8月に任天堂とSGIは次世代機の共同開発契約を締結し、のちに「プロジェクト・リアリティ」と名付けられる共同開発がスタートすることになった。SGI は『ターミネーター2』『ジュラシック・パーク』などの映画制作で用いられた自社の視覚化技術を家庭用エンターテインメントへ展開することを狙い、任天堂は次世代機で“真の64ビット3D”を実現するためにSGIの技術を採用したと説明している[42]。

さらに同時期、竹田はイギリスのレア社とSGIのコンピュータを用いた『スーパードンキーコング』の開発交渉を進めており、このタイミングで任天堂・SGI・レアの3社が合流したことでプロジェクトは加速した[40]。

ハード設計にあたっては、レア社のクリス・スタンパー (Chris Stamper) が指導・提案役として半年間参加。メモリを除くすべての内部構造の設計をSGIが担う一方で、開発の主導権は任天堂が保持した[12]。SGIの技術的目標は「家庭用ゲーム機において、ポリゴン数やピクセル品質の面で「Reality Engine」の質感を再現すること」であり[43]、竹田もプロジェクトの根底には「子どもたちにリアリティエンジンを触らせたい」という想いがあったと述べている[44]。任天堂は開発の初期段階からゲーム開発者をSGIの現場へ送り込み、現場の視点から具体的な機能提案を行わせることで、業務用の極めてリアルな仮想世界を生成できる技術を「ゲーム機」へ最適化させていった[12]。

また、NINTENDO 64の開発と完全に並行する形で、ローンチタイトルとなる『スーパーマリオ64』の開発も始動していた[45]。ディレクターを務めた宮本茂によると、同作の原型や3D表現の構想は、すでにスーパーファミコンの「スーパーFXチップ」で1990年代初頭から実験的に進められていたが、このときは形にならなかったという[45]。SGIとの提携後、まだNINTENDO 64の実機が存在しない開発初期段階において、任天堂はSGIの最高級ワークステーション「ONYX」上に構築されたソフトウェア・エミュレーション・システムを活用して『スーパーマリオ64』の制作を開始した[43]。当初は3Dスティックでマリオを動かすというデモ的なものであったが、NINTENDO 64の試作機が完成すると一気に開発を加速し、実質的な開発期間は約18ヶ月とマリオシリーズとしては異例の短さになった[46]。

ファミリーコンピュータやスーパーファミコン時代は開発第一部や開発第二部がハード開発を行っていたが、NINTENDO 64は竹田が率いる、ROMカートリッジの特殊チップ開発を担当していた開発第三部がハード開発を行った。任天堂はNINTENDO 64の開発に先立って、スーパーファミコン用CD-ROMアダプタをソニーと共同で開発していた経緯、及びその後の仕様変更でCD-ROMアダプタに32ビットCPUを搭載すると表明した経緯から、光ディスク媒体の技術的検討を行っていたこと、スーパーファミコンからの飛躍的性能アップを図っていたことは確認できる[47]。しかし、開発第二部部長の上村雅之が公的に残した証言からは、スーパーファミコン用CD-ROMについての言及は避けられており[48]、任天堂が独自にCD-ROMを用いた次世代機をどの段階まで具体化していたかについても現時点では確認可能な資料が乏しい。

デザイン

デザインに関しては今までにないもの、かつ北米で流行するものを念頭に置き、3次元CADを用いて同社の前世代機までにはなかった曲線を多く用いた[49]。

ボディ色はスーパーファミコンの時はユーザーの好みを反映させたが、本機は全世界で統一した色にするためにどの国でも嫌われない色を採用した[50]。

名称

1993年8月23日(米国時間)に開発が発表された際のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」であり、海外での名称は「Nintendo Ultra64」であった。日本国内では名称未発表の時期が続いたが、ユーザーの間では「ウルトラファミコン」という通称が使われていた。また、企画立ち上げ当初には山内社長自身が「ウルトラファミコン」として発表する意向を持っていたとされる。

候補名はいくつかあったが、糸井重里が32ビット機との差別化として“64”ビットを前面に出すこと、“NINTENDO”はアメリカでも通じるブランドであることから、“NINTENDO 64” の組み合わせを推薦した[51]。最終的に任天堂は名称を「NINTENDO 64」と決定し、NOAもこれを採用したことで、世界的に名称が統一されることになった[51]。

それまでのファミリーコンピュータ(NES)やスーパーファミコン(SNES)は名称・デザイン・ロゴマーク・内部仕様などが出荷国によってバラバラであったが、本機ではデザイン・配色はもとより、韓国を除く全出荷地で「NINTENDO 64」という名称に統一された。韓国のみ当時任天堂製品のライセンス(販売権)を持っていた現代電子産業(現在のSKハイニックス)により「ヒョンデ・コンボイ64(현대 컴보이64、Hyundai Comboy64)」の名称で発売された[注釈 6]。本体の型番はブラジルを除くほとんどの出荷地でNUS-001(XXX)、ピカチュウバージョンはNUS-101(XXX)[注釈 7]、ブラジル版はNUSM-001(BRA)となった[注釈 8]。N64ロゴや各製品の製品名シールに採用されているフォントはFrutiger。

プロセッサ

据え置き型のゲーム機として64ビットCPU・浮動小数点数演算機能・パースペクティブ補正(英語版)・Zバッファ[注釈 9]を初めて採用した。そのため他の同世代機種に比べて3Dポリゴンの演算能力と描画品質が高く、同世代で唯一ポリゴン描画で擬似的な手法を用いず、理論的に正しい手法で描画を行うことができた[注釈 10]。物理法則に則った計算を行えば現実的な3次元空間の描画も可能で、その性能は下位のCGワークステーションに匹敵した[44]。

CPUはグラフィックスワークステーションメーカーのシリコングラフィックス(SGI)と提携して開発が行われ、メインにはRISCのMIPS R4300カスタムを採用した[52]。ベースとなったMIPS R4000は1991年発売の最先端CPUであったが、単体価格が約400ドルと極めて高価であり、NINTENDO 64の目標価格(250ドル以下)に収めることが不可能であった[53]。そのため任天堂とSGIはバス幅を32ビットに縮小するなどしてコストを抑えた廉価版のR4300iを採用し、NECによるセカンドソース供給を実現した[53]。このR4300カスタムは最高125MIPSの処理能力を発揮することが可能で、これは競合機種の一つであるPlayStationの搭載するR3000の約4倍の処理能力にあたる[54]。

