日本船としての運航とは? わかりやすく解説

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日本船としての運航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 03:19 UTC 版)

黒潮丸 (タンカー)」の記事における「日本船としての運航」の解説

1939年昭和14年2月竣工した黒潮丸」は、早速、カリフォルニア州オランダ領東インド産からの海軍燃料用石油輸入使われた。 太平洋戦争4ヶ月前の1941年昭和16年8月15日建造時計画通りに「黒潮丸」は日本海軍徴用され、同年9月5日付で特設艦船入籍し給油艦相当する特設運送船甲(給油)に類別された。開戦前に、日本海軍作戦拠点となるトラック泊地チューク諸島)やパラオへの輸送任務従事同年12月8日開戦時には南遣艦隊補給任務担当しマレー作戦出撃する艦艇に対してフランス領インドシナ南端プロコンドル島(現コンソン島)で給油実施した続いて同年12月16日には英領北ボルネオ攻略作戦参加し占領されたばかりミリ進出して駆逐艦給油したその後蘭印作戦でもジャワ島攻略戦参加した1942年昭和17年3月20日、「黒潮丸」は海軍籍から除籍され続いて5月1日日本海軍からの徴用解除された。徴用解除は優秀タンカーの中で例外的な措置で、岩重多四郎によればタービン機関不調原因である。民間商船戻った黒潮丸」は、石油集積地点であるシンガポールから日本本土へ石油輸送任務従事することになった徴用解除からすぐの1942年5月23日付で「黒潮丸」は、一般商船のまま乗員海軍軍属待遇として扱う指定になっている松井邦夫によれば1943年昭和18年)に船主中外海運から系列会社である東和汽船変更となったとされるが、船舶運営会1943年10月資料では船主中外海運のままで、船舶運営会に代わって商船管理を行う運航実務者東和汽船指定されている。また、船舶運営会資料基礎にした『日本商船隊戦時遭難史によれば1945年1月沈没時の船主東和汽船となっている。 パレンバン第2製油所責任者だった十川陸軍少佐回想によれば1942年11月海軍タンカー黒潮丸」ほか1隻が事前連絡無し陸軍管理下のパレンバン燃料油積み取りのため入港しやむをえず南スマトラ燃料支廠長の中村隆寿陸軍大佐独断給油認めたが、本廠から叱責され事件起きたという。ただし、前述のとおり、1942年11月頃の「黒潮丸」は海軍による徴用解除後である。 1943年昭和18年7月高速石油輸送船団であるヒ船団航路開設されると、以下のとおり、「黒潮丸」はヒ船団加入して日本本土シンガポールの間を往復するようになった船団の編制出航時の状態であり、途中で変更されたものがある。シンガポールへ向かう往路では、南方派遣される増援部隊兵員航空機をしばしば便乗させている。 ヒ29船団輸送船6隻・護衛艦佐渡」):1943年12月30-31日門司発、高雄マニラ経由で、1944年1月15-16日にシンガポール着。航空機12機を輸送。 ヒ32船団(「建川丸」等輸送船6隻・空母千歳」等護衛艦2隻):1944年1月25日シンガポール発、2月4日門司港着。原油16,000キロリットル輸送。 ヒ45船団(「建川丸」「厳島丸」等輸送船7隻・護衛艦「汐風」):1944年2月16日門司発、2月21日に「黒潮丸」は機関故障のため高雄港船団から除外。 ヒ47船団輸送船5隻・護衛艦2隻):高雄修理後1944年2月28日途中加入3月5日シンガポール着。航空機10輸送。 ヒ48船団(「建川丸」「厳島丸」等輸送船13隻・護衛艦4隻):1944年3月11日シンガポール発、「黒潮丸」は3月14日経由地バンフォン湾(英語版)に着くまでの行程機関故障により離脱しサンジャック(現ブンタウ)で修理。 ヒ50船団輸送船13隻・護衛艦「汐風」「佐渡」):1944年3月20日サンジャック途中加入してマニラ高雄経由4月8日岩国港着。原油16,500キロリットル輸送。この航海後、神戸川崎造船所入渠して7月9日まで機関整備。 ヒ69船団輸送任務空母大鷹」「海鷹」を含め輸送船16隻・空母神鷹」等護衛艦6隻):1944年7月13日門司発、「黒潮丸」は途中で一時的に故障落伍する7月20日マニラ船団合同、「音羽山丸」とともに船団の第1分団となり、7月31日シンガポール着。航空機10機と部隊貨物輸送。 ヒ70船団(「せりあ丸」等輸送船8隻・「神鷹」等護衛艦8隻):1944年8月4日シンガポール発、8月15日門司着。重油14,590キロリットル輸送。 ヒ73船団輸送船18隻・空母雲鷹」等護衛艦7隻):1944年8月25日門司発、高雄経由で、9月5日シンガポール着。航空機8機輸送。 ヒ75船団輸送船10隻・「神鷹」等護衛艦6隻):1944年9月14日高雄途中加入本船含めて船団加入船に故障多発したが、9月22日シンガポール着。 ヒ76船団輸送船9隻・「神鷹」等護衛艦7隻):1944年10月2日シンガポール発、10月11日三亜部隊貨物搭載レイテ沖海戦のため補給任務転用されることになり、10月22日に「東邦丸とともに馬公船団から除外。ただし、結果的に補給任務実施せず馬公重油15,003キロリットル陸揚げ。 ヒ79船団輸送船6隻・護衛艦4隻):1944年10月30日高雄途中加入11月9日シンガポール着。 ヒ80船団輸送船8隻・護衛艦10隻):1944年11月17日シンガポール発、12月4日門司着。 ヒ87船団輸送船9隻・護衛艦9隻):1944年12月31日門司発、1945年1月9日高雄空襲により大破したため船団から除外。 「黒潮丸」として最後の航海となったのは、ヒ87船団加入してシンガポールであった1944年12月31日門司出発したが、1945年昭和20年1月9日経由地高雄停泊中にアメリカ海軍第38任務部隊による空襲受けて大破擱座した。「黒潮丸」はヒ87船団から除外され高雄残ったが、同年1月21日に再び空襲受けて沈没した

