当時の史料に見る事件の概要とは? わかりやすく解説

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当時の史料に見る事件の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 04:40 UTC 版)

喜連川騒動」の記事における「当時の史料に見る事件の概要」の解説

同時代幕府による記録によれば喜連川尊信家臣二階堂主膳助と高四郎左衛門との間に党派争い起こり結果として四郎左衛門大嶋流罪尊信隠居させられた、という。 東京大学史料編纂所作成した史料稿本」には、『人見私記』『万年記』『慶安日記増補』『慶延略記』『寛明日記』『寛政重修諸家譜』『足利家譜(喜連川)』を出典とし、『及聞秘録』を参考とした以下の綱文(慶安1年12月22日2条)がある。 是より先、喜連川邑主喜連川尊信家臣二階堂主膳助等、高四郎左衛門等と事を相訴ふ、是日、幕府、其罪を断し、尊信致仕を命し、四郎左衛門等を大嶋に流す また、これと関連する可能性があると思われる史料には以下のようなものがある。 『寛政重修諸家譜』の喜連川家尊信の項 慶安元年尊信家臣二階堂主膳助某、高四郎左衛門某と争論し互にその党を結ぶ。三月十八二人評定所にめし問る。事決するのうち、四郎左衛門上田主殿助重秀に、其党一色刑部伊賀右衛門某をば、山名主殿矩豊青木二郎左衛門直澄にめし預からる。のち四郎左衛門言葉屈し雌伏せるにより、十二月二十二日其党二人とともに大嶋配流せらる。尊信厳命により致仕す。 「江戸幕府老中奉書 慶安元年9月7日付」(阿部忠秋松平信綱連名榊原忠次出され手紙) 「喜連川右兵衛尊信)を押し籠めにしているのだが、そこから脱走してしまうので、今ついている家来ではなく誰か適切な人物一人よこしてほしい」(要約) 「江戸幕府老中奉書 慶安元年11月18日付」(阿部重次阿部忠秋松平信綱連名榊原忠次出され手紙) 「喜連川右兵衛尊信)の狂乱紛れもなく真実で、それを隠していたことは、本来は領地没収であるが、お家一大事なのでこれを許す。藩主息子である千代4代昭氏)はまだ幼少なのでその方忠次)が後見をせよ。一色刑部柴田久右衛門伊賀右衛門は、藩主狂乱隠しおいていたので、その責任取って大嶋流罪とする。彼ら(一色柴田伊賀)の男子それぞれにお預けとして、二階堂主殿代替につき、その方が預かることとせよ」(要約

※この「当時の史料に見る事件の概要」の解説は、「喜連川騒動」の解説の一部です。
「当時の史料に見る事件の概要」を含む「喜連川騒動」の記事については、「喜連川騒動」の概要を参照ください。

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