ロシアの南下と日露戦争とは? わかりやすく解説

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ロシアの南下と日露戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:46 UTC 版)

韓国併合」の記事における「ロシアの南下と日露戦争」の解説

ロシア帝国南下政策一環として東アジア領土拡張推進していた。日本日清戦争勝利し下関条約遼東半島割譲されると、ロシアフランスドイツ共同干渉行って遼東半島返還させた(三国干渉)。同時にロシアは清と露清密約を結び、東清鉄道敷設など満州へ権益確保1898年には遼東半島旅順港大連湾威海衛租借して植民地化進めていった。また、露館播遷以降朝鮮半島にも進出始めていた。1900年には義和団の乱乗じてロシア満州軍事占領し(満洲還付条約)、ロシア南下政策に対して日本満州でのロシア帝国優越権朝鮮半島での日本優越権相互に認めあう満韓交換論主張する元老伊藤博文と、ロシア信用せず欧米列強協力して対抗するべきと主張する元老山縣有朋対立していた。1901年第4次伊藤内閣退けて山縣側近である桂太郎第1次桂内閣組閣すると、内閣目標中に日英同盟締結」と「韓国保護国化」を掲げ1902年日英同盟成立する朝鮮半島を巡るロシアとの軍事的な緊張高まった1904年明治37年1月21日韓国政府局外中立宣言して日露間の軍事衝突関わることを避けようとしたが、日本大韓帝国独立領土保全および皇室の安全を保障するかわりに韓国領土内における日本軍の行動の自由と、軍略必要な土地収用韓国承認させた(日韓議定書)。8月22日には第一次日韓協約締結して財政顧問目賀田種太郎外交顧問日本の外務省勤務していたアメリカ人ダーハム・W・スティーブンス推薦して韓国政府内への影響力強めた1904年明治37年9月5日日露戦争開戦すると、高宗ロシア皇帝密使送ってロシアへ協力約束したが、韓国国民ロシア排除日本勝利を支持しており、政府国民大きな乖離生まれた

※この「ロシアの南下と日露戦争」の解説は、「韓国併合」の解説の一部です。
「ロシアの南下と日露戦争」を含む「韓国併合」の記事については、「韓国併合」の概要を参照ください。

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