米軍の上陸とは? わかりやすく解説

米軍の上陸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 06:34 UTC 版)

ホーランジアの戦い」の記事における「米軍の上陸」の解説

ホーランジアとアイタペ方面には、3月頃から米軍による空爆陸地への艦砲射撃相次いでいた。日本側は4月上旬北園少将着任の頃から泥縄式防備体制構築図っていたが、4月16日にようやく状況把握終わって、第54兵站司令官石津大佐警備責任者部署されたという段であった比較戦闘力がある南洋第6支隊と第54兵站警備隊フンボルト湾水際守備配置されたが、予備の第54兵站勤務中隊加えて合計でわずか500人足らず。タナメラ湾いたっては、ほとんど無防備に近かったと見られるホーランジア上陸前日の4月21日アメリカ空母部隊600機による大規模な空襲見舞われ日本航空戦力全滅態となった。また、ホーランジア西側のサルミ、ワクデや東側のアイタペも空襲受けた日本軍航空偵察によりニューギニアに向かう連合軍輸送船団発見していたが、第18軍上陸前日午後においてもマダンまたはウェワク方面上陸する可能性高くホーランジア上陸可能性は低いと判断していた。1944年4月22日第24師団及び第41師団主力とする米軍が、オーストラリア海軍重巡洋艦オーストラリア・シュロップシャー及びアメリカ海軍軽巡洋艦ボイシナッシュビル艦砲射撃支援の元、フンボルト湾およびタナメラ湾からホーランジア上陸した主攻撃目標は、守備が特に手薄なのを見抜いてタナメラ湾選んでいる。米軍の上陸部隊多数航空機などに援護され22日のうちにホーランジア東海岸西海岸地域をほぼ全域占領することができた。日本軍多く軍刀銃剣武器とするなど満足な装備無く有効な抵抗できない間に大きな損害を受け、退却余儀なくされた。海軍部隊でも、第9艦隊司令長官遠藤喜一海軍中将負傷その後一時行方不明となるなど大損害を受けていた。一方で独立自動車42大隊山上から火のついたドラム缶米軍めがけて転がすなどの抵抗続けた4月23日日没直後飛来し日本軍航空機1機だけが、連合国側にとって大きな障害となった。この機が投下した爆弾は、連合軍占領下にあった日本軍弾薬庫命中して誘爆させ、連合軍側の物資集積所にまで延焼した火災24日続き連合軍側は「日本軍逆上陸があった」などの誤報飛び交う混乱状態に陥った損害死傷124人以上、揚陸済み物資60%(戦車揚陸艦11隻分)が焼失する甚大なもので、揚陸地点一時使用不能となったととあわせて、連合軍側の兵站に相当な困難をもたらした25日新たな補給船団到着して、なんとか十分な食料兵士いきわたるようになった

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米軍の上陸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 01:43 UTC 版)

独立混成第55旅団 (日本軍)」の記事における「米軍の上陸」の解説

昭和20年4月9日朝、米軍ホロ島飛行場方面上陸開始した。そして同11日夕方までに、飛行場地区ホロ市街占領した飛行場付近守備していた独立歩兵365大隊の第2中隊第3中隊玉砕し大隊主力激戦行いつつ玉砕期していたが、旅団参謀から持久期すべき旨の要請があり、大隊長以下の残存兵力は、第363大隊主力布陣するツマンタンガス山方面に転進したまた、飛行場南方ダホ山に所在し旅団司令部と第363大隊の第1中隊は、4月15日から米軍の攻撃受けた旅団長は同21日ダホ山を脱出し25日にツマンタンガス山に到着した

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