当時の南アフリカ国内におけるラグビー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 05:33 UTC 版)
「インビクタス/負けざる者たち」の記事における「当時の南アフリカ国内におけるラグビー」の解説
当時南アフリカでは、英国発祥のラグビーは白人もしくはある程度の地位を獲得した富裕層の行なうスポーツであるという印象が強かった。また、ラグビーはルールが複雑であり、教育水準の低い貧困層の多い黒人の間では受け入れられず、専らサッカーが主流のスポーツであった。劇中の冒頭では、白人の観客は南アフリカを応援しているが黒人は敵のチーム(イングランド代表)を応援しているシーンが描かれているほか、フェンスを一つ隔ててラグビーを練習中の白人の若者と、裸足でサッカーに興じている黒人の子供、といった描写で対比させている。 1990年代初め、長く南アフリカが受けた経済制裁や、国際社会からの追放の影響で国際試合の出場機会は無く、ラグビーワールドカップの第1回大会、第2回大会にも不参加であり、世界最強と言われたチームは弱体化していた。しかし実際は、1992年の国際試合復帰後、急速に実力をつけ、ワールドカップ開催国でもあり、優勝候補の一角であった。映画では極端に弱体化したままだったように誇張されている。 また、代表チーム30人の選手はほとんどが白人であり、非白人のメンバーはカラードであるチェスター・ウィリアムズ1人であったが、チェスターは白人と非白人の融和の象徴となった。
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