なお、64ビットCPU搭載を売りにしていたが、64ビットモードでは動作クロックが下がる仕様となっているため、殆どのソフトウエアで32ビットモードを用いていた。竹田玄洋によれば、64ビットにこだわりはなく、処理速度の速さがR4300i採用の決め手だったとしている[44](内部クロック93.75Mhzは、スーパーファミコンの35倍の性能に相当する[55])。

グラフィックエンジンには32ビットRISCのR3000をコアに持つ「RCP(Reality Co-Processor)」を搭載した[56]。このRCPは、ジオメトリ処理を担当するRSP(Reality Signal Processor)と、テクスチャマッピングやラスタライズ処理を担当するRDP(Reality Display Processor)の 2つのユニットで構成される[57]。

ポリゴン機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応し、さらにハードウェアによるアンチエイリアシング処理やZバッファによる奥行き判定も標準で備えている。ここにはSGIが「Reality Engine」の開発から得ていた「人々は必ずしもポリゴン数に反応するのではなく、より高品質なテクスチャマッピングに反応する」という知見が反映されている[58]。

また、「RCP」の描画能力を引き出すためにマイクロコード方式を取り入れた。これはプログラミングによってあらかじめハードウエアに実装された機能に、後からプログラミングコードを追加または書き換えることで、開発するソフトウェアの種類に合わせた演算性能の特化を可能にしたものである[注釈 11]。メーカーや開発者が独自に開発することが可能だったが、開発の難易度が上がる弊害もあった。

当初、NINTENDO 64のグラフィックスチップの性能をあまり活かせておらず、岩田聡(後の任天堂代表取締役社長)がアメリカへ渡り勉強をすることでその性能を上げていった[59]。

ゲーム動作時のキャラクターのポリゴン数は、スーパーマリオ64のマリオで700ポリゴン[60](752ポリゴン[61])、スマブラで1ファイター当たり、300ポリゴン(3人以上対戦の場合、200ポリゴン)[62][63]が表示可能だった。スーパーマリオ64の場合、マリオと敵キャラクター5体位と背景(1400ポリゴン程度)を同時に表示可能だった。

メモリ

NINTENDO 64のメモリシステムは、当時としては先進的な設計とコスト低減を両立させるため、独自のアーキテクチャを採用している。

本機はユニファイド・メモリ・アーキテクチャを採用し、CPU・RCP・オーディオ処理・I/O などすべての処理系が一つのRAMを共有する[64]。メモリアクセスの仲裁およびDMA処理はRCPが担当する[64]。この方式は基板層数の削減と製造コストの抑制を目的として導入されたが、適切に管理されない場合にはメモリアクセスの競合を招くリスクがある[64]。

主記憶装置には、高速なシリアル転送を特徴とするRambus DRAM(RDRAM)が採用されている。搭載容量は4.5MB(拡張スロットにメモリー拡張パックを装着すると総容量は9MB)となる。クロック周波数は250MHzで動作、連続アクセス時の理論帯域は最大500MB/sに達する一方で、アクセスレイテンシ(遅延)が非常に大きいという課題を抱えていた[64](動作クロックは当時のPCで使われていたPC100 SDRAMの2.5倍だが性能はの70%程度)。

RDRAMの採用について竹田玄洋は、SGI社内でRambusの技術に対する評価が分かれる中、任天堂が主導して決定したと述べている[44]。また採用理由については、高クロックで動作しながらも低コストであること[65]、将来的なメモリ増設を前提とする場合には現実的選択肢がRDRAMしかなかったことの2点を挙げている[44]。

カートリッジ

ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあったCD-ROMではなくROMカートリッジを採用している。任天堂の公式見解では、CD-ROMは読み込み速度の遅さという弱点があり、ROMカートリッジは最速の読み込み速度をユーザーに提供できるためとしている[66][注釈 12]。データ転送速度を高速にするためにカートリッジ内にはCD-ROMの36倍速に相当する5.3MB/sのROMを採用している[68]。

一方で、専門誌による分析では、本体価格を「250ドル以下」に抑えるためCD-ROMドライブの搭載を見送ったこと(これにより本体価格を少なくとも100ドル抑制できるとされている)、製造コストの高いROMカートリッジの自社製造ビジネスを維持することで、サードパーティへの支配力、及び収益性を確保する狙いがあったことが指摘されている[66]。ただし、ハワード・リンカーンNOA会長は、サードパーティの支配という見方を否定し、ROMカートリッジの採用は技術的理由とともに、CD-ROMは複製が容易で海賊版被害のリスクが高い一方、カートリッジは複製が難しいという海賊版対策の側面があったとしている[69]。

しかし、このROMカートリッジ採用は当時から容量不足が強く懸念されていた。CD-ROMが約650MBの容量を持つのに対し、NINTENDO64の初期ソフトは8MB~12MB(64Mbit~96Mbit)程度に過ぎず、高精細なプリレンダリング映像や高品質なオーディオの導入が物理的に困難であることが指摘されていた[70]。

特に象徴的だったのが、長年任天堂ハードの顔であったスクウェア(現スクウェア・エニックス)のプレイステーション参入と『ファイナルファンタジーVII』の発表であった[71]。当時、最新のコンピュータグラフィックス技術を駆使して制作された映像をリアルタイムで動かすためには、数メガバイト単位の莫大なデータ量が必要であり、スクウェアは「CD-ROMが最良の選択肢だった」としている[72]。

また、カートリッジにリージョンプロテクトが物理的に施されており、日本国内版ソフトと海外版では背面にあたる形状の一部が異なることで、異なるリージョンのソフトが対応しない本体に刺さらないようになっている。ただし、あくまでもカートリッジに施された物理的なプロテクトであり、接続端子は共通のものであったため、本体とカートリッジの組み合わせが日本版・北米版などのNTSC方式の国で出荷された本体同士(PAL-M出力のブラジル版を含む)の場合は非公式の変換アダプタを使用するか本体のカートリッジコネクタにあるカセット形状を判別する部品を外す等を行えば問題なく動作する。一方でNTSC版の本体でPAL版のソフトを起動する(あるいはその逆)の場合は、そのままではCICチップのプロテクトにより動作しないため、本体の改造かCICチップのプロテクトを突破できる高機能の変換アダプタ(非公式)が必要となる。

