裁判への経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 21:16 UTC 版)
2012年2月に王立軍事件が発生した翌月の2012年3月にかけて、王立軍、谷開来、徐明ら薄熙来の関係者が訴追を視野にいれた身柄拘束をされ、夏徳仁元大連市書記や戴玉林元丹東市書記などのかつての薄熙来の腹心も事件の尋問目的に一時身柄拘束をされて、薄熙来に不利な証言が取られた。 2012年8月20日、谷開来に英国人殺害の罪で死刑執行猶予の判決が、薄の生活秘書に英国人殺害の罪で懲役9年判決がそれぞれ言い渡された。 2012年9月24日、王立軍に国家反逆罪、職権乱用罪、収賄罪、捜査技術違法使用罪等で懲役15年が言い渡された。 薄熙来自身は2012年2月の王立軍事件発覚後も暫くは政治的地位を保っており、3月に重慶市代表を率いて全人代に出席し、記者会見に応じている。しかし、3月15日に王立軍事件の責任を取らされる形で重慶市共産党委員会書記を解任され、その前後から共産党によって事実上の軟禁状態にされた。また、4月10日に重大な党規律違反があるとして共産党中央政治局委員・中央委員の職務が停止され、9月28日に中国共産党党籍を剥奪され、10月26日に全国人民代表会議代表資格の取り消しが発表された。 また、薄熙来の兄は2012年4月25日に大企業幹部を辞任した。
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