日本船初のSOSとは? わかりやすく解説

日本船初のSOS

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 04:32 UTC 版)

SOS」の記事における「日本船初のSOS」の解説

日本艦船最初に国際的な遭難信号SOS発したのは東洋汽船の地洋丸に開設されていた逓信省の「地洋丸無線電信局」(呼出符号JCY)である。地洋丸は日本無線による公衆通信サービス創業された1908年開局した老舗船舶局である。 1916年大正5年3月29日午後0時10分、マニラ出港した地洋丸JCY香港向かった。翌30日の朝に香港のケープ・ダギラー(Cape D'Aguilar海岸局呼出符号VPS)の通信圏に入ったが、空電妨害激しくなり、午後に通信不能となってしまった。逓信省伊藤豊地洋丸無線電信局長31日深夜1時まで待って空電妨害が収まる気配がないため3時間ほど仮眠した早朝4時起床したところ、ケープ・ダギラー海岸局VPSとの距離が近くなったこともあり、通信再開することができた。昨夜から持ち越した送電報の処理を終え伊藤局長ひと息こうとした1916年3月30日午前4時30分、地洋丸が突然激しく揺れた濃霧の中を全速力航行していた地洋丸が無人島乗り上げ座礁したのである無線室でしばらく様子伺っていた伊藤局長は、アーネスト・ベント船長より「船はレマ付近座礁したから危急符号SOS送って各所救助求めてくれ」とSOS送信命令受けた。ただちにSOSを前置してケープダギラー海岸局VPS呼び座礁伝えたところ、英国海軍へ連絡する旨の返答があった。そして2分後には「駆逐艦ホワイティングHMS Whiting)が救助に向かう」と伝えてきた。しかし地洋丸JCY発した第一報事故地点レマ島付近正しくなく、あとで担タムタム)島だったとする訂正電文やり取りもあり、駆逐艦ホワイティング現場到着したのは午前7時だった。駆逐艦ホワイティング到着するまでの間、現場近く通過する船が2隻あり、しきりに汽笛救助求めたが、霧中航行信号だと勘違いされそのまま過ぎ去っていったという。船客299全員駆逐艦ホワイティングにより香港搬送され31日午前11時に全員が無事上陸できた。この海域海賊巣窟となっている危険エリアだったが、ケープダギラー海岸局VPS迅速な救助手配駆逐艦ホワイティング活躍により大事に至らず済んだいえよう1916年3月31日正午前になり日本海軍二等巡洋艦明石」(呼出符号JLM)と通信ができて、地洋丸は応援求めた午後3時過ぎに事故現場巡洋艦明石」が到着駆逐艦ホワイティング見守る中、午後8時の満潮時、地洋丸の乗組員たちと巡洋艦明石」が協力して、地洋丸を離礁させるための引きおろし試みたがうまく行かなかった。乗組員262名は担タムタム)島に避難上陸し一夜明かした日本ジャズ・オーケストラ発展貢献したとされる波多野福太郎はこのとき地洋丸の専属楽団楽士だった。波多野福太郎暗黒無人島トランペット抱いて朝を迎えたという。乗組員たちは後から来た英国海軍駆逐艦ヴィラゴー(HMS Virago)により救助された。 翌朝以降何度も離礁試みられたが、4月2-4日激浪により地洋丸は前方1/3の位置から真っ二つ折れてしまい、最終的に修理断念し廃船決まった1916年4月21日官報にて逓信省は地洋丸無線電信JCY廃止告示した

※この「日本船初のSOS」の解説は、「SOS」の解説の一部です。
「日本船初のSOS」を含む「SOS」の記事については、「SOS」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日本船初のSOS」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日本船初のSOS」の関連用語

1
2% |||||

日本船初のSOSのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日本船初のSOSのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのSOS (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS