モロタイ島へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 15:44 UTC 版)
中村は新竹で基礎訓練を終えた後、1944年(昭和19年)5月28日に高雄を出発し、7月5日にマルク諸島のハルマヘラ島に到着した。中村はここで輝第2遊撃隊(かがやきだいにゆうげきたい)に編入され、7月12日に部隊と共にモロタイ島に渡った。 モロタイ島に到着した輝第2遊撃隊は、米軍の上陸に備え、徴用したモロタイ島民と共に山奥に物資を移転する作業にあたった。当時のモロタイ島では日本軍の宣撫工作が成功していたため、モロタイ島民と日本軍の関係は良好であり、さらに高砂義勇隊員たちが使用する台湾諸語とモロタイ島民の使用するインドネシア語は同じオーストロネシア語族系の言語であったため、数詞や語彙に共通点が多く、お互いに意思疎通が可能であった。そのため、高砂義勇隊員たちはモロタイ島民と積極的に交流し、中村にもアニファという恋人がいて、指輪を贈っている。 しかし、この頃のモロタイ島では後方からの物資補給が途絶えがちとなり、高砂義勇隊員たちはジャングルでバナナやパパイアを採集して部隊に届けた。その量は1回で1人100kgにもなることがあった。
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