日本軍の行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 08:51 UTC 版)
一方、日本軍は2月18日に今村均陸軍中将率いる第16軍が西部ジャワ島攻略(蘭印作戦)のため輸送船56隻に分乗し、カムラン湾を出撃していた。これを護衛するのは第五水雷戦隊司令官原顕三郎少将指揮の第三護衛隊(軽巡2隻〈名取、由良〉、駆逐艦15、水雷艇2、掃海艇5、その他3、計27隻〈進軍中、転出・編入による増減あり〉)であった。これに加えて西方支援隊として第七戦隊(司令官栗田健男少将)の最上型重巡洋艦4隻(第1小隊〈熊野、鈴谷〉、第2小隊〈三隈、最上〉)、第19駆逐隊(浦波、磯波、敷波)が間接支援を行っていた。またジャワ島南方に南方部隊指揮官近藤信竹中将(第二艦隊司令長官、旗艦愛宕)直率の南方部隊本隊と、機動部隊指揮官南雲忠一中将(第一航空艦隊司令長官、旗艦赤城)の南雲機動部隊が進出し、蘭印作戦全体を支援した。 2月20日、バリ島攻略中の日本軍輸送船団は連合軍艦隊に襲撃された。連合軍艦隊は撃退されたが、いまだ複数隻の巡洋艦と駆逐艦を有していた(バリ島沖海戦)。2月22日1500頃、北緯1度24分・東経107度55分地点で「ジャワ南方に有力艦隊あり」との情報により、第16軍輸送船団は反転北上した。当時、馬來部隊(指揮官小沢治三郎第一南遣艦隊司令長官)の重巡鳥海や駆逐艦綾波、空母龍驤などはベトナム南部サンジャックにあって27日にシンガポール入港式を挙行しようと準備中で、「これは何たる事だ」と述べる陸軍関係者もいたという。第16軍の中では「スマトラ島に上陸し、舟艇機動(大発動艇)で西部ジャワに上陸すべき」との意見もあった。陸海軍の各部隊指揮官協議の末、ジャワ上陸は2月28日開始と決定された。2月23日、第16軍輸送船団は再び反転し、南下を再開した。 2月27日0530、バタビア北方約140浬で第16船団主力より東海林支隊(輸送船7隻)が分離した。同日、重巡熊野水上偵察機が「連合軍艦隊が輸送船団に接近中」と報告したが、連合軍艦隊との決戦をのぞむ第三護衛隊指揮官(原顕三郎第五水雷戦隊司令官、軽巡名取座乗)と、敵艦隊と距離をとろうとする栗田少将(熊野座乗)は一日近く電文の応酬をくりひろげた。度重なる船団の反転により、第16軍司令部では「本日(27日)、馬來部隊(第一南遣艦隊)がシンガポール入港式を行っているのは理解に苦しむ」という空気が流れた。第三護衛部隊と第七戦隊のやりとりを受け、みかねた連合艦隊司令部は『バタビヤ方面ノ敵情ニ鑑ミ第七戦隊司令官当該方面ノ諸部隊ヲ統一指揮スルヲ適当ト認ム』と発令した。第七戦隊(栗田司令官)の行動について小島秀雄(海軍少将)は『あとで第七戦隊の先任参謀に、(バタビア沖海戦時)いったいどこにおったんだと聞いた。先任参謀いわく、軍令部に、第七戦隊を大事にしてくださいと言われたというんだ。大事にしてくださいと言われて、後におるやつがあるものか』と批評している。当時、第16軍輸送船団は今村中将と第二師団の輸送船49隻・護衛部隊(軽巡〈名取〉、第22駆逐隊第1小隊〈文月、皐月〉、第5駆逐隊〈春風、旗風、朝風、松風〉、第11駆逐隊〈初雪、白雪、吹雪〉、第12駆逐隊〈白雲、叢雲〉)、東海林支隊(歩兵第230連隊長東海林俊成大佐。輸送船7隻〈八重丸、豊福丸、甲谷陀丸、ぐらすごう丸、諏訪丸、打出丸、山月丸〉、軽巡〈由良〉、第6駆逐隊第1小隊〈暁、響〉、第22駆逐隊第2小隊〈長月、水無月〉)、馬來部隊協力部隊(第七戦隊〈熊野、鈴谷、三隈、最上〉、第19駆逐隊〈浦波、磯波、敷波〉)、アナンバス在泊の特設水上機母艦2隻(神川丸、山陽丸)、サンジャックを出港予定の空母龍驤と駆逐艦汐風(2隻とも27日0850の南方部隊命令、同日1150の馬來部隊発令による)という状況だった。一連の連合艦隊の注意(27日1430)、南方軍電令(1600)、蘭印部隊命令(1800)により、龍驤と汐風はバタビア攻略部隊に編入されてジャワ方面に出撃、さらに栗田少将がバタビア攻略部隊を指揮することになった。 2月28日0120、第五水雷戦隊司令官は「由良ハ固有隊ニ復帰セヨ、各隊ハ予定ノ如ク行動スベシ」を電令、一号方面部隊(名取)はパンタム湾とメラク湾へ、二号方面部隊(由良)はパトロール方面にむかった。同日1200、日本軍偵察機は第七戦隊第1小隊(熊野〈艦長田中菊松大佐〉、鈴谷〈艦長木村昌福大佐〉)の南方48海里に巡洋艦1と駆逐艦1(重巡ヒューストンと軽巡パース)を発見した。1417、日本軍偵察機は「バタビアの20度10カイリにグラスゴー型一、軽巡一停止す」と通報したので、栗田司令官は1450に反転北上、1700に「バタビア港外に重巡一、軽巡一碇泊、港内に軽巡一アリ」と電報した。結局、栗田司令官指揮下の4隻(熊野、鈴谷、浦波、磯波)は戦闘に参加しなかった。 日本艦隊(第16軍輸送船団)は2月28日2020日にジャワ島予定攻略地点に到着、船団はメラク方面甲地区(那須支隊、第2歩兵団長那須弓雄陸軍少将。香洋丸、北明丸、神州丸《巴組汽船、龍城丸と同名》、ころんびや丸、あとらす丸、降南丸、あきつ丸)、メラク方面乙地区(福島支隊、歩兵第4聯隊長福島久作陸軍大佐。あきつ丸、桃山丸、ぱしふぃっく丸、喜山丸、麗洋丸、津山丸、しどにい丸)、バンタム湾(今村中将、第16軍主力)に向けて分散した。3月1日午前0時を期してあきつ丸以下の船団がメラク湾に、神州丸以下の船団がバンダム湾に、パトロール方面に二号方面部隊(由良ほか)が、それぞれ入泊して上陸作戦を開始した。海戦当日の月齢は13、月明はあったが薄靄が垂れこめていたという。パンタム湾到着時、日本側は監視砲艦2隻を発見して砲撃、擱座させた。春風と吹雪によりオランダ監視艇レイゲル(592トン)撃沈、初雪と吹雪により特設掃海艇1隻(198トン)擱座、海戦後に白雪が監視艇シリウス(936トン)擱座鹵獲であったという。
※この「日本軍の行動」の解説は、「バタビア沖海戦」の解説の一部です。
「日本軍の行動」を含む「バタビア沖海戦」の記事については、「バタビア沖海戦」の概要を参照ください。
- 日本軍の行動のページへのリンク