裁判まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 22:28 UTC 版)
同年7月20日午前11時ごろ、渋谷警察署署員2人が恵比寿駅前の高橋岩太郎の事務所を訪ねてきた。同日正午、高橋岩太郎は自宅で起床し、事務所に出て、渋谷警察署署員から労いの言葉をもらった。 同年7月21日、同日付の朝日新聞が「警官と台湾省民が拳銃の撃ち合ひ 渋谷駅附近・死傷十六名」と事件後初めて、同事件を報じている。当時、報道はGHQの検閲下に置かれ、報道が遅れたのもそのためであった。 同年7月22日、高橋岩太郎は、渋谷神宮通りの長泉寺で行われた芳賀弁蔵の葬儀に参列した。 その後、GHQ法務局は「占領目的を阻害した」との理由で、渋谷事件などで逮捕した在日台湾人41人を軍事裁判にかけた。在日台湾人の訴えにより、土田精ら3人も渋谷事件に関して軍事裁判にかけられた。軍事裁判において土田精は、全警察官に対しサーベルの所持を禁止したことを証言した。検事は在日台湾人の1人が刀の刺し傷で死亡したことを根拠に、土田精を追及した。土田精は「在日台湾人が刀で刺殺された事件は、渋谷事件と同じ時刻に渋谷警察署近くで起こったが、渋谷事件とは別の殺人事件である。刺殺された在日台湾人は渋谷事件で死亡したのではない」と主張した。土田精は、渋谷警察署がヤクザに応援を頼んだことが発覚するのを恐れた。 同年8月下旬、渋谷警察署・渡辺部長刑事が、渋谷代官山の高橋岩太郎の自宅を訪ねた。渡辺部長刑事は高橋岩太郎に、在日台湾人刺殺犯人として渋谷警察署に自首して、刺殺された在日台湾人が渋谷事件での被害者ではないことを証言してくれるように懇願した。高橋岩太郎は即答をせず、後日返答すると答えた。数日後、高橋岩太郎は渡辺部長刑事を恵比寿駅前の事務所に呼び、渡辺部長刑事の頼みを了承することを伝えた。高橋岩太郎と渡辺部長刑事は1週間をかけて、供述調書を作成した。高橋岩太郎は、渋谷警察署からの連絡が入るまで待つことになった。 その後、渋谷事件の軍事裁判で、土田精は「現在、日本は立法・行政・司法等すべての国政は、占領軍の指揮下にあります。我々もまた占領軍司令官の命令に忠実に従って行動を起こしたまでであります」と答弁した。これは、渋谷事件に関与した警官を罰することは、占領軍司令官にまで責任が及ぶということを示唆している。渋谷事件の軍事裁判では殺人犯を追及せず、責任者も不問にするとの判決が下された。 同年11月ごろ、渡辺部長刑事が高橋岩太郎の自宅を訪ねてきた。渡辺部長刑事は高橋岩太郎に、渋谷事件の軍事裁判の結果と高橋岩太郎が渋谷警察署に自首する必要がなくなったことを伝えた。
※この「裁判まで」の解説は、「渋谷事件」の解説の一部です。
「裁判まで」を含む「渋谷事件」の記事については、「渋谷事件」の概要を参照ください。
- 裁判までのページへのリンク