日本における悪魔払い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/09 04:31 UTC 版)
神道大辞典によれば、悪魔払い(あくまはらい〔ママ〕)とは、 遊魂変をなすもの、若しくは不正の邪気に犯さるるを払ふ調伏呪文、加持祈祷の類。『世事間〔ママ〕談』には通り悪魔を払ふに、普門品を唱へて効験あることを載せ、陰陽道にては調伏呪文、修験道には加持祈祷によつてこれを払ふ秘法を説いてゐる。 — 神道大辞典 すなわち、修験者や陰陽師による調伏呪文、加持祈祷などによって、游魂が変異をなして物の怪となったものを払う、あるいは邪気・邪霊に侵された人から邪気を払うものである。 「祓い」は古くは神道の祭祀であったが、大陸から渡ってきた宗教や陰陽五行説をもとに陰陽道が構築され、陰陽寮が発足してから、祓いの役割は陰陽師に移ったとされる。以来、明治時代に入り、再び「祓い」の祭祀が神道に戻されるまでの間に、仏教、儒教、民間信仰を吸収・習合しながら、様様な悪魔払いの儀式・行事・呪い(まじない)として民間にも広がり浸透していった。 民俗学者の坪井洋文は、悪魔は民間信仰の次元で考えられることが多いとしながら、色々な信仰習合の歴史を経ても、日本における悪魔払いの根底には、日本固有の「祓い」の観念が潜在しているとする。「悪魔を払う方法も、民間信仰的なさまざまの形をとっているが、密教の調伏咒文、修験道の加持祈祷の類が典型的といえよう」「民間行事としての疫神送りや人形送りも、広義には悪魔払の一種であり、獅子舞などの民間芸能のなかにもその信仰上の名残りを見出すことができる」と説いている。 修験道では悪魔を退散させる修法が行われ、修験道の影響を受けた民間芸能の中に悪魔払いの側面があるとも指摘されている。神仏習合の世界観の下、諸国を遊行して加持祈祷を行い、邪霊の調伏や憑き物落としに携わった修験者・山伏は、民間の芸能にも関わり、各地で神楽などを伝えた。その中には悪魔払いの意味をもつ獅子舞や祈祷舞が含まれており、たとえば岩手県に伝わる山伏神楽である黒森神楽の清祓には「この家に悪魔あらんをば祓い清め申す」といった文言がある。 現在でも日本各地には「悪魔払い」としての民間行事や祭りがあり、金沢市の魔除けの舞いを修する「山王悪魔払い」のように、山王信仰の中にも悪魔払いの儀式が残っている。新潟の「十二山祭」では、山の安全を祈願して悪魔払いの弓を射る。どんど焼きとして知られる左義長(さぎちょう)も平安時代の悪魔払い「三毬杖」に由来するとされている 沖縄や鹿児島県では、グシチと呼ばれるススキやその葉を束ねたり重ねて形を整えて悪魔払いの呪具とする。シマクラサー(悪疫払いの儀式)に家の決められた場に飾って魔除けとする他、祈願を終えた女性神役が、グシチで村の家々の壁や子供を叩くことで悪魔払いをする。
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