日本軍の自動小銃開発
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「ピダーセン自動小銃」の記事における「日本軍の自動小銃開発」の解説
詳細は「試製自動小銃甲」を参照 ピダーセン自動小銃は日本でも半自動小銃の研究用に少数輸入し、1934年(昭和9年)10月までに「試製自動小銃甲」という名称でコピー試作されている。使用弾薬には当時の制式小銃であった三八式歩兵銃の三八式実包(6.5mm×50SR)を採用した。マンリカ式で10発入り固定式弾倉だったオリジナルのピダーセン自動小銃と異なり、甲は脱着式の10発入りロータリー弾倉を採用した。三十年式銃剣を着剣できた。甲の外見は三八式歩兵銃と良く似ていた。甲には長銃身型と短銃身型のヴァリエーションがあった。 しかし機関部はピダーセンの機構を忠実に再現したためピダーセンの欠点までもが引継がれ、さらに命中率も悪かった。自動銃に切り替えた場合の弾薬消費量も、当時の陸軍の兵站能力では到底サポートできなかったため、結局陸軍では不採用となっている。 なお、この自動小銃は正式採用こそされなかったものの、太平洋戦争末期には銃器の深刻な不足により試作品のいくつかが戦場に投入されている。現在米国のとあるコレクターの元に試製自動小銃・甲がほぼ完全な状態で所蔵されているが、この銃は1945年にフィリピン・ミンダナオ島戦線で米兵に鹵獲され、戦後本国に持ち帰られたものだという。
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