海軍軍属
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1942年8月、米国から帰国の翌日、自主的に麻布区役所に出頭し、4日後の徴兵検査で第2乙種合格。陸軍に召集されるのを避けるため、海軍軍属にドイツ語通訳として志願し、1943年2月にドイツの封鎖突破船でジャワ島に赴任。ジャカルタの在勤海軍武官府に2年間勤務し、主に連合国のラジオ放送を聴いて情報をまとめ、部外秘の新聞を作成する業務に従事した。カリエスが悪化し、ジャワ島・チキニ(インドネシア語版)の海軍病院で2度手術を受けた後、シンガポールの輸送船団、通信隊での勤務を経て、1944年12月初に練習巡洋艦「香椎」で日本に帰還。 帰国後、体調が回復したため、1945年4月から慶應義塾大学日吉校舎に置かれていた海軍軍令部に勤務し、翻訳業務に従事。同年7月に結核性腹膜炎のため辞職し、熱海で療養中に敗戦を迎えた。
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