なお、ファミリーコンピュータ(HVC-001)・NES(NES-001、NES-PAL-001、NESE-001など)、スーパーファミコン(SHVC-001)・SNES(SNS-001、SNSP-001Aなど)と異なり、本体にはイジェクトボタンが搭載されていないため、カートリッジを本体から外すには上から手でカートリッジを引き抜く必要がある。

コントローラ

純正コントローラ。中央グリップに3Dスティック。左に十字キー、右にA(青)・B(緑)・4つのCボタン(黄色)が配置。
純正コントローラの背面。中央グリップの根元にZボタンが配置。コントローラ背面上部に拡張コネクタが併設
コントローラの拡張コネクタに挿入する周辺機器の一つ「コントローラパック(個別データ保存用外部カードリッジ)」

開発は竹田玄洋が率いる開発第三部が担当。竹田は開発チームに対し、単なる標準的なコントローラではなく、新たなスタンダードを確立するための「新しい発想」を強く求めたという[73]。多くのアイデアを試行錯誤した過程では、腕時計型モーションセンサーの試みもあったが、子供には難しいという理由で不採用となった[73]。

最大の特徴は、3次元空間を体感するため、コントローラ中央に「3Dスティック(サンディースティック)」[注釈 13]という名称のアナログスティックを標準搭載したことである[注釈 14]。このアナログスティックは内部的に127×127のグリッドとして入力が読み取られる構造となっており、全周360度の方向検知が可能であった[75]。

宮本茂はアナログ操作を標準搭載した意義について「クリエイティブな視点から言えば、これまでは『アナログ操作』ができなかったために、実現を諦めていたゲームのアイデアがたくさんあった」[45]としている。周辺機器として発売する場合は、ユーザーは追加購入の負担があり、メーカー側も普及率の低さからサポートを躊躇するという問題があった[45]。この問題に対して「『遊びでもっと求められていたコントローラーはないのか』という知的物見高さ」と「実際ゲームをプレイする上で一番多角的に使えるもの」という観点から3Dスティックが採用されることになった[76]。

同社の前世代機までに使用された十字キーは「(ゲームを遊ぶ上で)切っても切り離せない基本機能」[73]「十字キーを3Dスティックに置き換える勇気はない」[44](竹田)という判断からコントローラ左側に配置。またボタンの配置は、スーパーファミコン用コントローラのA・B・X・Yの4つのボタンでは「どのボタンを押したのか分からなくなってしまう」という反省から、A・Bボタンへの2つへと変更[77]。新たにコントローラ右上に上・下・左・右の矢印が刻印された4つの「Cボタンユニット」を配置した。LボタンとRボタンはそのまま継承され、中央のSELECTボタンは廃止された。また、中央は前述の3Dスティックと背面に「Zボタン」が配置されており、トリガーを引くような感覚でZボタンを操作可能となっている。

コントローラの背面には周辺機器を装着できる「拡張コネクタ」が存在する。こちらには本体ROMとは別に記録する個別データを持ち運ぶための媒体や、振動パックなど、ゲーム本体の体感や遊び方を拡張することが可能。

こうした多機能なデバイスを一つにまとめる外形デザインには、筐体とは異なり、従来通りのアナログの手法も併用された[78]。具体的にはスーパーファミコンのコントローラを担当したチームが粘土を使ってデザインし[79]、左右と中央それぞれの下部にグリップを設けた三つ又の形状を採用した。三つ又のグリップを左右の手のいずれかで握ることで安定して保持できるほか、握る位置によって3つ操作体系持つ[78][74]。

レフトポジション
左手でコントローラ左側、右手で中央を握るポジション。それぞれの手の親指が十字キーと3Dスティックを自在に操作し、人差指でLボタンとZボタンを操作する。
ライトポジション
左手でコントローラ中央、右手で右側を握るポジション。左手で3Dスティックによるアナログ入力ができ、右手で複数のボタンを操作できる。
ファミコンポジション
左手でコントローラ左側、右手で右側を握るポジション。従来のSFCコントローラと同じような操作が可能。

コントローラの操作に関しては、小さい子供に対してはコントローラが大きいという難点もあった。また、使用できるボタン数が少ないレフトポジションを採用したソフトは片手で数えられるほどの少数で、アナログ操作を活かせるライトポジションのソフトが大半を占めた。また、それまでは2つが主流だったコントローラ端子は本体に標準で4つ用意されており、多人数プレイを想定した設計となっている。4人対戦対応ソフトも数多く開発された。拡張コネクタと使用した個別データの持ち寄り、といったことを想定したソフトも開発された。

1996年発売の『スーパーマリオ64』や1998年発売の『マリオパーティ』など、3Dスティックをグリグリと回す操作方法を取り入れたソフトが多かったが、この操作はスティックの故障の原因につながるほか、プレイヤーが指や手を痛めることが多く、次第にその操作を勧めるゲームはなくなっていった。しかし、普通に使っていたとしても使用頻度によってはかなりの短期間で「操作しているキャラクターがスティックに触れていないのに勝手に動いてしまう」などの誤作動を起こす場合があった。この原因は、コントローラ内部で3Dスティックの動きをX軸、Y軸の回転として変換し、またスティック自体を支えている部品に樹脂素材を使用していた事による。スティックが磨耗すると遊びがかなり大きくなり、指を離しても3Dスティックが正確な中心に戻らなくなる。本体の電源を入れるとそのときの3Dスティックの位置を中心として認識する仕様のため、正確な中心位置が認識できなくなるためである。また3Dスティックの内部では部品の一部が粉末状になり堆積する。NINTENDO 64においてはスティックを使用するゲームがソフトの大半を占めていたこともあり、コントローラを修理に出したり買い替えなければならなくなることもしばしばあった。

なお、色がライトグレーであるのは、日本国外の市場を意識した本機にあって、スーパーファミコンの名残を残すためである[50]。

周辺部

発売当時は本体上面にあるメモリー拡張パック用(後述の周辺機器参照)の接続端子(ターミネータパックが刺さっている)に「はがさないでください」という赤い警告シールが貼られていた。メモリー拡張パックを必ず装着しなければならない『ドンキーコング64』のCMでは、3人の子供たちがこのシールに戸惑いながらも、大丈夫だとシールを剥がすシーンを盛り込んで、啓蒙活動を行った。実際、メモリー拡張パックが必要ないソフトも、ターミネータパックを外した状態では起動しない。

