モロゾフ家との関係とは? わかりやすく解説

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モロゾフ家との関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 00:32 UTC 版)

モロゾフ」の記事における「モロゾフ家との関係」の解説

フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ」および「ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフ」も参照 ロシア革命逃れて日本来てその後神戸チョコレート店を経営していた白系ロシア人フョードル・ドミトリエヴィチ・モロゾフ一家は、神戸材木商である葛野(現モロゾフ初代社長)から出資受けて1931年神戸モロゾフ製菓設立した経営順調に推移したが、葛野側が会社会計帳簿モロゾフ親子側に一切見せなかったため、モロゾフ家は不審を抱くようになり、最終的に1941年両者問題裁判まで持ち込まれた。 モロゾフ側は日本語が不自由だったため、結果的に裁判追い出された形となったモロゾフ一家モロゾフ洋菓子店から去るだけではなく、「モロゾフ」や類似した商号使用して菓子販売をすることを禁じられ同様の事業をすることも禁じられた。モロゾフ家にとって厳しい条件であったが、条件を飲まなけれロシア継いだ共産主義国家であるソビエト連邦強制送還すると言われたため、判決をのまざるを得なかった。 ちなみにモロゾフ離れたモロゾフ家は、フョードルの子ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフが「バレンタイン製菓店」を立ち上げたが、第二次世界大戦終結直前1945年に、連合国軍による空襲で店が壊滅し戦後に「コスモポリタン製菓」を再度設立している。 ヴァレンティン・フョードロヴィチ・モロゾフは後に次のように述べている。 私が本当モロゾフでも、私の会社の名前、モロゾフじゃない不思議に思う人、多いでしょうね。 — 重森1990313頁。

※この「モロゾフ家との関係」の解説は、「モロゾフ」の解説の一部です。
「モロゾフ家との関係」を含む「モロゾフ」の記事については、「モロゾフ」の概要を参照ください。

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