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日本船としての運航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 08:08 UTC 版)

帝亜丸」の記事における「日本船としての運航」の解説

アラミスは、他のフランス船・仏印10とともに日本海軍から帝国船舶管理委託され帝亜丸命名された。実際運航貨客船帝興丸(15,105トン、旧仏船D'Artagnanとともに日本郵船乗員含まない裸傭船契約の形で委託された。1942年9月には帝国船舶から船舶運営会傭船する形態となったが、引き続き日本郵船運行委託された。 日仏間で1942年2月25日締結され覚書では、フランス船は軍事輸送には使用しないという協定であったため、本船を含む全徴用フランス船が、陸軍徴用船(A船)や海軍徴用船(B船)ではなく民需船(C船)とされた。しかし実際に軍需物資を含む輸送任務にも使用された。日本旗下での最初の航海6月12日サイゴン出て23日横浜港へ着くもので、米約5,000トン乗客569人を運んでいる。 帝亜丸従事した特別な任務に、抑留中敵国民間人互いに引き渡す戦時交換船としての航海がある。1943年昭和18年9-10月の第二次日米交換の際に、当時軍隊輸送船航空母艦改装されていない数少ない大型客船として選択された。またそれ以前交換船として使用されていた船のうち浅間丸軍隊輸送船として大改装されたため使用困難、鎌倉丸龍田丸戦没当初の予定船だったイタリア船コンテ・ヴェルデは航海直前9月11日イタリア降伏にともないイタリア人船員たちにより自沈という状況であり、短期間整備可能なのが本船だけであった灰色戦時塗装の上から白十字日の丸識別塗装船体施し十字形の電飾標識船上掲げた帝亜丸は、日本滞在中の敵国国民135名と外務省代表者スイス公使館員など中立国便乗者、赤十字社関係者など29名を乗せて9月13日横浜港出港した上海で被交換者1,035名、香港で被交換146名とフィリピンへの送還182人を追加収容しフィリピンサンフェルナンド151名、サイゴン33名の合わせて計1,711人の被交換者を乗せた帝亜丸シンガポール経由して10月18日交換地であるポルトガル領インドゴアの主港モルムガオ(英語版)に到着しアメリカ側交換船であるスウェーデン船籍客船グリップスホルムに被交換者を引き渡した。グリップスホルムから日本人引揚者1,517人と中立国の8人を収容した帝亜丸は、10月21日にモルムガオを出航シンガポールマニラ現地勤務218人が下船し11月14日横浜港無事に帰着した

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