スーパーファミコン用RGBケーブルは対応していないが、初期型ではRCPから送られたデジタル信号をアナログRGBに一度D/A変換してからビデオ信号に変換する仕様のため、アナログRGB信号を基板上の映像コネクタまで配線を施すと使う事が可能。中期型以降では、デジタル信号から直接ビデオ信号に変換されているため、この改造を施すことが不可能である[80]。

本体側の電源端子の形状も全世界で統一され、ACアダプタ部分を除く分類ではカラーテレビの規格がNTSC方式(60Hz)を採用する日本・台湾・香港版[注釈 15]と韓国版(前述のリージョンプロテクトとしてカートリッジ裏側の切り欠きが内側にある)、同じくNTSC方式を採用する北米版(アメリカ合衆国・カナダ・メキシコ向けで、カートリッジ裏側の切欠きが外側にある)、PAL-M方式(60Hz)を採用するブラジル版(カートリッジは北米版と同じ形状)、PAL方式(50Hz)を採用するヨーロッパ(主にEUの西欧諸国)とオセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)向けのPAL版(カートリッジ裏側の切欠きが内側にある)の4種類に絞られている。スーパーファミコンまでは本体に内蔵していたRFユニット(RFモジュレーター)は出荷国の放送規格に合わせるために出荷国によって基板を作り分けしなければならない原因であったが、本機が発売された1996年当時は既にRCAコンポジット端子を備えたテレビが普及していたことやコストダウンの観点から、AV仕様ファミリーコンピュータ(HVC-101)と同様にRFユニットは外付け・別売りとなった。

仕様詳細

CPU
RCP
RDRAM

任天堂公式ホームページ[74]及び雑誌掲載のカタログスペック[81]より

  • CPU:MIPS 64ビットRISC R4300iカスタム 93.75MHz(NEC製VR4300カスタム)
    • プロセス幅:350nm
    • 外部データバス&外部アドレスバス:各32ビット
    • 整数命令性能:125MIPS
  • メディアコプロセッサ:Reality Co-Processor(RCP)62.5MHz
    • SP(サウンド及びグラフィックス演算プロセッサ: Signal Processor):32bitCPUコア(MIPS4命令のスカラユニット)、16ビットの固定小数点を8列同時実行できる積和演算機(最大500MIPS)を搭載し、ポリゴンの頂点演算(座標変換)や光源、Z値の計算などを行う。さらに、より高精度な頂点座標の算出や色補間データの生成をするためのサブ・ピクセルポジショニングを行う。
    • DP(ピクセル描画プロセッサ: Display Processor):32bitCPUコア
    • 浮動小数点演算性能:約100MFLOPS
  • メモリ:NEC製RAMBUS DRAM 36Mbit(標準4.5MB、メモリー拡張パック増設時9MB) 最大転送速度: 4500Mbit/秒(562.5MB/s)
  • ポリゴン表示能力:最大10万ポリゴン/秒[13]
  • 最大解像度:256×224 - 640×480ドット
  • 色数:RGBA21bitカラー 最大32bitカラー 8bit階調の色混合機能(アルファブレンディング)
  • サウンド機能:ステレオADPCM音源 16bit(チャンネル数の概念はなく、RCPの配分で変動する。100%をサウンドに使うと100チャンネルほど出せるとされる)
  • メディア:ロムカセット 容量: 4MB - 64MB
  • 外形寸法:260mm(幅)×190mm(奥行き)×73mm(高さ)
  • 質量:880g

本体

1996年6月23日に発売された際の本体カラーはブラックで型番はNUS-001。日本国外版も含めてブラジル版を除いて日本で生産され(コントローラの一部ロットは中華人民共和国でも生産)、ブラジル版のみ電子機器の完成品の輸入関税が高額であることから日本や中国から部品を輸入し、現地代理店のPlaytronic Industrial社(後にGradiente Entertainment社)のマナウスにある工場にて現地生産された。

カラーバリエーション

任天堂オリジナル
  • ブラック(1996年6月23日 - )
  • クリアブルー(1999年12月1日 - )[82]
  • クリアレッド(1999年12月1日 - )[82]
  • ピカチュウNINTENDO 64 オレンジ&イエロー、ブルー&イエロー(2000年7月21日 - )[83]
    • 本体にポケットモンスターのキャラクター「ピカチュウ」を大々的にフィーチャーしたモデル。型番はNUS-101。電源ランプの位置が本体正面からピカチュウのほっぺ部分に移動しており、電源を入れると、しばらく点滅してから点灯になる[84]。従来モデルよりも若干サイズが大きくなった。底面にあったEXTポートがふさがれているため、64DDを使用することが出来なくなっている。「ブルー&イエロー」のカラーリングは発表時はブルー部分がバイオレットに近い色合いだったが、後に青に近い色に変更されている。
限定版
  • ゴールド(1998年11月 - )トイザらス限定カラー
  • クリアオレンジ&クリアブラック(1999年9月26日 - )ダイエーホークス優勝記念 ダイエー限定カラー
  • ミッドナイトブルー(1999年11月 - )トイザらス限定カラー第二弾
  • クリアブラック(1999年11月 - ) 64DDと本体とのセットでの購入のみ。
  • クリアグレー(1999年12月 - )ジャスコ限定カラー
  • ブラック・Jリーグロゴ入り(1999年4月)ローソンJリーグオフィシャルチケットショップモデル。本体とコントローラにシールが貼られている。抽選で1000台プレゼントされた。

海外版

互換機

  • Analogue 3D(2025年11月18日)Analogueは非公式の互換機「Analogue 3D」を2024年に発売予定と発表した。ソフトによるエミュレーションではなく、完全なFPGAによる設計で日本、アメリカ、ヨーロッパで発売されたソフトに100%対応するとしている。価格は249.99ドル。カラーはBlackとWhiteの2種類。2024年10月22日(日本時間)より予約受付開始、2025年11月18日(米国時間)発送開始。
  • M64(2026年7月28日)ModRetroから発売。価格は229.99ドル。

