日本における恩赦の歴史
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恩赦は詔勅によって罪又は刑の種類を定めて行われていたが、歴史的には猪名部真根の処刑を取りやめさせた雄略天皇のように、天皇個人の意志で恩赦を与える例もあった。 明治時代になり、大日本帝国憲法施行後は天皇の大権事項と立法され(大日本帝国憲法第16条)、その具体的な内容・手続については勅令(恩赦令)で定められていた。 大日本帝国憲法における恩赦は、1889年2月11日の大日本帝国憲法発布(大赦)、1897年1月30日の英照皇太后大喪(大赦(台湾住民対象)および減刑)、1910年8月29日の日韓併合(大赦(旧韓国法令の罪を犯した者対象))、1912年9月26日の明治天皇大喪(大赦および特別基準恩赦)、1914年5月24日の昭憲皇太后大喪(減刑)、1915年11月10日の大正天皇即位(減刑および特別基準恩赦)、1919年5月18日の皇太子裕仁成年式(特別基準恩赦)、1920年4月28日の王世子李垠結婚(減刑(朝鮮人対象))、1924年1月26日の皇太子裕仁結婚(減刑および特別基準恩赦)、1927年(昭和2年)2月7日の大正天皇大葬(大赦,減刑および復権ならびに特別基準恩赦)、1928年(昭和3年)11月10日の昭和天皇大礼(減刑および復権ならびに特別基準恩赦)、1934年(昭和9年)2月11日の明仁親王誕生(減刑および復権)、1938年(昭和13年)2月11日の大日本帝国憲法発布五十周年祝典(減刑および復権ならびに特別基準恩赦)、1940年(昭和15年)2月11日の紀元二千六百年祝典(減刑および復権ならびに特別基準恩赦)、1942年(昭和17年)の第二次世界大戦戦捷第一次祝賀(復権および特別基準恩赦)の際に行われた。阿部定事件で服役中の女性の例では1940年の恩赦の対象となり、懲役6年のうち残り2年分が1/2に減刑され5年目で出所している。 日本国憲法下では、恩赦の決定は内閣が行い、恩赦の認証は天皇の国事行為として行われる(日本国憲法第73条7号、7条6号)。恩赦の内容、手続等は、恩赦法(昭和 22 年法律第 20 号)及び恩赦法施行規則(昭和 22 年司法省令第 78 号)に定められている。 戦後では、1945年(昭和20年)10月17日の太平洋戦争終結(大赦令,減刑および復権ならびに特別基準恩赦)(対象規模は約42万人)、1946年(昭和21年)11月3日の日本国憲法公布(大赦令,減刑令および復権令ならびに特別基準恩赦)(対象規模は約17万人)、1947年11月3日の太平洋戦争終結の恩赦および日本国憲法公布の恩赦における減刑の修正、1952年(昭和27年)4月28日の対日平和条約(サンフランシスコ講和条約)発効(対象規模 1,006,628人)(大赦、減刑および復権ならびに特別基準恩赦)および11月10日の皇太子(明仁親王/上皇)立太子礼(対象規模 3,476人)(特別基準恩赦)、1956年(昭和31年)12月19日の国際連合加盟(対象規模 71,782人)(大赦および特別基準恩赦)、1959年(昭和34年)4月10日の皇太子明仁結婚(対象規模 48,738人)(復権および特別基準恩赦)、1968年(昭和43年)11月1日の明治百年記念(対象規模 152,818人)(復権および特別基準恩赦)、1972年(昭和47年)5月15日の沖縄復帰(対象規模 34,503人)(復権および特別基準恩赦)の際に恩赦が行われたほか、1947年(昭和22年)11月には、日本国憲法公布の恩赦における減刑令の修正が行われた(対象規模は約5000人)。 1989年(昭和64年/平成元年)2月の昭和天皇大葬の礼の際(対象規模は約1017万人)には、過去数件行われた死刑囚への恩赦(特別減刑)は行われなかった(大赦および復権ならびに特別基準恩赦)。なお、夕張保険金殺人事件のように当時の死刑囚で恩赦が行われると期待して行動していたケースはあった。 詳細は「夕張保険金殺人事件」を参照 その後、同年2月13日、政府は大赦令及び復権令を公布するとともに特別基準恩赦の内容を公表し、いずれも大喪の礼の当日である同月24日から実施した。このように、戦後の恩赦は、「法律変更などによる量刑不均衡の是正のための救済」や「社会的影響のないレベルの罪や社会復帰後に何ら問題を起こしていない人に対しての復権」が中心となっている。 1990年11月12日、明仁の天皇即位の礼で、対象規模は約250万人(復権および特別基準恩赦)。 皇太子(徳仁親王/今上天皇)成婚という慶事があった1993年(平成5年)6月の恩赦(対象規模は約1300人)は、保護観察所による保護観察の執行の免除16人と復権が、「保護観察で更生した」として推薦された64人に対して行われた(特別基準恩赦)。 2016年の恩赦は、刑の執行の免除が5人、復権が24人、2017年の恩赦は、刑の執行の免除が1人、復権が22人である。 ウィキソースに復権令 (令和元年政令第百三十一号)の原文があります。 2019年10月22日、令和即位の礼に伴って約55万人規模の恩赦が与えられることになり、即位礼正殿の儀が挙行された令和元年10月22日付け官報特別号外で「復権令」(令和元年政令第131号)が公布・施行された(復権および特別基準恩赦)。 2020年1月21日までが手続き期間であり、本人の出願に基づく「特別基準恩赦」に、人身取引被害者サポートセンター「ライトハウス」は児童ポルノ所持や児童買春で罰金刑を受けた者が復権すれば、取り消された医師や看護師の免許などの国家資格を再取得でき、子供と接する機会が多い資格を再び得られることになるとして発起団体になり、特別基準恩赦の対象から子どもへの性犯罪者を除外するよう求める署名活動をインターネットで始めた。 署名目標が10,000人で、2019年内に法務大臣と内閣総理大臣に提出する方針。性犯罪は再犯率が高く、法務総合研究所の2015年度の調査では、性犯罪の前科が2回以上ある者のうち8割が、その後に子どもへの性犯罪で摘発されていた。慶応義塾大学の小林節名誉教授(憲法学)は「現行憲法の国民主権に恩赦はそぐわない。個別の事件に量刑を下した司法判断に介入しており、三権分立にも反する。」と指摘した。
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