太平洋戦争時とは? わかりやすく解説

太平洋戦争時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:43 UTC 版)

瀬島龍三」の記事における「太平洋戦争時」の解説

1941年昭和16年12月8日太平洋戦争開戦開戦意味する暗号「ヒノデハヤマガタ」は、瀬島参謀考案したのである開戦後南東太平洋方面における作戦担当1945年昭和20年7月関東軍参謀転じるまで同職にあって前線出される多く作戦命令起案した。 ほとんどの期間を、参謀本部部員作戦課)として陸軍中枢にいた瀬島は、舅・松尾伝蔵義兄であり、戦争早期終結のために動いていた岡田啓介元首相海軍大将)と連絡保った(「岡田啓介#終戦工作」を参照)。1944年昭和19年12月から翌年2月まで、「瀬越良三」の変名用いて外交伝書使としてモスクワへ出張した1945年昭和20年1月15日島村矩康36期大佐大本営陸軍参謀聯合艦隊参謀中部太平洋方面艦隊参謀であった)が戦死すると、その後任に瀬島選ばれ同年2月聯合艦隊参謀兼務した。同年3月同期選抜一人として中佐進級した菊水作戦同年4月 - 6月)に際し南九州出張して同地展開していた第6航空軍指導した同年6月末まで、聯合艦隊参謀として同僚である千早正隆海兵58期と共に本土決戦準備のため日本各地調査した。特に、高知県沿岸決号作戦における米軍の上陸予想地点として、第55軍の作戦指導熱心に取り組んだ瀬島は、迫水久常鈴木貫太郎内閣内閣書記官長)と親戚(「岡田啓介#人脈」を参照)であることを千早打ち明け迫水通じて鈴木貫太郎首相に戦局実情訴えたという。 1945年昭和20年7月1日関東軍参謀補され満州へ赴任。なお、前任者皇族である竹田宮恒徳王陸軍中佐であった同年8月15日日本の降伏後の8月19日、ジャリコーウォでソ連軍停戦交渉を行う。日本側の参加者は、関東軍総参謀長秦彦三郎中将陸士24期)、作戦主任瀬島中佐、在ハルビン日本総領事宮川舩夫、ソ連側参加者は、極東ソビエト赤軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥第一極東方面軍司令官キリル・メレツコフ元帥、同軍司令部軍事会議委員シュチコフ大将であった。 このとき瀬島軍使として同地訪れたため、内地帰還することは可能であったが、同年9月5日関東軍総司令官山田乙三大将陸士14期)や総参謀長秦彦三郎中将とともに捕虜となった。この交渉の際、日本人労力供について密約交わされたという説が刊行されたが、瀬島否定している。

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太平洋戦争時

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長良型軽巡洋艦」の記事における「太平洋戦争時」の解説

1942年昭和17年9月沈没した由良兵装は、開戦時から変更は無いと思われる太平洋戦争中1942年昭和17年)から1943年昭和18年)にかけて、艦橋前の機銃は九三式13mm連装機銃1基に換装される(この換装連装機銃「2基」へとの記述をする文献見かけられるが、これは誤りで「1基」が正しい)。[要出典]五十鈴防空巡洋艦改装された時、この位置(羅針艦橋前)に九六式25mm三連機銃2基を装備した 阿武隈長良1942年から1943年初めに5番主砲撤去阿武隈後部魚雷発射管上部シェルター甲板左右1基ずつの25mm3連装機銃追加装備した。阿武隈1943年10月から11月長良1944年1月から4月工事7番主砲撤去し跡地に12.7cm連装高角砲1基を装備射出機撤去して支柱上に25mm三連機銃1基を装備した五十鈴名取鬼怒の3隻は1943年から翌年にかけて5番砲・7番砲を同時に撤去対空兵装を前の2隻と同様に強化した同時期及びそれ以降艦上各所に25mm単装機銃や13mm単装機銃追加装備され、「あ号作戦後の兵装増備状況調査」によると、1944年8月調査長良場合25mm3連装機銃2基、同連装機銃6基、同単装機銃14基、13mm連装機銃1基、同単装機銃8基とされている。 防空巡洋艦対潜掃討艦になった五十鈴は14cm砲を全部撤去して12.7cm連装高角砲3基を装備25mm機銃増備した。