周辺機器

任天堂純正

型番の「NUS」は、「Nintendo Ultra Sixty-four」の略とされる。

型番 名称 備考 発売日
NUS-002 ACアダプタ[85] 本体に直流電源を供給するアダプタ。本体に同梱。
NUS-003 RFモジュレータ[85] 本体をテレビにRF接続させるための変換器。コンポジットビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。
スーパーファミコンジュニア(スーパーファミコンの廉価機)、ニンテンドー ゲームキューブでRF接続する際にもこれが必要。なおAV仕様ファミリーコンピュータ用(HVC-103)で代用すると問題が生じる[86]。
NUS-004 コントローラパック[85] コントローラの拡張コネクタに接続して対応ソフトのゲームデータを保存することが出来る。データ容量は256Kbit(32KB)。保存方法はSRAMとボタン型電池によるバッテリーバックアップ方式。保存領域は全123ページあり、データのページ数はソフト毎に異なる。
NUS-005 コントローラブロス[85] 三つ又の特徴的な外観で、左側には十字キーと側面のLトリガーボタン、右側に主要操作を担うAボタン(青)・Bボタン(緑)と、補助操作を担うCボタンユニット(黄)、側面のRトリガーボタンを配する。中央にはSTARTボタン(赤)と、3D(サンディー)スティックと呼ばれる入力デバイスがある。3Dスティックは倒す角度によって信号に強弱がつけられ、立体空間での微妙な操作を実現した。
また、背面中央にはZトリガーボタンと拡張用コネクタ(コントローラポート)が装備されている。ゲームの内容によって3種類の使い方ができるのが特長で、左と中央を持つレフトポジション、右と中央を持つライトポジション、左右を持つファミコンポジションがある。一個が本体に同梱。
NUS-006 カセット N64のゲームプログラムを格納した専用メディア。
本体上部のスロットに挿入する。データ容量は32Mb(4MB) - 512Mb(64MB)で、転送レート5.3MB/sec.。
海外版とは下部の切り欠きの形が異なり物理的に挿入できない。
NUS-007 メモリー拡張パック[85] 旧称「ハイレゾパック」。36Mb(4.5MB)の増設メモリで、本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに接続、メモリ容量を倍加できる。上部の放熱口は赤色になっている。
ソフトによってはメモリ拡張が必須となっており、それらソフトには同梱されて発売されることもあった。また、64DDを使用する場合も必要になる。必須ではないが対応しているソフトも存在し、画面解像度の向上等の効果がある。
非対応ソフトでも接続したままで問題は無いので取り外す必要はない。ただし説明書には取り外すことを推奨するものもある。
1999年6月18日
NUS-008 ターミネータパック 本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに予め接続されている。ターミネーターはバスの終端に配置された未接続のコネクタの信号反射などを抑える役目がある。メモリー拡張パックを接続するときには取り外す。
NUS-009 RFスイッチUV[85] アンテナ線を介してテレビに接続させるための混合器。
ビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。
NUS-010 64DD 本体下部の50PIN拡張コネクタに接続するディスクドライブ。64DDが正式名称だが、発売前はNINTENDO 64 DISK DRIVEとも呼ばれていた。 1999年12月14日
NUS-011 64DDディスク 64DDのゲームプログラムを格納した専用メディア。データ容量は約64MBだが、その内約38MBは追記用の領域になっている。
DDD(ダイナミック・データ・ディスク)という呼称もあった。
NUS-012 ターミネータパック イジェクタ メモリー拡張パックに同梱。
ターミネータパックを「てこ」の要領で取り出すことができる。
NUS-013 振動パック[85] コントローラの拡張コネクタに接続する。
内部にバイブレータが内蔵されており、その振動によってゲームの臨場感を高めることができる。使用には単4電池が必要となる。最初の対応ソフトは『スターフォックス64』。
1997年4月27日
NUS-014 クリーニングカセット 本体のカセット用コネクタをクリーニングするカセット。 日本未発売
NUS-015 クリーニングパック コントローラの拡張コネクタをクリーニングするパック。
NUS-016 クリーニングスティック カセットやパックをクリーニングするスティック。
NUS-017 マウス ボール式の2ボタンマウス。
コントローラポートに接続する。『マリオアーティスト ペイントスタジオ』に同梱されたのみであり、ランドネット会員しか正式に入手することができなかった。
そのためマウス対応と表示されているソフトは64DD関係のソフトに限られるが、『デザエモン3D』のように対応しているカセットソフトも存在する。
なお、非対応ゲームでも使用は可能で、マウスの動きが3Dスティック、左ボタンがAボタン、右ボタンがBボタンの役割を果たす。
1999年12月14日
NUS-019 64GBパック[85] コントローラの拡張コネクタに接続する。
ゲームボーイやゲームボーイカラーのカートリッジを本体に繋げるアダプタ。これが使用できるのは一部の対応ソフトのみであり、使用方法としてはプレイデータをリンクさせるものである。
『ポケモンスタジアム』シリーズと『ポケットモンスター』シリーズの組み合わせのように特別に対応したソフトを除けば、スーパーファミコンにおけるスーパーゲームボーイのように、ゲームボーイソフトをテレビでプレイするための周辺機器としては使用できない。
装着しても存在自体を感知できなかったり、操作中にエラーが出たりすることがある。
スーパーゲームボーイ3(仮)が出る予定もあったが発売されず、次世代機のニンテンドーゲームキューブのゲームボーイプレーヤーが出るまでの5年間はゲームボーイカラー専用のゲームは64GBパック対応ゲーム以外テレビではできなかった。
1998年8月1日
NUS-020 VRSユニット Voice Recognition System(音声認識システム)の略。「声」をゲームの操作に利用できる。音声認識エンジンとしてNEC製のLSI「アルトーカー」を搭載した。有限会社アンブレラによる対話ゲームの研究開発の成果が任天堂に認められ製品化されたものである[87]。
発売当時は音声認識をゲームに応用した例がない点で画期的な機器だったが、限られた単語の認識しか行えず、対応ソフトは『ピカチュウげんきでちゅう』『電車でGO!64』の2本のみに留まった。
1998年12月12日
NUS-021 マイク 単一指向性のモノラルコンデンサマイク。VRSユニットとキャプチャーカセットに附属。
NUS-022 マイクホルダー マイクを固定して首から提げるタイプのホルダー。VRSユニットに附属。
NUS-023 スマートメディア専用カセット 汎用メモリーカード「スマートメディア」を挿入できるカセット。
画像編集ソフト『マリオのふぉとぴー』に同梱。類似した周辺機器に、ゲームキューブ用SDカードアダプタがある。
1998年12月2日
NUS-025 コントローラ用マイクホルダー マイクをコントローラに固定するタイプのホルダー。VRSユニットに附属。 1998年12月12日
NUS-026 マイクカバー 球状の黄色いスポンジで、マイクに入る風や息などのノイズを軽減する。マイクに附属。
NUS-028 キャプチャーカセット RCAジャック(映像、音声L・R)とマイク用ミニジャックがついたカセットで、
映像や音声を取り込むことが出来る。『マリオアーティスト タレントスタジオ』に同梱。
ファンタム電源とも異なるプラグインパワー方式[88][89]で電源を供給しているため、専用マイクなどのコンデンサマイク以外はミニジャックに接続してはいけない。
2000年2月24日
NUS-029 モデム 通信速度28.8kbpsの専用モデムカセット。モジュラジャックは背面にある。 1999年12月14日
NUS-NMSJ 通信カートリッジ モジュラーケーブルで電話線を通じて通信をすることができるソフトのカセット。セタから発売された『森田将棋64』のみ。カートリッジと通信用の機構が一体化しており、接続も容易なため、簡単に扱うことができる。 1998年4月3日
HVC-053 モジュラーケーブル 電話線。ニンテンドーゲームキューブ・ファミリーコンピュータでも使用可能。
SHVC-007 モノラルAVケーブル[85] 映像と音声をテレビに出力するケーブル。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブ・AV仕様ファミリーコンピュータ(NEWファミコン)でも使用可能。 1990年11月21日
SHVC-008 ステレオAVケーブル[85] 映像と音声をテレビに出力するケーブル。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブ・AV仕様ファミリーコンピュータ(NEWファミコン)でも使用可能。
SHVC-009 S端子ケーブル[85] 映像と音声をテレビに出力するケーブル。ステレオAVケーブルより高い画質で出力できる。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブでも使用可能。

