当時の国際報道についての議論とは? わかりやすく解説

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当時の国際報道についての議論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 20:12 UTC 版)

南京事件論争」の記事における「当時の国際報道についての議論」の解説

当時南京攻略戦後も、現地欧米人記者5名(ニューヨーク・タイムズティルマン・ダーディン特派員やシカゴ・デイリー・ニューズのA・T・スティール記者ロイター通信社スミス記者、アソシエイツプレスのマクダニエル記者、パラマウントニュースリールのメンケン記者)が駐在していたが、南京占領後すぐ上海方面へ船で避難したので、ごく初期事件以外は現地記者不在のために直接確認できないものの、この5人の記者実際に南京戦遭遇しており、その後、以下の様に多く南京事件について記事国際社会に対して1937年12月以降翌年にかけて数多く掲載された。ただし、現地欧米人記者はすぐ上海方面避難したので、ごく初期事件以外は自社記者では直接確認できていないし、記者避難したことなどによる取材十分さには問題がないわけではなく、またパネイ号事件アリソン殴打事件のようにアメリカ国民関心がより高い報道がより大きく取り上げられるといった事実がある。 1937年12月15日南京戦時も南京にいたA・T・スティール記者はシカゴ・デイリー・ニューズで”NANKING MASSACRE STORY”(南京大虐殺物語)を世界で初め報道した。また12月17日特派員の描く中国戦の恐怖南京における虐殺略奪支配」、12月18日南京アメリカ人勇敢さを語る」と報道した1938年2月4日記事では、南京中国人虐殺ウサギ狩り(ジャックラビット狩り)に比してハンターのなす警戒線無力なウサギ向かってせばめられ、囲い追い立てられ、そこで殴り殺されるか、撃ち殺されるかするのだった南京での光景はまったく同じで、そこでは人間餌食なのだ。 逃げ場失った人々ウサギのように無力で、戦意失っていた。そのあす多く武器をすでに放棄していた。(略)日本軍兵士便衣兵捕らえるため市内くまなく捜索した。何百人もが難民キャンプから引き出され処刑された。(略)日本軍にとってはこれが戦争なのかもしれないが、私には単なる殺戮のように見える」と報じた同じく南京戦直接見たティルマン・ダーディン特派員12月17日上海アメリカオアフ号から記事発信し12月18日ニューヨーク・タイムズ掲載された。この記事では「・・少なくとも戦争状態が終わるまで、日本側の規律厳格であろうという気はしていた。ところが、日本軍の占領始まってから二日で、この見込み一変した大規模な略奪婦人への暴行民間人殺害住民自宅から放逐捕虜大量処刑青年男子強制連行などは、南京恐怖都市化した」「民間人殺害拡大された。水曜日市内広範囲見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人死体を目にした。犠牲者には老人婦人子供なども入っていた」「民間人の死傷者の数も、千人数えるほど多くなっている。唯一開いている病院アメリカ系大学病院であるが、設備は、負傷者一部取り扱うのにさえ、不十分である」「現地中国住民および外国人から尊敬信頼得られるはずの、またとない機会逃してしまった」と報道している。 そのほか南京戦見たスミス記者(ロイター通信社)も、事件初期殺人傷害強姦略奪などの犯罪行為日本軍によって行われた報道し同じく現地見たメンケン記者(シアトルデイリーニュース(12月16日)・シカゴデイリートリビューン(12月17日))とマクダニエル記者(シアトルデイリータイムズ(12月17日)・スプリングフィールドデイリーリパブリカン(12月18日))も南京事件悲惨な現実報道したまた、イギリスロンドンタイムズ12月20日)でも報道されており、「日本軍安全区入り戸外捕らえた中国人を、理由もなくその場銃殺した」ことが書かれている。 