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太平洋戦争時

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多摩 (軽巡洋艦)」の記事における「太平洋戦争時」の解説

1942年昭和17年2月時点で舷外電路は設置済み。また開戦直前1941年昭和16年12月1日(または12月2日)に迷彩塗装が行われ、1942年6月キスカ島攻略時には通常の塗装戻されている。 北方での行動船体中央付近損傷し1941年12月から翌年1月まで横須賀海軍工廠船体補強工事が行われた。同時に前部マストトップ短縮され信号ヤードは1本になった。 1943年昭和18年10月27日から12月9日まで横須賀海軍工廠工事が行われ、5番7番主砲射出機デリック撤去7番砲跡に12.7cm連装高角砲1基を搭載した機銃25mm3連装機銃4基、同単装6挺を増備従来連装機銃2基と合わせて22挺となる。13mm連装機銃2基も増備21号電探前部マスト上、射撃指揮の上装備された。 1944年昭和19年6月21日から30日の間に横須賀海軍工廠対空兵装の急速整備が行われ、25mm3連装機銃1基、同連装2基、同単装12挺と13mm単装機銃5挺が増備された。その他に前部マスト上に22号電探1基、艦橋両舷に2式哨信儀装備された。#JapaneseCruisersによると舷窓閉鎖もこの時に行われた。また爆雷18個を搭載した。 「あ号作戦後の兵装装備状況調査」によると1944年昭和19年8月20日(横須賀)と8月29日(呉)の調査では以下の兵装とされている。 14cm単装砲5門(5番7番砲を撤去) 12.7cm連装高角砲1基2門(7番砲跡に装備) 25mm3連装機銃5基、同連装4基、同単装16挺 13mm単装機銃8挺 21号電探1基。(#JapaneseCruisersによると22号電探1基も装備) 哨信儀2基 魚雷兵装変更無し 爆雷投下軌道2条 射出機撤去済み、支柱そのまま機銃台に転用

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太平洋戦争時

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龍田 (軽巡洋艦)」の記事における「太平洋戦争時」の解説

開戦時兵装は以下と推定される三年式14cm砲4門 三年8cm高角砲1門 九三式13mm単装機銃2挺 三年式機銃2挺 山ノ内5cm礼砲2門 53cm3連装魚雷発射管2基 六年式改二魚雷12八一爆雷投射機1基(または2基) 爆雷投下台4基 爆雷投下軌道2条 九五爆雷18個 須式90cm探照灯2基 舷外電装備 開戦以後変遷以下のとおりトラック停泊中の1942年(昭和17年)1月3日から13日爆雷投下台4基を増備推定同年2月19日から28日トラックで5cm礼砲2門と13mm単装機銃2挺を撤去し、13mm機銃跡に25mm連装機銃2基を装備舞鶴海軍工廠同年5月24日から6月15日3番煙突直後に25mm連装機銃2基を増備し、短艇位置前方移動前部マスト短縮艦橋上の探照灯を1番煙突2番煙突の間に移設後部マスト直後の須式探照灯を九三式探照灯換装魚雷頭部防弾板を装備舞鶴海軍工廠1943年(昭和18年)1月19日から3月24日に6.5mm機銃2挺を7.7mm機銃2挺に換装艦橋上に装備舷窓閉塞艦橋測距儀改造1944年(昭和19年)2月10日から20日播磨造船所九三式水中聴音機装備1943年から1944年逆探装備1944年3月最終時兵装は以下と推定される 50口径三年式14cm砲4門 40口径三年8cm高角砲1門 25mm連装機銃4基 7.7mm機銃2挺 53cm3連装発射管2基 六年式改二魚雷12八一爆雷投射機1基(または2基) 爆雷投下手動4基、水圧4基 爆雷20個以上 機敷設軌道2条 九六式90cm探照灯1基、須式90cm探照灯1基 逆探装備電探無し 九三式水中聴音機外電

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太平洋戦争時

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球磨 (軽巡洋艦)」の記事における「太平洋戦争時」の解説

1942年昭和17年)夏には14cm砲の上に留式7.7mm機銃装備した1943年昭和18年10月23日から11月12日シンガポールの第101工作部5番14cm砲、射出機後部マストデリック撤去後部発射管上に左右舷各1基ずつの25mm3連装機銃装備した25mm機銃は3連装2基、連装2基となった

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