その他、ファミリーコンピュータ・スーパーファミコン用のRFスイッチ(HVC-003)はNINTENDO 64でも使用可能。

他社製品(ライセンス商品)

発売元 型番 名称 備考
アスキー ASC-0901 アスキーパッド64 連射機能付きのコントローラ。外観は純正コントローラと大差ないが、連射スイッチとスタートボタン附近が異なっている。A/B/Z/L/Rボタンに連射が設定できる他、ホールド機能も搭載[90]。
ASC-0903MK ハイパーステアリング64 ステアリングコントローラ。
ASC-0905 つりコン64 釣り竿の形をしたコンローラー。
コナミ RU030 Dance Dance Revolution専用コントローラ 『Dance Dance Revolution ディズニーダンシングミュージアム』専用のコントローラ。
セタ NUS-A-BIO バイオセンサー コントローラの拡張コネクタに接続し、センサーがついたクリップを耳たぶに装着して使用する。
プレイヤーの脈拍数を測定し、脈拍の変化をゲーム内容に反映させるというもの。対応ソフトは『テトリス64』のみ。
タイトー TCPP-20003 電車でGO!64コントローラ 『電車でGO!64』専用のコントローラ。コントローラコネクタ3に接続して使用する。
ハドソン HC-739 ジョイカード64 連射機能付きのコントローラ。純正とグリップの形状が大きく異なる他、連射スイッチ付近が盛り上がっている。3Dスティックのアジャスト機能がある。A/B/Zボタンに連射が設定できる他、スローモーション機能(スタートの連射)を搭載[90]。
ホリ電機 HN6-02 - 6(カラーにより異なる) ホリコマンダーN64 連射機能付きのコントローラ。左右のグリップが純正と大きく異なり、丸っぽくなっている。A/B/Zボタンに連射が設定できる[90]。
HN6-07 - 9,12 - 13,19,20,22 - 24(カラーにより異なる) ホリパッドミニ64 コンパクトなコントローラ。純正コントローラとニンテンドーゲームキューブコントローラの中間のような形状になっている[91]。

この他にも、多くの機器が発売されている。

一般販売はされていないが、インテリジェントシステムズからスーパーゲームボーイのような周辺機器「WIDE-BOY64」、「WIDE-BOY64 for AGB」がソフトメーカーや出版社向けに販売されており、ゲーム画面の撮影などに使用されていた。

非ライセンス商品だが、コロンバスサークル製「(N64用)スーパーコンバーターBR」(CC-64SCB-BR)を接続すると、Nintendo Switch Proコントローラー、NINTENDO 64 コントローラー(HAC‐043)が使用できるようになる。

ソフトウェア

日本

日本におけるローンチタイトルは『スーパーマリオ64』、『パイロットウイングス64』、『最強羽生将棋』。

PlayStationやセガサターンのようなCD-ROM媒体を用いた多くのゲームが動画を多用していく中で、NINTENDO 64は全年齢に親しまれるラインナップが多かった[独自研究?] 。

発売されたソフトは日本では全208タイトルであり、PlayStationやセガサターンと比べて少ないが、『ゴールデンアイ 007』、『ドンキーコング64』、『バンジョーとカズーイの大冒険』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』など人気を博したソフトや、『風来のシレン2』など作品として評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、 多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。[独自研究?]