なお、アメリカ新聞南京事件よりもパネイ号事件アメリカの船の日本軍による沈没事件)を確かに大きくとりあげたが、まずパネイ号事件は、当時アメリカ日本との間では重大問題となっており、日本海軍外務省巻き込んで解決されたが、日米開戦もあわやという事であった。そして、パネイ号事件は、アメリカ人同時期のアジア一部でおきた南京での虐殺事件新聞報道よりも、アメリカの船を意図的に攻撃したのでは、との世論の高い関心を呼ぶこととなり大きく連続してアメリカでは報道された。同じく南京事件よりもアメリカで報道されとされるアリソン殴打事件(在南京アメリカ領事ジョン・ムーア・アリソン日本軍人が殴打した事件)は、米本土日本対す世論憤慨巻き起こしワシントンでは日本特産シルクボイコット求めデモ発生し外務省側の陳謝でようやく沈静化した事件であった。 なお、前述ニューヨーク・タイムズ記者だったティルマン・ダーディン特派員は、戦後の日本からの取材にて、(1986年笠原十九司質問答え)、日本軍南京向かい上海から進軍する約3か月前に上海から南京移り在住しそのとき戦闘遭わず南京に行くため」上海からは南の道を通ったとのべ、またその後1989年文藝春秋誌上では、日本軍南京進軍より約3か月前のとき(南京戦のときではない)、上海から南京までの行程では、虐殺見ていないと説明した(「日本軍上海周辺など他の戦闘ではその種の虐殺などまるでしていなかった」「上海付近では日本軍戦い何度もみたけれども、民間人やたらに殺すということはなかった。」「(上海から南京へ向かう途中日本軍捕虜民間人殺害していたことは)ありませんでした。」と答えた)。 一方欧米報道内容に対して疑問深くする意見が、日本の研究者中に存在する。「南京戦史」(偕行社編纂者南京戦当時独立軽装甲第二中隊小隊長の畝元正己は、日本敵意を持つ英米独の宣教師新聞記者らは、日本軍の行動針小棒大伝聞憶測まで伝えたとする。虐殺否定派東中野は、南京陥落後の12月1315日日本軍掃討戦中であり、安全区国際委員会届けられ殺人事件もそれが全てではないにせよ目撃者のないものが5件のみでスティール外国人記者見たという証言信憑性疑い、また日本の外交官宛の「虐殺外電」についても同様に伝聞情報源であり日本政府もしくは軍部)は誤情報報告されたのではない」としている。また、東中野当時ニューヨーク・タイムズ』に掲載された「南京虐殺証拠写真とされる写真虚偽写真可能性があると主張している。たとえば日本兵内地の手紙についても正確性信憑性疑問呈されている(例えば、虐殺行為手紙内地へで伝えたとしても検閲落とされるため)。渡部昇一は、『ニューヨーク・タイムズ』やアメリカ地方紙の「大虐殺」の記事を、便衣隊あるいはそれと間違われ市民処刑見て誤解した推定するまた、日本の前途と歴史教育を考える議員の会によれば、「南京事件発生後の約2ヶ月新聞記事調査その間12月場合市民大虐殺されたとか1月以降強姦殺人事件があったという記事はない」と主張し同時にアメリカの船パネイ号事件日本軍による沈没事件や、1938年1月26日発生した南京アメリカ領事ジョン・ムーア・アリソン日本軍人が殴打した事件アリソン殴打事件)が主であり、(アリソンへの)殴打事件よりも記事重要度が低いなら、それ以上のこと、例え強姦殺人南京には当然なかったと主張した。以上の事実から、同会の西川京子衆議院議員2008年当時)は、ニューヨーク・タイムズロンドンタイムズ虐殺など全く報道していないと、2013年4月衆議院予算委員会述べた。しかし、前述通り実際には、欧米新聞記事十分さ頻度は別としてこの時期確かに南京での日本軍違法殺人報道しており、またパネイ号事件アリソン殴打事件当時アメリカで南京事件よりも報道され経緯前述したとおりの事情であったため、当時欧米新聞記事情報正確さへの疑問はあるものの、欧米新聞南京事件確かに報道しており、決し南京事件全くなかったとまでは、そして日本による中国軍民の違法殺人全くなかったとまでは言い切れないとの説がある。

※この「当時の国際報道についての議論」の解説は、「南京事件論争」の解説の一部です。
「当時の国際報道についての議論」を含む「南京事件論争」の記事については、「南京事件論争」の概要を参照ください。

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