アセニア撃沈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 17:59 UTC 版)
「フリッツ・ユリウス・レンプ」の記事における「アセニア撃沈」の解説
1939年9月3日、レンプが艦長を務めるU-30はイギリス船籍の客船アセニア(13,581トン)を撃沈した。レンプは後に、アセニアが通常の航路から大きく外れてジグザグに航行していたため、軍艦または武装商船のどちらかであると判断したと主張した。アドルフ・ヒトラーは、この事実は政治的な理由により隠蔽すべきと判断し、ドイツの新聞フェルキッシャー・ベオバハターは、アセニア攻撃の否定を報じた。真実は1946年1月のニュルンベルク裁判まで明らかにされなかった。ニュルンベルク裁判では、デーニッツ提督はアセニアがU-30によって撃沈されたことを認め、隠蔽のためレンプに航行記録を改竄するよう命じたとの声明を発表した。
※この「アセニア撃沈」の解説は、「フリッツ・ユリウス・レンプ」の解説の一部です。
「アセニア撃沈」を含む「フリッツ・ユリウス・レンプ」の記事については、「フリッツ・ユリウス・レンプ」の概要を参照ください。
- アセニア撃沈のページへのリンク