特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などは売上も好調だった。また、売り上げこそ劣るものの『実況パワフルプロ野球』や『実況ワールドサッカー』なども3Dスティックでの操作性が独特で、 シリーズ屈指の作品として支持されている。[独自研究?] 。

NINTENDO 64で初めて登場したマリオパーティシリーズは、以降の同社のゲーム機でも続編が発売される人気タイトルとなっている。また2001年にはNINTENDO 64において任天堂最後のソフトとなる『どうぶつの森』が発売された。発売当時はNINTENDO 64市場の終末期であったことから初回生産分はわずかなものであったが、インターネット上の口コミなどによってたちまち品薄状態を生み出した[注釈 16]。

新作ソフトの発売は日本国内においては2001年12月発売の『ボンバーマン64』が最後となった。

海外

当時、任天堂ハードでは発売されていなかったリッジレーサーシリーズだが、海外ではNintendo Software Technologyによって開発された「Ridge Racer 64」が発売された。

北米では2003年夏まで新作ソフトが発売された。最後のNINTENDO 64用新作タイトルとなった『トニーホークプロスケーター3』である[注釈 17]。

発売後の動向

国内

当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されていたが、度重なる延期でライバル機より2年近くも遅れた発売により、登場時には全出荷国でPlayStationが、日本国内ではさらにセガサターンも市場を占拠し始めていた[注釈 18]。

ライバル機より普及が進まなかった要因として「開発環境の変化による、ゲームの発売延期・中止」や「参入メーカー不足による、ゲームのジャンル不足・人気シリーズ不在」が挙げられる。

ゲームの発売延期・中止

ゲーム機に3Dが導入されたことに伴い、ソフトの開発環境が変化し、開発人員も増大した。開発言語が従来のアセンブリ言語からC言語へ変わり、開発環境には、SGIのグラフィックワークステーション、SGI Onyxが使用された。後にSGI Indyも使用された。日本では、安価なMicrosoft Windowsベースの京都マイクロコンピュータ製インサーキット・エミュレータ「PARTNER-N64」も用意された。

ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)はソフトの開発機材を安価でソフトメーカーに提供し、開発環境の負担を軽減することにより、サードパーティーを数多く取り込んでいた。これは元々ソニーがスーパーファミコンの開発機材を作っていたりなどしたためノウハウがあったことによる。しかし当時の任天堂は従来通りソフト毎に開発者が独自にプログラムを組んでいた。また当初はセカンドパーティの増強を考え、マネージメント会社「マリーガル」を設立して対処していた[注釈 19]。

開発環境の変化は任天堂自身にも影響を与えた。岩田は「ハードの能力と自由度が上がったことで、逆にゲームにおけるハードの限界が明確でなくなってしまって、プログラマーにとってはどこまでハードの性能を出せるのかがわかりにくくなってしまった」「“オプティマイズ”や“チューニング”といった(中略)ゲーム制作の本質とは違う仕事が爆発的に増え、つくり手は思ったとおりにゲーム制作ができなくなってしまった」と述べている[94]。そのため、開発が長期化してしまう状態になっていた。ほぼ時期を同じくしてNINTENDO 64の発売直後に出るはずだった周辺機器『64DD』も暗礁に乗り上げる。当初はファミリーコンピュータ ディスクシステムと同様のハードになるはずだったが、様々な構想が消えては生まれる状態が起き、そのたびに開発延期が繰り返された。最終的に「製品群構想」となったが、発売が遅れ過ぎたことなどが響き、ほとんど定着しなかった。

こうしてNINTENDO 64は初期から、開発の困難さによる参入メーカー不足・ソフト不足に見舞われる。具体的にはローンチタイトル3作品の発売の後、3ヵ月以上もソフトが1本も発売されなかった。任天堂は1996年内にセカンドパーティ製のものも含め、16本の自社ソフトを発売する計画だったが、ソフト開発の遅延や64DDの発売延期などにより4本しか発売できず、後に発売できたのも半分ほどで、残りは発売中止となった。また発売当初のキラーソフトの一つ『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の発売が大きく延期したこともハードの普及を妨げた。

ゲームのジャンル不足

参入メーカー不足で致命的だったのはファミコン、スーパーファミコン時代に抱えていた国民的な人気を誇るRPGシリーズが離れたことであり、ファイナルファンタジーシリーズは大容量メディアであることを理由に、ドラゴンクエストシリーズは普及台数の差と64DDの開発遅延をきっかけに[要出典] いずれもPlayStationに移籍。RPG不足もハードの普及を妨げた。

それ以外にも当時は対戦格闘ゲームの絶頂期であり、セガサターンは『バーチャファイター』、PlayStationは『鉄拳』などの格闘ゲームでハードの売り上げを伸ばしていたが、任天堂は「勝ち負けが付くゲームはマニアックになりやすい」という理由で自社で格闘ゲームを開発しない[95]方針を取っていたことでハードウェア後期になってもあまり発売されなかった[注釈 20]。

また、この世代のゲーム機からPlayStationやセガサターンにおいてマルチプラットフォームのソフトが登場していたものの、NINTENDO 64はディスクメディアを不採用にしたことや、コントローラの形状といった操作体系など、他のハードと異なる面が多いことを理由に、マルチプラットフォームや移植でNINTENDO 64に発売された作品がほとんどなかった。

評価

こうした要因により、本体価格を下げて対応した[注釈 21]が普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStation・セガサターンに及ばなかった。この結果、任天堂は据え置き型ゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をSCEに明け渡すことになった。

後年山内は、任天堂はソフト体質[注釈 22]の会社だが、NINTENDO 64はハード体質[注釈 23]の人間によるものであるため、NINTENDO 64を当時から不満に思っていたと回顧している[98]。

一方で本体やコントローラのデザインおよび操作性は評価され、1997年にはスポーツ・レジャー用品部門でグッドデザイン金賞を受賞している[99][100][101]。

2024年7月21日に運行を開始した京都京阪バスの宇治小倉線(京阪宇治駅 - JR宇治駅 - ニンテンドーミュージアム - 近鉄小倉駅)の系統番号は64となっているが、これはニンテンドーミュージアムのアクセス路線であることから、NINTENDO 64にちなんでいる。

北米

日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、『スーパーマリオ64』や『ゴールデンアイ 007』がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2,063万台とSNES(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂と同様に、プログラマが独自でプログラムを組むことが多く、プログラム問題があまり起こらなかった。また、RPG・格闘ゲーム不足については、日本と異なりさほど人気がなかったことにより問題とならなかった。また、日本市場とは異なり、サードパーティ製ソフトのシェアも多い。

米国では画像処理能力とコストパフォーマンスなどが評価され、『タイム』誌による”マシン・オブ・ジ・イヤー’96”を受賞した[102][103]。

宮本茂は「NINTENDO 64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお蔭で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている[11]。

