アセニアンリーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 07:28 UTC 版)
「サットン・ユナイテッドFC」の記事における「アセニアンリーグ」の解説
1921年、サットンはアセニアンリーグに参入することになった。チームは上位に食い込むことができず1926年には最下位となったが、リーグから外れることはなかった。 1928年にチームは初めてアセニアンリーグで優勝した。また、1929年と1937年のFAアマチュアカップで2度準決勝に進出した。 第二次世界大戦中、サットンは小規模ながらもサッカーを続けた。戦争中、アセニアンリーグは中断されていたため、組織的な大会はほとんどなかったが、時々開かれた大会でサットンは結果を残した。終戦を迎えリーグが再開された1945-46シーズンは、チャーリー・ヴォーンの42ゴールという活躍もありサットンが優勝した。またこの年のサリー・シニアカップで初めて優勝し、FAカップ1回戦に進出した。 1950年代、サットンは大会ではほとんど成功を収めることができなかったが、ピッチ外でのチームは進歩していたといえる。当時としては珍しく資産が有限会社に移された。またメインスタンドが建設され、現在では700人以上の観客を収容している。ジョージ・スミスが監督に就任してからは、1958年にアセニアンリーグで3度目の優勝を果たし、ロンドン・シニアカップでも初めて優勝するなど結果を残した。好調は60年代に入っても続き、シド・カンの下でサットンは結果を積み重ねた。1963年にクラブはFAアマチュアカップで決勝まで勝ち進んだが、ウィンブルドンFCに4-2で敗れた。
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