復刻版

バーチャルコンソール
2006年発売のWii、2013年発売のWii Uで、かつて発売された一部のゲームをダウンロード購入し、遊ぶことの出来るサービス。
NINTENDO 64 Nintendo Classics
Nintendo Switchではオンラインサービス「Nintendo Switch Online + 追加パック」にて、2021年10月26日より専用ソフト『NINTENDO 64 Nintendo Classics』がオンラインサービスの加入者向けにダウンロード可能となっている。NINTENDO 64用ゲームが収録(サービス開始時は8本)されている。

脚注

注釈

  1. ↑ ニンテンドーゲームキューブ、ニンテンドーDSなどと違い、NINTENDO 64は「ニンテンドウ64」が公式なカタカナ表記である(「ー」はハイフンと間違えられるため「ウ」を採用[1]、同時期のサービス「ニンテンドウパワー」も同様)。ただし、当時の雑誌等ではニンテンドー64と誤記しているものも見受けられる[2]。
  2. ↑ 例:キャラクターの表示に必要なスプライトの最大表示可能数
  3. ↑ のちの64DDで使用される磁気ディスク。
  4. ↑ 当時の中国の法律問題や違法コピーを危惧していたことからNINTENDO 64は出荷されなかったが、本機をベースにして携帯型・ダウンロード専用とされた。
  5. ↑ 当初、SGIはセガと交渉していたが、セガ・オブ・アメリカは乗り気であったものの、日本側の反対で頓挫したという経緯があった[39]。
  6. ↑ 本体正面のロゴは「NINTENDO64」のままであり、36Pinメモリー拡張コネクタの蓋部分に「ヒョンデ・コンボイ」のロゴ、本体の電源ボタンとリセットボタン、コントローラのSTARTボタンに韓国語のハングルが併記された。
  7. ↑ XXXには出荷国のコードが入る。日本版・台湾版・香港版は"JPN"、北米版は"USA"、PAL版のうちフランスを除く地域向けは"EUR"、フランス向けは"FRA"、韓国版(コンボイ64)は"KOR"。
  8. ↑ ブラジル版のみ電子機器の完成品を輸入するときに掛かる関税が高額であることから日本や中国から部品を輸入し、現地代理店のPlaytronic Industrial社(後にGradiente Entertainment社)のマナウスにある工場にて現地生産された。
  9. ↑ 本機以降、スーパーファミコンジュニアや同世代競合機種のマイナーチェンジ機種を除く全ての据置型ゲーム機はZバッファを標準で搭載している。また携帯型ゲーム機でもニンテンドーDS以降、ゲームボーイミクロを除く全ての機種で搭載している。Zバッファが搭載されて初めて正確な面の交差が描画できるようになり、面のめくれが生じない美しい描画となった。
  10. ↑ NINTENDO64と同世代のPlayStationや3DOはポリゴンを採用したが、座標計算は固定小数点数演算かつZソート法に簡略化されており、セガサターンに至っては四角形スプライトの変形であったため、どちらも幾何学的に正しい描画方法ではなく表示の破綻が目に付いた。
  11. ↑ 例えば、3Dポリゴンの描画性能に特化したマイクロコード(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』等)や、2Dグラフィックに特化したマイクロコード(『ヨッシーストーリー』等)、演算処理に長けたマイクロコード(『最強羽生将棋』、『F-ZERO X』等)、4人対戦のために4画面同時出力に長けたマイクロコード(『マリオカート64』等)。
  12. ↑ 宮本茂はローンチタイトルの『スーパーマリオ64』を開発した実感として「カートリッジで開発してみて、このゲームはCD-ROMシステムでは決して実現できなかっただろう」と述べている[67]。
  13. ↑ テレビや雑誌等で「スリーディースティック」と呼称する場合があったが、正しくは「サンディスティック」と読む[74]。
  14. ↑ 周辺機器も含めるとアナログスティックを搭載したゲームコントローラは1989年に電波新聞社から発売されたPCおよびメガドライブ用のアナログコントローラ「XE-1 AP」が初であり、NINTENDO64のコントローラはそれに次ぐ2例目。
  15. ↑ 台湾版は外箱に「任天堂64 台湾専用機」、香港版は同じく「任天堂64 香港専用機」と書かれていて、取扱説明書の言語とACアダプターの電圧が日本版と異なる。香港で採用されているカラーテレビの規格はPAL方式(50Hz)であるが、NTSC(60Hz)規格を採用する日本版がベースとなった。
  16. ↑ 本作は後にニンテンドーゲームキューブやニンテンドーDS、さらにはスマートフォンアプリにもなり、任天堂の看板タイトルとなった。
  17. ↑ PlayStation 2、ニンテンドーゲームキューブ、Xboxなど、次世代ゲーム機とのマルチプラットフォームで展開された。
  18. ↑ NINTENDO 64が発売された1996年6月時点で、PlayStationの累計出荷台数は270万台を超えていた。1997年3月末時点でNINTENDO 64の累計販売台数は204万台、1998年3月末時点は315万台。対するPlayStationは1997年月末時点で累計出荷台数650万台、1998年3月末時点で1,151万台だった[92]。
  19. ↑ この両者の方向性の違いは、自社タイトルの強さにもよる。ソニーは自身で有力タイトルを持っていなかったため、サードパーティの取り込みは必要不可欠であった。対する任天堂はサードパーティの厳選を考えており、開発についていけないメーカーは振り落とす方針であった[93]。
  20. ↑ ただし、後に対戦アクションゲームではあるが『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などの対戦型ゲームが任天堂から販売された。
  21. ↑ System-on-a-chip化の徹底[96]、またROMカセットの採用(CD-ROMドライブ及び読み込み用のRAMが不要になったことで、約50ドルの製造コストを削減できたとされる)[97]によりライバル機よりも高性能ながら25,000円という低価格を打ち出した[96](PlayStationは発売時39,800円、セガサターンは44,800円だった)。しかし、NINTENDO64発売時には価格競争によりPlayStationは19,800円、セガサターンは20,000円まで価格を下げており、NINTENDO64は価格優位性を全く活かせなかった。NINTENDO64は1997年3月14日に一度目の値下げが行われ16,800円となり、最終的に1998年7月1日に行われた二度目の値下げで14,000円となった。本体販売価格の値下げは任天堂ハードとして初めての施策であった。
  22. ↑ ハードウェアを利用して娯楽としてのコンテンツの面白さや仕組みを提供する。
  23. ↑ 技術や性能面の良さを提供する。

出典

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参考文献

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